見出し画像

「傲慢と善良」;出来るだけあなたに伝わるように書く感想文<54>

「傲慢と善良」(小説/2019)

 辻村深月さんが書かれた長編恋愛小説。
 2019年に刊行され、2022年に文庫本化された。2024年の夏には映画化されることも発表されている。




 主人公は東京育ちで家業を引き継ぎ自営業をする39歳の西澤架と、前橋から上京し英会話教室で事務員をする32歳の坂庭真実。ふたりは付き合い始めてから2年以上がたち、半年先には結婚式場の予約も済ませていた。
 しかし架は真実との結婚に対し、逡巡し続ける。年齢や常識を根拠に相手を70%と見定めておきながら、結婚にも真実にも向き合うことが出来ない。そんな折、真実がストーカーに追いかけられてかもしれないと聞く。架は男として家にしばらく居るように促し、同棲したまま2週間ほどが経過した。そんなある日、昼間に電話で交わした短いやり取りを最後に、帰宅した架の家に真実はおらず、音信不通となってしまう。



 読者に対する視線の動かせ方がスゴい。クリスティーかと思うほどに。
 最初は、ストーカーに襲われる真実に対する同情と恐怖感、次いで警察に対しその無力さと適当さに対する怒り、そして母親が毒親ではないかと疑る。次第にその疑念は確信に変わり、思い出されるように母親の独善的な側面を思い起こす。
 怒りの矛先はストーカーの男、架、毒親と様々に続き、この恋愛を応援したいとはならない。
 「一人一人が自分の価値観に重きを置きすぎていて、皆さん傲慢です。その一方で、善良に生きている人ほど、親の言いつけを守り、誰かに決めてもらうことが多すぎて”自分がない”ということになってしまう。傲慢さと善良さが、矛盾なく同じ人の中に存在してしまう、不思議な時代なのだと思います。」この小説のタイトルの由来となる文章である。
 僕は間違いなく傲慢だ。自分自身への値段の付け方が高すぎる。の癖に善良であると思っている節がある。心に余裕があるときに善良として振る舞い、いざというときには傲慢さが顔を覗かせる。いい子でありたいと思うことは時として障害になることを思い知らされる。





 恋愛小説というより、徹底的に自分自身の思考を洗いざらい考えることを求めてくる読み物だと感じた。何を哀れと感じ、何をうらやましいと感じ、何をもって自分だと考えることにつながるのか。
 そんな向き合うための方法は、距離なのか、金銭なのか、時間なのか。なにがそれの大きな理由になるのかは判別が出来ない。でも大きな決断が時に向こう見ずな勢いと、何かに逆らうことから始まることは言える。

 そして知りすぎないこと。
 僕は鋭くないし、察することが出来ない。鈍くてトロい。
 そんな僕が幸せに生きる方法は適度に騙されることなのかもしれない。知りすぎない、知ろうとしすぎない、すべてを包む大きな心を持つこと。
 その視点も教えてくれた気がする。

 人間は数多くの生物の中でも数少ない、生殖のタイミングを自ら決めることが出来る生き物だと聞いた。もし子供を作ることが出来るタイミングが決まっているのならば、選択の範囲は狭まり、ある意味で不自由がもたらす権利を享受できたのかもしれない。
 デッドラインの中で、人間が生物的に生きた証を残す作業として恋愛と結婚を選択するとき、その決断をなるべく自分自身の言葉で説明できるものにしたいと思わされる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?