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「BLUE GIANT」;出来るだけ他者に伝わるように書く感想文㉖
「BLUE GIANT」(映画/2023)
同名漫画を原作としたアニメ映画。世界一のジャズプレイヤーになる夢を持つ田舎者の秀才かつ天才少年が、大都会東京で気持ちを伝える物語。タイトル「BLUE GIANT」とは、高温で燃えすぎるあまり青色に見える巨星のこと。オリオン座のベルトのひとつにこんな星があった気がする…
とてもいい映画。熱くなれるし、感情移入できる。応援したくなるプロットが完成されているようにも感じるので、ぜひとも見て欲しい。
個人的に原作漫画を読もう読もうと思っているうちに、映画の制作と公開がされたことは非常に公開している。原作を知らずにこの映画をみてその感想を記すことは、作者に対して失礼で傲慢。
また、映画館でこの映画を見ずに配信サービスのそれもサブスクリプション公開作品になってから視聴したことで、この映画の価値をおのずと下げた状態で観覧していることにも反省しなければならないと思いながらこの映画を視聴する。
それでもひとつだけ言いたいことがある。この映画に対する思いとしてどうしてもWhiplashと重ねてしまう。
映画自体のストーリー、音楽のすばらしさは映画館で堪能できるんだと思う。僕自身がそれを堪能しておらず、場合によってはこれから書くことも映画館であれば補いうるのかもしれないとも考えられる。けど、言いたい。
なぜこれをアニメでやる必要があったのか。たしかに、サックスの口から青い光が出てくるシーンは現実の世界ではなく、二次元の世界だからこそ表現されうることは想像に難くない。本作品の製作委員会も、そんなことはとっくの前に轍を作っている話なんだと思う。製作者の言葉に、「最大の音量、最高の音質で、本物のジャズを届けたい」というものを見つけた。本物のジャズを目指すのに、視覚的要素は含まれないのだろうか。
少し譲ってアニメでも構わない。ではモーションキャプチャーで動きを作ったのは、なぜ演奏者だけなのか?
僕は音楽には疎い。ジャズなんて尚のこと。だから、演奏内の大抵のミスには気付かないし、場合によっては演奏者の意図とは全く異なる解釈をするような音痴だと自認する。しかし、音楽を構成する要素として観客が大いにあるとは感じている。
なぜアンコールに応えるのか。観客が願うから
なぜ演奏するのか。そこに観客がいるから
予算の都合でこれが出来ないのか?演奏の雑音となる演出となるのか?
いずれにしても、僕には逆にこの観客の動かなさが不自然に思えて、本物のジャズには程遠く感じてしまった。
だったらアカデミー賞受賞作品を比較対象とするのは厳しい部分があるが、ジャズの世界観をサックス・ピアノ・ドラムと話の分かる数人という形にした方が、躍動する感覚を届けられたように感じる。この不自然さと、非対称性が僕がこの映画で浮いてしまっていると感じた感覚で、少々残念に感じている理由。
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