こっち向いてよ

金曜日の夜。23時。オレの隣で蘇枋が寝てる。
いや、そう見えるだけで本当に寝ているのかはわからない。蘇枋はオレに背を向けてあっちを向いているから。

まあ、オレにとってはどっちでもいいけど…
オレはなんの躊躇いもなく蘇枋の布団に忍び込む。蘇枋の体にかかったタオルケットを、自分の方にも引き寄せる。そうして後ろから蘇枋の背中に腕をまわす。オレはこうするのが好きだった。蘇枋のいい匂いに包まれる。安心できて落ち着く。
今夜もまた、オレは蘇枋をしっかり抱きしめた。


ある日の放課後
見回りを終え、帰り道が同じ蘇枋と歩いていた。あたりは薄暗く、空はどんよりした雲に覆われていた。明らかに雲行きが怪しかった。案の定、数分で雨が降り出した。ポツポツと雨粒が落ちてきたかと思うと、途端に大粒の激しい雨に変わった。

気づけば、蘇枋とともに自分の家に猛ダッシュしていた。傘を持っていなかったが、あったとしてもこの雨じゃどのみち濡れていた。オレたちはびしょ濡れになって帰ってきた。

その日、蘇枋はオレの家に泊まることになった。服も靴もぐしょぐしょで、雨も止みそうになかった。こんな状態で帰らすのもなんとなく気が引けて、オレから誘った。人生初めて人を泊める。そんなこと夢にも思わなかったが、最初に泊めるのが友達の蘇枋で嬉しい感じがした。

オレたちは順番にシャワーを浴びて着替えた。蘇枋にはオレのスウェットを貸した。寝巻きは自分の分を含めて2着しか持っていないからそれしかなかった。

「桜、今日は泊めてくれて助かったよ
ありがとう」

「おう…」

「夕飯はオレが作るよ
冷蔵庫の中見ていい?何かあるもので作れればいいんだけど…」 

「いいけど、お前料理できんの?」

「うーん、まあほどほどに…凝ったものは無理だけど
あ、卵とハムがある!冷凍のご飯もあるから…
炒飯にしようか?どう?」

「おぉ…いいよ」

そう言って蘇枋は炒飯を作り始めた。オレは蘇枋が料理するのをそばで見ていた。蘇枋が料理する姿なんて、普段目にすることがないのでオレは興味津々だった。

軽くフライパンを振りながらを具材を炒めてく。その一連の動作を蘇枋はスマートにこなしていた。まるで料理人みたいな手際の良さ。たかが炒めるだけなのに、蘇枋がするといちいちカッコよく見える。

「さ、できたよ」

そう言って、出来上がった炒飯をちゃっちゃとお皿に盛り付ける。卵とハムのシンプルな炒飯。味は塩コショウのみ。それがめちゃくちゃ美味しかった。

「うまっ!」
「ふふ、よかった〜」

蘇枋はオレの食べっぷりを見て満足そうに笑う。
その顔はとても穏やかで優しかったので、逆に恥ずかしくなる

「お前ももっと食えよ」
「いいよ、あと全部あげる。桜が美味しそうに食べているのを見てると、それだけで満足しちゃうんだ〜」

数口しか食べない蘇枋を、マジで草食なんだな、と思いながら、彼の分の炒飯も平らげ完食する。

その夜、蘇枋と一緒に寝ることになった。仕方ない。布団なんて一枚しかないから。最初、蘇枋は床でいいと言って聞かなかった。

そういうところ遠慮するんだよな、こいつ。

あまりにも頑ななので蘇枋が床ならオレも床で寝ると言えば、やっと折れてくれた。そうしてお互い背中を向けて狭い布団のなかで横になった。

オレはその夜全然寝付けなかった。変に蘇枋を意識してしまう。背中合わせだけど、しっかりと感じる温もり。ちょっとでも動けば体が触れてしまう。だからと言って別に悪いわけではないけど、なんとなく身動きがとれなかった。布団に入ってからずいぶん経った気がしたが、スマホを見たらまだ1時間しか経っていなかった。

蘇枋はもう寝たのかな、なんて思っていたら、それに応えるように声をかけてきた

「眠れない?」
「ん」

そうして蘇枋は寝返りを打ち、こちらを向いたのがわかる。

「おいで」
「は?」

意味がわからず振り返ると、蘇枋が両手を広げてこっちを見ている。暗がりではっきりと顔が見えないが、なんとなく優しい雰囲気だった。

蘇枋はすっと腕を伸ばしオレの体を抱き寄せた。

「は?なんだよ…」 
「いいから」

オレは全身を蘇枋に包まれた。蘇枋より体が小さいオレはすっぽりと彼の腕の中におさまった。その力は強くなくて、オレを優しく包み込んでいる。振り払って抜け出すこともできたのだが、オレはそうしなかった。

蘇枋の匂いがあまりにも良すぎたから。それはふんわりとわずかに香る程度のもの。人間の体から、それも男からこんないい匂いがするものなのか。疑いたくなるほどそれは心地のいい香りだった。思わずスンスンと嗅いでしまう。 

これが蘇枋の匂い。ちゃんと意識的に嗅ぐのは初めてだった。普段から隣にいるので蘇枋の匂いを知ってはいた。なんかいい香りがする。その程度で特に気を留めていなかった。

でも今は違う。こんな近くで、こんなにたくさん…  

オレは蘇枋の胸あたりに顔をうずめる。
いいなこれ。
蘇枋の匂いは落ち着く。 
すき…

「桜、オレの匂い好き?」
「ん、すき…落ち着く」
「そっか…」

普段なら抱きしめられたら恥ずかしくて怒るか、逃げ出していただろう。でも今は、それどころじゃなかった。このいい香りをもっと味わいたかった。ひかえめな香りがいい。決して強くなくて、自然に鼻をくすぐる。

オレは次第に心地良くなって眠くなってくる。いつのまにかオレの頭を撫でている蘇枋の手も気にならず、目を瞑る。

「おやすみ、桜」

どこか遠くの方で優しく呟かれる声がする。オレはゆっくりと眠りに落ちた。


次の日、目を覚ますと蘇枋は居なかった。跡形もなく消えていた。本当に隣で蘇枋が寝ていたのかと疑いたくなるほどだ。

何も言わずに出て行くなんて…そう思ったけど、よくよく考えると、オレも結構すごいことしちゃったな。変態くさいこと……

はぁー…
まあ、勝手に帰ってくれてよかったかも

どんな顔をして蘇枋と朝を迎えたらいいのかわからなかったから、結果的によかったのかなとおもう。


この日を境に、蘇枋はオレの家に定期的に泊まるようになった。そのほとんどが金曜日。次の日が休みなので朝寝坊しても大丈夫ということで。

何がどうしてこうなるんだろ?
オレはわからなかった。
何でオレの家に蘇枋が泊まるの?

尋ねてみても
「桜はオレが泊まるの嫌なの?」と、逆質問で終わる。

「別に、イヤじゃないけど…」 
「ならいいじゃん!さぁ、行こう」

蘇枋にどういう意図があるのかわからない。いや、本当は意図なんてないのかもしれない。あいつはそういう奴だ。気まぐれでものを言い、気まぐれで好きなことをする。相手が拒まない限り、主導権を握り相手を思い通りに動かす。今のオレはまさにそれだった。

オレは深く考えず蘇枋を泊めることにした。元々何を考えているのかよくわからない奴だから、真面目に考えるほど無駄な気がした。

蘇枋が泊まりはじめて変わったことと言えば、オレの家に布団が一枚増えたこと。蘇枋専用の。さすがに一枚の布団で一緒に寝るのは勘弁なので、放課後に蘇枋と買いに行ったのだ。

それともう一つの変化。
蘇枋は寝る時に必ずオレに背を向けて寝るようになった。そっちの方が寝やすいのかもしれない。それで別にいいんだけど、でもなんか……

初めて蘇枋が泊まった日も、初めは背中を向けていた。オレもそうだった。でもアイツからこっちを向いて手を伸ばしてきた。それでオレもあんなことをしてしまった。

それを気にしているのか、いないのかはわからないけど、あれ以降、蘇枋はオレの方を向いて寝ない。

別に蘇枋がどう寝ようと、オレが気にする必要はないのに…わかっているのに…
それでも、なんで?と思ってしまう。

暗闇で蘇枋の薄い背中を見るとどうしても
「こっち向いてよ」
と言いたくなってしまう。 

寂しいとか、構ってほしいとか
そういうのとはちょっと違う。広く言えばそういうことになるのかもしれないけど…

オレはただ、蘇枋に自分を見てほしかった。
せっかく隣にいるのに、どうして背中を向けるんだよ。
オレを見ろ!こっちを向け!

そうやって彼と寝るたびに、その背中に訴える。一人、背中をじっと見て、心の中でつぶやく。この虚しさがわかるだろうか。オレがどれだけ心の中で蘇枋を呼んでも、その思いは届かない。 

こんなに目の前に背中があるのに
手を伸ばせば触れられる距離にいるのに
どうして君はそんなに遠く感じるのだろう

「すおぅ…」
「ん…」

小さいけど返事があるからまだ起きている。

「こっち、(見て)」
「…」

はっきりとは言えてないけど、言葉にしても届かない。ちゃんと「こっち向いて」と伝えたら、振り向いてくれるのだろうか?

オレはそう言いたいけどできなかった。拒絶されるのが怖かった。もしも、蘇枋にちゃんと伝えたとして、それを拒否られたら…

それは絶対にあってはならない。オレは立ち直れないだろう。蘇枋に拒絶されるのだけはイヤだった。怖かった。

だから、オレは伝えることを諦めた。その代わりオレから蘇枋を抱きしめるようになった。蘇枋がオレを見てくれないのなら、オレから歩み寄るしかない。言葉にできないなら、行動で示す。そしていつしか、勝手に蘇枋の布団に入り込み、その背中を抱くようになった。

蘇枋はオレのことを怒らなかった。嫌なそぶりもみせなかった。ただオレの好きなようにさせた。
オレが背中に触れても、顔を押し付けても、何も言わない。

初めは別々の布団で寝たフリをして、時が来ればオレが蘇枋の布団に入り込む。そして彼を抱きしめていつの間にか寝ている。

オレは次第に目的がわからなくなっていた。
何がしたかったんだっけ?

本当は蘇枋にオレを見てほしい。そう思ってこんなことをしているけど、なんかもうどうでもよくなっていた。

蘇枋を抱きしめて、近くに彼の温もりを感じるだけで満足していた。自分を見てくれなくても自分が抱きしめることで、それを受け入れてくれている。それだけで十分な気がした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

23時。今夜もオレは蘇枋の布団に勝手に入り、背中に腕を回す。

広い背中は案外薄い。そこにそっと顔をくっつけて蘇枋の低い体温を感じる。

「すおぅ…」
意味もなく名前を呼んだ

「ん…」

小さな返事に安心する。返事をしてくれるだけで嬉しい。夜の蘇枋は、昼間の蘇枋とはまるで違う。昼間が太陽なら、夜は曇りだ。

ベールにでも包まれているかのように、蘇枋のことが見えない。わからない。蘇枋が何を考えいるのか、オレのことをどう思っているのか。

聞きたいけど聞けない。怖い。
そんなやりきれない思いを振り払うように、オレは蘇枋をぎゅっと抱きしめる。

今では当たり前になった行為。自分が誰かを抱きしめるなんて…後にも先にも、蘇枋だけだろう。
それくらいオレの中で蘇枋は特別だった。もっと近づきたい、なんて思ってしまう。

蘇枋の腹のあたりで組んでいた手を、何気なく服の下に滑り込ませる。下着の下に手を入れると、ひんやりした肌に触れた。ほんの一瞬、蘇枋の背中がピクッと動いた気がした。

抵抗がないことをいいことに、オレはゆっくりと自分の手を動かす。冷たい肌が気持ちよかった。顔は背中に、手はお腹に当てて撫でるように触る。そうしてぎゅっと力を入れて蘇枋を挟み込んだ。オレは全身で蘇枋を抱きしめていた。

「すおぅ…すき」

言うつもりも、思ってもなかった言葉が口からこぼれた。言葉にして初めてわかった。蘇枋に対する感情。「好き」。オレは蘇枋のことが好きなんだ。純粋にコイツのことが好きなんだ。

オレの中で特に深い意味はなかった。「特別」な存在。大事な人。大切な人。強いて言えばそういう意味だろう。

その時、我慢できなくなったのか蘇枋の手がオレの手に重ねられた。

「すおう…なぁ、こっち向いてよ」

思いがけず言っていた。あれほど恐れて言えなかった言葉が、いまは口をついて出る。何となく、言うなら「いまだ」と思った。蘇枋がオレを見てくれそうな気がした。

そんな期待に応えるように、蘇枋はゆっくりとオレを振り返る。暗闇の中で動く気配と、オレを見つめる視線。

「さくら…」
「おいで」

あぁ…。初日とおんなじだ。あの時もこうやって蘇枋が手を差し伸べてくれた。今度は迷わなかった。オレは真っすぐに差し出された腕の中に抱きついた。

思い出される蘇枋の温もりと匂い。背中を抱きしめているときには感じない、安心感がある。

落ち着くな…これ。
やっぱり好きだ
蘇枋の匂い。蘇枋の全てが…
すき。

「さくら、オレも好き」
オレの頭を撫でながら、初日と同じ柔らかな声で言う。

蘇枋のとった今までの行動…
何で背中を向けるのか
何でオレを見ないのか

今なら何となくわかる。たぶんオレに気づかせたかったのだろう。自分の気持ちに。オレが蘇枋を好きだと。ちゃんと自覚してほしかったのだと思う。

オレは理由をあえて聞かなかった。コイツなりのやり方だと思ったから。不器用で言葉足らずでわかりにくい。それでもおれは、コイツの行動を蒸し返すことはしなかった。

蘇枋も自分の気持ちを伝えてくれた。それで十分だった。もしかしたらオレと蘇枋の言っている「好き」はちがうのかもしれない。それでもよかった。

人を初めて「好き」だと思えた。幸せな気持ちで心がいっぱいになる。蘇枋を、好きな人を、こんなにも近くで触れている。

これが幸せなんだ。

「すおぅ、すきだよ」
「さくら、オレも好き」

互いに手を伸ばし、お互いの頬に触れる。蘇枋が優しく微笑むのがわかる。

オレは安心してと瞼を閉じる。今感じている蘇枋の温もりが明日の朝も続いていることを願って、オレは眠りに落ちた。







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