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「ナイル殺人事件」;出来るだけ他者に伝わるように書く感想文⑪

「ナイル殺人事件」(映画/2022)
 ケネス=ブラナー主演のポアロシリーズ第2弾にあたる作品。原作はアガサ=クリスティー著「ナイルに死す」。愛と欲望が導く殺人事件を描く。

 舞台は第一次世界大戦から始まる。農民ながら明晰な頭脳を持っていたポアロは塹壕戦中に風を読み、早朝の奇襲を成功に導く。しかしその際に彼は顔をケガしてしまう。この傷を隠すために彼は口ひげを蓄えるた探偵になったのだ。 
 舞台は変わり、1930年代のロンドンへ。ここでポアロは恋愛の運命的な瞬間を目撃する。莫大な遺産を受け継いだリネットと彼女持ちのサイモンが出会い、恋に落ちるのである。
 そして6週間後、リネットとサイモンはエジプトに新婚旅行に行くが、それは血に塗られたハネムーンとなるのである。

 登場人物すべてに何らかの動機があり、疑いの目が向けられる。オリエント急行と同じである。出演者は「ワイルドスピードシリーズ」にも出演するガル=ガドットや、「ブラックパンサー」に出演すレティーシャ・ライトなど。
 作品ではポアロの推察力と洞察力が光る。キーワードは「愛」。男と女、それぞれの「愛」の解釈の違いが行動に抽出されている。(どうでもいい話をすると、架空の人物で最も愛を形にした人物だと僕が思うのは、ハリー=ポッターシリーズのセブルス=スネイプ。彼が亡くなって20年経つ片思いの恋人に対し、愛が変わらないことを「永遠=always」というシーンはこのシリーズきっての名場面だと思う。)

 アガサ=クリスティーの小説が最も好きかもしれないと、僕は昨年末ぐらいに気づいた。そもそも僕の水たまりぐらいの読書経験の中で、「春にして君を離れ」というクリスティーの小説が一番好きなのだが、他の彼女の作品を読み進めると、次第に彼女の文体も好きだということに気づかされた。
 ポアロの魅力は、事実の発見というより寧ろ、真実の発見だと思う。事実は解釈が入らないが、真実には解釈が入る。社会に生きている以上、私たちの解釈には正解か不正解かという「評価」が入る。大多数が正解だと考えればそれは社会にとっての真実と認められるが、そうでない場合にはそれは社会の真実とはならない。でも、各々の解釈における真実は誰にも影響されないはずである。殺人を肯定したいわけではない。むしろ自分自身の解釈で他者をゆがめるような真実を有する場合、社会に生きる資格は与えられなくても仕方がないとも考えられる。そんな真実を明かす探偵としてポアロは魅力的なのではないだろうか。

 といいつつ、アガサ=クリスティーの「ナイルに死す」をまだ読んでいない自分自身の傲慢さには辟易とする。機会があればトライして、この下にでも追記してみることにしたい。

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