「考える」と「悩む」の違い
マッキンゼー出身のコンサルタント安宅和人氏の著書『イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」』に「考える」と「悩む」の違いについて、非常に示唆に富む文章がある。
「〈考える〉と〈悩む〉、この2つの違いは何だろう?」 僕はよく若い人にこう問いかける。あなたならどう答えるだろうか? 僕の考えるこの2つの違いは、次のようなものだ。
「悩む」=「答えが出ない」という前提のもとに、「考えるフリ」をすること
「考える」=「答えが出る」という前提のもとに、建設的に考えを組み立てること
「悩む」というのは「答えが出ない」という前提に立っており、いくらやっても徒労感しか残らない行為だ。僕はパーソナルな問題、つまり恋人や家族や友人といった「もはや答えが出る・出ないというよりも、向かい合い続けること自体に価値がある」という類の問題を別にすれば、悩むことには一切意味がないと思っている(そうは言っても悩むのが人間だし、そういう人間というものが嫌いではないのだが……)。
特に仕事(研究も含む)において悩むというのはバカげたことだ。 仕事とは何かを生み出すためにあるもので、変化を生まないとわかっている活動に時間を使うのはムダ以外の何ものでもない。これを明確に意識しておかないと「悩む」ことを「考える」ことだと勘違いして、あっという間に貴重な時間を失ってしまう。
僕は自分の周りで働く若い人には「悩んでいると気づいたら、すぐに休め。悩んでいる自分を察知できるようになろう」と言っている。「君たちの賢い頭で10分以上真剣に考えて埒が明かないのであれば、そのことについて考えることは一度止めたほうがいい。それはもう悩んでしまっている可能性が高い」というわけだ。一見つまらないことのように思えるかもしれないが、「悩む」と「考える」の違いを意識することは、知的生産に関わる人にとってはとても重要だ。ビジネス・研究ですべきは「考える」ことであり、あくまで「答えが出る」という前提に立っていなければならない。「悩まない」というのは、僕が仕事上でもっとも大事にしている信念だ。
「考える」と「悩む」についての非常に有益な考察である。多くの人が、考えているつもりでも、実は悩んでいることが多いのではないかと思う。悩んでいる状態を察知できるようになることはとても大切なことである。自分が悩んでいると気づいたら、一度悩むのはやめ、別のアプローチを考える。調べる、インタビューする、紙に書くなど、行動することが必要である。「考える」とは、「行動する」ことである。
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