聞き飽きた「継続は力なり」 前編

継続は力なり。

こんなありふれた言葉を標榜してやっていけるほど、勉強は単純なものではない。

継続することは精神的になかなかの労力を要するものだ。

モチベーションもなく、やるべき勉強に興味がない場合、どこかで必ずノイローゼがやってくる。ではどうすれば継続し続けることができるのか?

考えを柔軟にしてみよう。

ノイローゼを受け入れること。ノイローゼすら継続の一環である、と。

つまり、勉強→ノイローゼ→勉強→ノイローゼ、このサイクルを繰り返せば、単純に努力と休憩のサイクルを繰り返していることになる。

何当たり前のこと言っているんだオマエは。そう思った方もおられるだろうが、実際には勉強→ノイローゼの、次の→に繋がらず、ノイローゼをダラダラひきずる人間のなんと多いことか。

ボクの高校生時代のことを交えながら書こう。

ボクは高校1年生の頃、学校が終わり、すぐに家に帰ってから、自宅で5時間ほどの勉強を自らに課していた。

学校が終わってから5時間の勉強、というのは、画面の前の君が高校生であればわかるだろうが、体力的にだいぶきつかった。

毎日帰っては1時間半勉強→休憩→2時間勉強→休憩→1時間半の勉強、これの繰り返しだ。君が勉強大好きならば、これはなんの苦でもないだろうが、殆どの高校生にとっては「は?そんなのできるわけねーだろバカ」という感じで、継続どころか3日坊主にすらならない可能性がある。だからってこの勉強サイクルを真似する必要はない。一日数時間、少しだけ体力的にきついかな、くらいの勉強時間を自分で定めて続ける。

そしていつしかノイローゼがやってくる。

あぁ、なにもしたくない、チャート式開きたくないなあ、古文単語帖みたくない…。

こんな瞬間がやってきたら、勉強なんてやめてしまおう!

一切勉強に手を付けないのだ。それでいい。一切勉強しない。家で教科書なんて見たらダメだ。

なんて衝撃的なことをいうんだ、この人は。そう思った方も多いだろう。

しかし、この全く勉強しない状態を、短くて3日間、長くても2週間ほど、ある瞬間が来るまで続けてみよう。

ある瞬間とは、ありえないくらいの焦燥感と、虚無感が自分を襲う、その「瞬間」だ。

勉強しなければそろそろやばいな、という瞬間が再びやってくる。その瞬間に、鉛筆を握って、前回勉強したことを、ノートを、しっかり見返してみよう。前回勉強したが忘れかけていた短期記憶が、長期記憶として脳に保存される。そして鉛筆を再び動かし始めよう。


ひぐち先生

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