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只管打座に通じる生き方

禅の世界に、只管打座という言葉がある。これは、ただ座ることを意味する。悟りをひらこう、雑念を消そうなど、ごちゃごちゃと考えるのではなく、ただ座るだけでいいということだ。

同時通訳の神様として知られる国弘正雄氏は、この只管打座という言葉を引用して、只管朗読という英語学習法を提唱している。只管朗読とは、英文をただ音読するだけの英語学習法である。覚えよう、暗記しようなどと考えずに、ただひたすら英文を1000回音読する。それだけで英語力は向上するという。

世界的数学者である岡潔氏は数学をする意味について下記のように述べている。

私は数学なんかして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうとスミレのあずかり知らないことだと答えてきた。
私、数学の研究に打ちこんでいる時は、虫も動物も殺さない。植物も若草の芽も踏まない。そんな心になるのは、無差別智が真我に働くからです。

この考えも只管打座に通じる考えである。ごちゃごちゃ考えずにただ数学をやればいい。只管数学ともいえるだろうか。

全てのことはこの考え方に通じると思う。お金を儲けたい、幸せになりたいというようなことをごちゃごちゃ考えるのではなく、ただ〇〇をするという只管○○がシンプルに生きる方法である。あれやこれや悩むのではなく、ただやるということを続けてみることが大切である。

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