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「蹴りたい背中」;出来るだけあなたに伝わるように書く感想文㉞

「蹴りたい背中」(小説/2003)

 綿矢りささんによって書かれた芥川賞最年少受賞作。主人公のハツは陸上競技部の高校1年生。理科の実験中にひょんなことから喋った、にな川と残り物同士オリちゃんという名のモデルの話から親しくなる。にな川のことを幼稚だと見下すハツは、にな川の部屋で見た彼の背中を憐みの目で見るとともに、痛がるにな川を見たいというまっさらな欲望に駆られた。


 「そりゃ19歳で芥川賞を受賞しますわな」と言うのが正直な感想。芥川賞の選考基準はどうやら、純文学作品に贈られる賞。つまり純文学の定義に基づいた「文章の美しさや表現方法の多彩さ(芸術性)に重きをおいた小説」がこの名誉を得るのだそう。
 私はこの本を読みながら、中高生の頃クラスの片隅で何を考えているのか分からない女子のことを思い起こさせられた。悪意とも思えないが、善意ではない何かをこちらに向けていた彼女の視線が、手に取るように今になって理解することが出来るのである。なので途中で私はハツに気持ち悪さを感じてしまった。
 もう少しおとなになると、僕もこの気持ち悪さをかわいいと感じることが出来るようになるのかもしれない。しかし大学生の僕は嫌悪を感じざるを得ない。


 表現方法も革命的であると思う。ハツは自分自身の違いを感じるべく、立ち振る舞いを行うため、状況下の行為行動に対する感度が異常に高い。だから、過度な自意識が部室から足を遠のかせ、ひとりで食べる昼食の時間の校庭の数日間の変化を間違いなく気づくことができている。他方でにな川は感度がオリちゃんだけに向いている。教室で広げる女性ファッション誌の裏側の世界を気にも留めないし、高校生の女子を目的のためなら何のためらいも無く自宅に呼べる。
 この二人は共に現実世界から余りものとして扱われている。しかし、この二人の現実世界に対する受け止め方はかなり違ったものとして僕には映る。
 ハツは現実の人々を憐れむあるいは敬う対象として見ている。このため過剰に敏感になった五感が、その判断基準となりすべてレンズをかけた状態で見ることになる。気づかないし、気づけない状態で生きている。しかし、にな川はオリちゃん以外をバイアスのない状態で見ることが出来ると言える。彼は、オリちゃんが原因でクラスメイトからどう詰られようと、それについては気にも留めない。しかし、周囲の状況をどんな色眼鏡をかけていない状態で観察することも出来るのだ。それゆえ、ハツのケイベツした目や「人を選ぶ趣味が良い」という発言を言ってしまうことを理解できるのである。人を慮る気持ちすら持ち合わせているのだ。

 どちらが「はせ川」どちらが「蜷川」なのか。。

 それすらも分からないハツが具現化する、「少女によるオトナの振る舞い」は読んでいられなかった。
 中学生3年のとき、僕たちをその目で見ていたあなたにこの本を読んで悶絶し、卒倒して、背中に痛みを感じて欲しい。

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