伊集院静さんの「ミチクサ先生」の泣ける話をちょっとだけ紹介します。 ~日経新聞朝刊の連載小説~

毎朝、日経新聞文化面に連載されている伊集院静さんの「ミチクサ先生」を楽しみに読んでいます。

夏目漱石こと夏目金之助が主人公の明治青春物語です。
現在、愛妻鏡子との新婚生活から英国に留学に出る下りのあたりですが、とても美しく感動的なエピソードがあったので、今日はご紹介します。
詳しくは、単行本が出てから、ちゃんと買ってじっくり読んでみてください。私も買います。(笑)
第五高等学校の若き教頭クラスであった夏目金之助は、公費英国留学生に選ばれ、一度東京の実家に戻ってきます。英国に旅立つまでの束の間の時間を利用して親友の正岡子規の根岸の家に会いに行くシーンです。
金之助は、日本橋で子規の好物の鰻を持っていきます。子規は病気が重くなってからも、鰻丼を3杯食べるほど鰻好きでした。

子規はひさしぶりに蒲団から出て、庭の見える縁側に腰を下ろし、金之助の持参した日本橋の鰻を美味そうに食べていた。
「やはり美味いのう。河岸の町の魚は新鮮じゃ。」
――あいかわらず味覚にはうるさい奴だ。

「ミチクサ先生」とは夏目漱石こと金之助の事。人生のミチクサこそが醍醐味とする風流な先生として描いています。大学予備門で正岡子規と出会い、俳句や小説への興味が増して人生の方向性が決まっていきます。漱石と子規は生涯を通じての盟友であり親友でした。
 正岡子規が主人公の小説と言えば、若いころ20回は読んだ司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」です。
「坂の上の雲」は、司馬遼太郎さんの代表作です。愛媛松山の貧乏士族の正岡子規と、秋山好古、真之の青春群像。秋山好古は、日露戦争で、当時無敵と呼ばれたロシアのコサック騎兵を騎兵隊で迎え撃ちながら馬を捨てることで破り、真之は、有名な日本海海戦を参謀として完全勝利に導きます。
 そして正岡子規は、日本の俳句に革命をもたらします。
 正岡子規、という人は、感情量、特に愛情量の多い人だったようで、喜怒哀楽が激しかった様です。大真面目で努力家でありながら、瓢げたところもあり、ユーモラスなところも愛されました。多くの友達、仲間に愛されました。
 そして子規を語る時、多くの人は泣きました。私も泣きました。
「坂の上の雲」は文庫本で8冊あります。特に1巻と8巻が良い。
8巻は涙なしには読めません。
 私も、証券会社時代、辛い苦しい夜、何度も何度も読み返して勇気をもらいました。
 正岡子規の文学上の一番の畏友であり親友だったのは、その書簡の多さからも夏目金之助だったと思われます。
今回紹介したいのは「ミチクサ先生」の中の、子規と金之助の最後の別れのシーン。
子規は美味しそうに鰻を食べてその後、金之助と久しぶりの時間を楽しみました。そして帰り際のシーンです。

 辞去しようとした金之助に子規が声をかけると、「ああ、そうだ」と思い出したように、金之助は短冊を手渡した。
 秋風の1人を吹くや海の上
 旅立つ心境を詠んだ句だった。
「おう、そいか。秋風を連れて、金之助君は海を渡って行くか。」
「そうだ。君の心をあたためる陽差しはここに置いて私は行くよ。」
「そいか。いよいよ、君は行くか。」
 その声に金之助は立ち上がった。
 二人の最後の別離であった。

 伊集院静さんは、子規と金之助の生涯の別れをこのように書いています。
 子規はその後、病で亡くなり、金之助は英国で精神的に病んでのたうち回り、日本で小説家として開花します。
「君の心をあたためる陽差しはここに置いて私は行くよ。」
という言葉以上に病んだ友にかける言葉を私は知りません。
 金之助と子規の美しい友情に泣かされました。
 「ミチクサ先生」は単行本が出たら買って何度も読み返したい本ですね。
 

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