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論点「科学と人間」

  前回の「近代と前近代」に深く関わっているのが、「科学」の存在だ。「科学」の普及により、人々の生活や経済、はては生き方にまで大きな変化が起こった。

1. 科学万能論

 近代化による科学技術の発展で、人々は「物質的な豊かさ」を手に入れた。たとえば、工場では、1人の職人がすべての製品を作るやり方から、分業で1人ひとつの工程を担当するようになる。これにより、熟練の技の廃止、短時間・低価格の大量生産が可能となった。医療では、病気の原因を分析し、治療ないし交換を目指すようになった。このように、科学がさまざまな分野で活躍した。やがて、「すべて科学的方法で解決できる」という「科学万能論」が叫ばれるようになった。

2. 科学の有限性

 科学を語るうえで欠かせないのが、「再現可能性」だ。「再現可能性」とは、「同じ条件の下で同じことを繰り返せば同じことが生じる」という考え方である(理科の実験も同様。条件と手順が揃えば結果も同じになる)。この「再現可能性」を徹底し、科学の「法則」を見出すためには、抽象的な事柄を排除しなければならない。
 ところが、私たちの人生における体験や心情は、どんなに同じように条件を揃えてもそのとき1回きりのものであり、「再現可能性」をもたない。つまり、排除の対象となる。

 となると、「かけがえのない生命」「その人らしさ」「多種多様な個性」といった人生を送るうえでは大切だけども、とりかえのきかない要素(「再現可能性」をもたない要素)までもが不要と判断され、すべてが画一化される。いうまでもなく、このような行き過ぎた合理性が疑問視されるようになる。

3. 科学と文学

 人類が画一化され、個性が消し去られる状況は、人間にとって不幸である。科学はその合理性によって、「文明」を発展させ、豊かな生活を実現した。しかし、人類を幸福にするはずの科学が、地球環境の破壊人間らしさの喪失といったかたちで、いつしか不幸を生むという矛盾を起こすようになった。ゼロか100かではなく、人類は科学が実生活におよぼすバランスを計っていく必要に迫られた

 そんななか、「文学」は科学によって切り捨てられた「一度きりしかないもの」、つまり、人間らしさを担う存在として注目されるようになった。科学による「物質的豊かさ」と文学による「精神的豊かさ」が対比的に扱われるのはこのためである。

4. おわりに

 いうまでもなく、超頻出である。おもしろいのは、「科学」単品で扱われる以外にも、人間の精神や人間らしさ、近代化と合わせて語られるという点だ。つまり、「近代と前近代」「科学と人間」といった論点はそれ単体で完結するのではなく、それぞれが関連し、影響し合っているということだ。そしてその根本には「近代化」がある。これは、基本的に受験国語の評論に「近代」以降の文章しか出題されないことに関係しているのであろう。
 であれば、「近代」以降の論点を抑え、それぞれの影響関係を理解することが、評論読解の近道となるだろう。

*例によって図解を載せておく。

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