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「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?—国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」;出来るだけ他者に伝わるように書く感想文㉜

「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?
 ー国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」
(展覧会/2024/@国立西洋美術館)


 東京随一の芸術の街上野。その上野駅から最も近い位置に所在する美術館が、表題の展覧会が開かれた国立西洋美術館。
 松方正義の息子、松方幸次郎が「若い画家たちに本物の西洋美術を見せてやろうという明治人らしい気概」のもと収集した松方コレクション。第二次世界大戦の混乱もあり、このコレクションはすぐに日本の美術館で観覧できるようにならなかったものの、国立西洋美術館の常設展はこのコレクションを基にひらかれている。
 つまり西洋美術館には二つの役割があると言える。ひとつが、西洋の美術品を日本の「劣っている」画家たちに示すこと。そして、その画家にインスピレーションを与える作品を展示するということだと言える。
 この展覧会はその成果を出す場だと言える。西洋の美術、そしてそれを展示するこの美術館はどちらかと言うと前者の役割にフォーカスすることが必要である。質の高い展覧会や、貴重性の高い美術作品を展覧することで、西洋の美術を日本に連れてくることがその役割と言える。そのためある意味、日本の画家がインスピレーションを受けるかどうかということについては、結果を追求しフィードバックは日本美術史が数十年後に行うと言える。
 しかし、その姿勢を鑑みいかに未来のアーティストに影響を与えることが出来ているのかということの中間発表を行ったのである。ノバーリスを引用し、美術館自身の自問と現代アーティストへの問いかけを行う展覧会であったと言える。



 面白かったし、子どもを連れて行ってみて欲しい。
 何かのインスピレーションの機会となることは間違いないと思う。



 個人的に気になったことを2点。

 1つめがノーマークスとパープルーム。
 僕の大好きな漫画に、ノーマークスという「宗教団体」が出てくる。反権威の美術を掲げ、いっぽうでその反権威の中での権威を確立しつつある団体。だからこそ、その団体は定期的にあえて消えるのだが、この展覧会ではそのモデルの存在を知る機会になった。反権威主義を成り立たせるためにはいくつもの障害があると思う。それを如何にして対処しているのかということを僕なりに考え続けたい。

 2つ目が美術館が観覧者に向ける無意識下での選別である。
 美術とは本来、非言語コミュニケーションが成り立つ営みである。何かに対し、「いいな ≒ Ç'est bien ≒ That is nice ≒ Bu güzel」と思うその心の揺さぶりは、もちろん言語体系に組み込まれた僕らの感想ではあるものの、その揺れは本来言語では表し得ないはずである。
 しかし振り返ると美術館で僕が作品を鑑賞する際には、可能な限り日本語のポップスを精読し、その時代背景のみならず作品の評価理由についても暗記しながら閲覧する。理想とは完全に異なる鑑賞である。
 また、子どもや車いすの人々にとっても見やすいとは言えない。大人に向けて飾られた作品は、子どもには首を痛める対象に他ならない。もし子どもの高さからのみ見られる作品があれば、子供に人気だろうし大人はそのハンディキャップを理解した上で作品を鑑賞する必要がある。場合によっては無意識のうちに視線に入ってくる作品として、その作品をめでることを企図されている場合には、健常な大人はしゃがむという恣意的な行為が求められるため、その作品を楽しむことは絶対に出来ないのかもしれない。

 これらの視点を得られただけでもこの展覧会に赴いた価値があったのだと思う。

#ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか ?—国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ

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