「生はいとしき蜃気楼」茨木のり子さんの詩より

「生はいとしき蜃気楼」
4月19日。月曜日。
4月も中旬を過ぎ、
明日は20日を迎えます。
日本列島は桜前線が北上していて
最近は仙台や盛岡あたりで満開となり始めています。
東京の桜はすっかり散ってしまい
葉桜になってしまっています。
桜を見ると
夢を見ているかのような気分になりますね。
そういった気分を
よく表現した詩があります。
私が大好きな茨木のり子さんの詩です。
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「さくらふぶきの下をふららと歩けば
 一瞬名僧のごとくわかるのです
 死こそ常態
 生はいとしき蜃気楼と」(茨木のり子)
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茨木のり子さんは、
高校時代、私が熱中して読んでいた詩人です。
現代詩、というジャンルの表現力の
奥深さ、広がりを初めて知って衝撃を受けました。
少し前の日経新聞のコラムに出ていた一説ですが、
久しぶりに読みましたが感動ですね。
「ふららと歩けば」
という表現もすごいですね。
「生はいとしき蜃気楼と」
という所には生への洞察と哀切、愛おしさが溢れるほど込められていて
涙がこみあげてきました。
そうです。
「生は愛しき蜃気楼」
です。
なんと美しく切ない一節なんでしょうか。
茨木のり子さんの詩にはいつも心揺さぶられます。
茨木のり子さんの「さくら」という詩の全文を書きます。
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「さくら」
       茨木のり子
ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞(かすみ)立つせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と
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「さくら」は茨木のり子さん、60歳代に書いた詩です。
茨木のり子は、私にとって天使の様な詩人でした。生涯を通じて清冽な人生をおくりました。
15歳で戦争が始まり、19歳で終戦を迎えます。
私が、茨木のり子さんの詩との出会いは、
あまりにも有名な「わたしが一番きれいだったとき」という詩でした。
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「わたしが一番きれいだったとき」
                茨木 のり子
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
              ね
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「だから決めた できれば長生きすることに」と謳った茨木のり子さんは
2006年、ご自宅で脳動脈瘤破裂によりたった一人で亡くなっています。
79歳でした。
私が彼女を知ったのは私がまだ高校生の頃。
彼女は50代くらいでした。
日本語の表現、現代詩の表現力に衝撃を受けました。
茨木のり子さんは遺言で、
「私の意志で、葬儀・お別れ会は何もいたしません。
この家も当分の間、無人となりますゆえ、
弔慰の品はお花を含め、一切お送り下さいませんように。
返送の無礼を重ねるだけと存じますので。
“あの人も逝ったかと”一瞬、たったの一瞬思い出して下されば
それで十分でございます」。
と残したそうです。
「できれば長生きることに」と謳った天使。
79歳という年は現代では長生きとは言えませんが、
十分に生きた一生だったのではないかと思います。
「生は愛しき蜃気楼」
です。人は生まれ、人は生き、人は死ぬ。
その繰り返しの中で私たちはご縁を得て、
絆を繋ぎ、愛を育み、別れます。
人の営みは、なんと愛しい蜃気楼でしょうか。
蜃気楼の営みに全てを賭けて懸命に生きる
人間(この世の生き物)の愛しさ、に思いを馳せます。
私もこの蜃気楼の生を、力いっぱい駆け抜けたいと改めて思いました。
私も一生懸命に生きます。
それでは。


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