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報道と自殺 減った自殺、2003年に最多 その減少傾向の裏で

 警察庁が発表した自殺統計によると、昨年二〇二三年の自殺者数は速報値で二万千八百十八人となり、前年の確定値より六十三人減となった。二年連続で減少傾向にあるものの、一方でその内訳では、男性は一万四千八百五十四人の自殺で前年より百八人増。女性は六千九百六十四人となった。また、小中高生の自殺者は二二年に次ぐ五百七人となっている。

 戦後最多を記録したのが〇三年で、三万四千四百二十七人と平成以降最悪を記録した。以後十四年連続で三万人が自殺する状況が続き、一二年にようやく割り込んだ。それ以降は二万人台で推移していき、現在も多少の増減はあるものの、総数としては減少傾向にある。減少に転じた背景は複雑で、一概に述べることはできない。一部を取り上げるなら、景気の回復とそれに伴う就職率の改善。企業倒産の減少。WHOガイドラインに基づいた報道機関における自殺の扱い方の変化。インターネット上に存在したいわゆる「自殺サイト」などの情報へのアクセス制限などが挙げられる。特に自殺報道はこの三十年間でかなり変化した。

 報道関係者向けのガイドラインを抜粋すると、報道機関が自殺を報じる時には六つの注意点が掲げられている。①自殺を目立つ位置に置かないこと。②センセーショナルに扱わない。③手段を明確にしない。④現場や場所を詳報しない。⑤見出しをセンセーショナルにしない。⑥写真や映像を使わないなど。現在では、多少ガイドラインからそれた報道を目にすることはあるものの、多くはこのガイドラインをほとんどの報道機関が遵守してるといえる。

 二十五〜三十年ほど前にさかのぼってみると、当時の自殺報道はこれらの勧告からはかけ離れたものだった。九八年五月、元X・Japanのhideこと松本秀人さん=当時(三三)=が自宅で首をつって自殺した時、テレビ朝日や日本テレビなどの民放ニュース番組やワイドショーも、その自殺を詳しく伝えた。首をつったという手法も伝え、葬儀・告別式の様子、泣き叫ぶファンの姿などが連日、ワイドショーで映された。結果、葬儀が行われた築地本願寺の境内で後追い自殺を図るファンが出るなどした。また、同年二月二十五日には、東京都国立市谷保のラブホテル内で、社長三人が首をつって自殺。その時もテレビ、新聞は詳細な情報をありのままに伝えた。一部週刊紙では、最後に食べた食事がなんだったかまでをも伝えるほどだった。〇〇年四月には、巨額の負債を抱えて倒産した大手百貨店「そごう」の阿部泰治副社長=当時(六三)=が神奈川県鎌倉市の自宅で自殺。当然、詳しいそれをこぞって報じた。

 〇〇年以降、インターネットが普及するにつれ、自殺サイトが媒介役となる自殺が起きるようになる。〇三年二月十一日には埼玉県入間市下藤沢のアパートで、同市内の男性、千葉県船橋市の女性、神奈川県川崎市の女性ら三人が練炭を使って自殺する無理心中事件が起きる。当然、テレビ各社、新聞各社共に「インターネットを舞台とした自殺事件」として大きく扱った。ネットだけに限らず、このころは一般人のそれも普通に報じられていた。〇二年三月の前橋・上毛大橋からの投身。〇〇年の新宿・京王デパート投身など、すべて手法、場所、詳細が報じられるのが当たり前だった。

 自殺報道が問題視されるようになったきっかけは〇八年。前年に神奈川県秦野市のアパートで、トイレ用洗剤と入浴剤を混ぜて硫化水素を発生させる自殺が起き、本人と助け出そうとした一家二人が死亡する事件が起きた時、よりにもよって報道機関はその詳しい状況を報じてしまった。また、昼のワイドショーでは丁寧にも「インターネットに方法を解説したサイトがある」と紹介した。結果、同年にその方法を模倣したとみられる自殺者数は千七人(前年比九百四十八人)となった。

 一一年にタレントの上原美優さん=当時(二四)=が自殺した時、報道機関は従前どおりの報道をした。その直後に自殺者が急増したことをうけ、当時の清水康之・内閣府参与は「報道の影響力をわかっていない」と報道各社に抗議した。それ以降、報道機関が自殺を扱う時には慎重な姿勢を見せるようになる。特に、一般人の自殺はその社会的影響や被害が大きくない限りは報じないなど、一種の報道の自制が効き始めた。

 しかし、二〇年のコロナ禍の最中、俳優の三浦春馬さん=当時(三〇)=が自殺した時、一部の報道機関はそれをそのまま伝えた。量こそ少なくなったとはいえ、一部のワイドショーは自宅前からの中継を行うなどの報じ方をした。これを重く見た厚生労働省では、再三にわたり自殺報道ガイドラインを遵守した報道をするよう関係者に呼びかけた。

 これ以降、報道機関は極力それに沿った報じ方をするようにした。「自殺」という言葉を用いず、「亡くなる」、「急死」と置きかえる。自宅や関係先には取材をしない。生前の様子をテレビで取り上げないなどの配慮がなされるようになった。

 これらの報道機関の姿勢の変化も、自殺者数の減少に一役買っていると考える。事実として、過去の自殺報道のそれは、ガイドラインとは大きく逸脱するようなものだった。涙にくれる遺族や関係者の様子。生前の映像。出棺する霊柩車の映像などは、当時はあたりまえだったが、今の目線で見れば大きく非難されるだろう。

◇ 自殺者が減る一方 

警察庁発表「令和4年中における自殺の状況」より


 数字を見る限り、自殺者は明確に減少している。警察庁の統計を見ると、一二年以降は減少し、令和元年に多少の増加傾向をみせたものの、二万前半台に落ち着いている。しかし、この自殺者数のデータそのものが懐疑的であるとした研究も存在している。一九年開催の第四十二回日本自殺予防学会総会で発表された「自殺死亡率は本当に減少しているのか」では、次の三点が指摘されている。①自殺死亡の誤報告・過少報告の問題。②原因不明・不慮か故意か決定されない事件の存在。③変死体数。

 ①の自殺死亡の誤報告・過少報告では、続く不慮か故意か決定されない事件があり、その中では実際には自殺である事件が存在していることに触れている。また、②では、〇五年以降「診断名不明確及び原因不明の死亡」が一貫して増加傾向にあり、一〇年以降も自殺死亡者の数が減っているのに対して自殺者数との差があることを指摘した。〇五年ごろから男女を問わず「その他の診断名不明確及び原因不明の死亡」が増えており、特に男性は立会者のいない死亡の数が有意に増えていることにも触れている。③の変死体数の指摘では、〇九年に一万五千七百三十一体だった変死体数が、翌年に一万八千三百八十三体に増え、一二年には二万二千七百二十二体に増えていることを挙げた。これらを踏まえ、警察庁の自殺集計で〇九年以前に自殺として扱っていた事案を、それ以降明確な遺書がないなどの理由から変死体として計上する傾向があるのではないかと指摘する。ただし、変死体数は二万体台で推移しているものの、集計方法を変えただけと単純に説明することはできないとしている。特に新型コロナウイルス感染症が拡大した二〇年以降は、変死と計上された中で実際にはコロナ関連死、その他の病死であったケースが増加していることが考えられるため、一概に自殺者数との乖離を関連付けることは難しい。

自殺予防と危機介入 第39巻1号(2019) 42pより

◇ 自殺の原因にこそ光を

 日本の自殺者数はついに二万人台前半となった。報道機関における自殺の扱い方も大きく変わり、一つの自殺が次の自殺を引き起こす「連鎖自殺」を起こしかねないようなセンセーショナルな報道は今日の新聞紙面でも、テレビでも見かけなくなった。とはいえ、それでも二万人が自ら死を選んでいることには変わりない。昨年だけで、単純に計算するなら一日約五十八―六十人が自ら命を絶っていることになる。鉄道を使った自殺。以前より少なくなったとはいえ、まだ存在するネット上のそれを模倣した事例など、様々なものがある。警察は、人が死んだ時にそれが自殺であると結論付ければその時点で捜査を終え、遺体を遺族に引き渡すか、引き取り手がなければ自治体に任せる。しかしながら、自殺報道の自粛にははらむ問題点は、なぜその人が死を選んだのかという根本的な背景を解き明かすことを困難にしていることだろう。自ら死を選ぶ時、その裏にどのような葛藤や苦悶があったのか。それは経済的な理由、虐待、いじめ、失業だったのか。そしてなぜ、死を選んでしまったのか。もちろん、一人が死んだことを一件ずつ調べ回っていたら、紙面も足りなくなるし時間もなくなる。とはいえ、時にはなぜ人が死を選んだのか、原因がなんであったのかに光を当てるような報道をすることも重要ではなかろうか。昨年死んでいった二万千八百十八―。それぞれの自殺の動機、理由はなんだったのだろう。それに迫るような報道は、寡聞にして知らない。社会的な影響がある自殺が時折テレビで報じられても、わずか一分足らずで終わり、最後に厚生労働省のガイドラインに沿った、健康相談の電話番号を写して終わる。それが自殺を防ぐ最後の方法とは、とても思い難い。

 人の死を面白おかしく暴くことには当然反対するが、その死を紐解くことで、見えてこなかった社会的な問題があるかも知れない。時には「死」というものを「考える」ようなことも、必要ではなかろうか。一人の自殺未遂経験者として、そう思う。


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