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フォーの味変、を考える。


とある日、少し小洒落た場所でフォーをいただいたら、スープもあっさりしていて、麺も私の好きな柔らかめで、疲れた胃にはとても美味しかったのだけれど、味変できるものが卓上になく、かつ、何かありませんかと聞く雰囲気でもなく、味変したい欲が満たされなかったことがありました。

大概のベトナム料理には路上の屋台から高級レストランまで、卓上で自分で調味できる調味料やタレが添えられているので、私もそれを使う習慣が当然のごとくあり、その時はちょっと物足りない感はあったのです。

が、そういった調味料をスープに加えることで、具体的に 味が変わったという味覚の部分と心の満足は、私は得られるけれども、人によっては`これでいいのか?これは美味しくなったのか??`という不信につながるケースもあるのではないか、とふと思いました。
(文章を書いていて)

 味を変えるという行為を誰に何を言われるでもなく、自分で自分の好みにすることを成し遂げた!という満足する気持ちの部分を取っ払って、味だけにフォーカスした場合、卓上の酢を入れ過ぎて、なんだか酸っぱくなってしまったとか、ヌクマムを入れ過ぎてしょっぱ過ぎた。唐辛子が思いのほか辛くて食べられなくなった、などという事態になっても、‘ちょっと味変に失敗したので、スープ入れ直してもらえませんか?‘とは言いずらいであろう。

そもそも`ちょっと入れる`の加減が難しいものでもある。

そして、私のようにベトナム料理を生業にしていたら、一度や二度手元が狂って残念なフォーを食べることになったとて、その後何度も食べるのであるから、まあ大した問題ではないのです。

しかし、今まで自国のものしか食べたことなく、人生で初めてフォーを食べる、あんまり料理にも詳しくない、そんな方が調味料による味変がうまくいかなかった場合、それがその後のフォーを選択肢に入れるか否かの分かれ目にすらなるかもしれない。大袈裟だけど。`なんかあれ、美味しいもんでもなかったなー、ややこしいし`と脳裏に焼き付いたら、次に手を出すのにはハードルが上がるものですよ。


そう考えたら、冒頭の小洒落たお店でのフォーは味変という魅力がない代わりに、戸惑いは、ない。 蕎麦屋で出てきた蕎麦を食べるのと同じで、もう特に自分でどうこうすることはない、お店の人が美味しいものを出してくれるんだろうという、安心感。


作った人が`これがベスト`という状態を出すフォー、そういう形態もあるんだな、と思いつつ、とはいえ、私はこれまで通り、味変調味料は出すだろうけれど、
説明をもう少し丁寧にしようと、反省しておくのでした。


フォーについて考えた2022年8月初旬のある日

ベトナム料理研究所 ユキ



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