もっと知りたい

あの日のことが頭から離れない。
初めて楠美先輩の声を聞いた日。
耳元でそっと囁かれた声は想像を超える可愛さだった。
それは声だけ聞いたら女の子と勘違いしてしまうほどで、その声だけで人を惹きつけられるのではないかと。
囁かれたセリフと相まって、その時の楠見さんはどこか色っぽい雰囲気があった。
あのとき先輩はどんな顔をしていたのだろう?
そんなふうにして蘇枋はいま、教室の窓から外を眺めてあの日に思いを馳せる。

「すおちゃん何見てるの〜」
気配を感じさせないで近づいた桐生が隣に立って、窓の外を見る。
「あ、梶さんと楠見さんと榎本さんだね。どこ行くんだろう?」
「さあ」
校庭を歩いている三人は校門を抜けて学校の外に出ていくところだった。
昼休みに出ていく理由がわからず蘇枋は軽く流す。
「あの三人、仲良いよね」
誰もいなくなった校庭を見ながら蘇枋はつぶやく。心の奥で羨ましい気持ちを噛み締めて。
「それを言うなら、すおちゃんたち三人も仲良しでしょ〜。いつも一緒にいるじゃん」
意外そうな顔をして桐生が答える。
「まあ、そうだけど」
「なになに〜何か気になることでもあるの?」
「いや何もないよ」
あんまり言うと余計なことを漏らしそうなので、早々に切り上げる。
そのときちょうど、さっきの三人が校門を抜けて学校に戻ってきた。
「あ、戻ってきた〜あれ?何か持ってるね。ペットボトルかな」
段々と近づいてくる3人の輪郭がしっかりしてきて、それぞれの手にはペットボトルが握られているのがわかった。
「確か、校門の隣に自販機があったね」
蘇枋が思い出しながら言うと
「なるほどね。でも何でわざわざそっちまで買いに行ったんだろ?校内にも自販機はあるのに」
桐生のもっともな疑問に、蘇枋も心当たりを探してみる。
そういえば、この前桜君が例の自販機で桃の炭酸を買ってたな…梶にあげるって言ってたっけ?
確か、ここの自販機にしか売ってないから何とかって、言っていたような。

昇降口までたどり着いた三人は奥に消え、蘇枋たちからは見えなくなった。

行っちゃったな…
榎本さんは楠見さんの顔を知っている。
きっと梶さんも。
三人にとってお互いが特別な存在だから。
オレが桜君やにれ君に思うのと同じように。
第三者のオレが梶さんや榎本さんに敵わないことはわかっている。
それでも、楠見さんの声を、秘密を知ったいま、先輩のことをもっと知りたいと思ってしまう。
声だけじゃなくて、顔も見たい
そんな図々しいことを考える自分を楠見さんはどう思うだろう?

「よお一年たちぃ」
教室に戻るであろう榎本たちが1-1の前を通りすぎる時に、前の扉から顔を覗かせる。
ほんの一瞬、楠見が榎本の後ろからひょっこり顔を出したのが見えたけど、蘇枋の存在にはたぶん気づいていなかった。
次は後ろ扉の前を通り過ぎるからそちらに目をやると、梶と榎本さんの後ろを歩く楠見さんが見えた。
そのまま行ってしまうなと少し残念に思っていたら、楠見が扉の前でピタッと立ち止まるので慌てる。
楠見はゆっくりと振り向いて窓辺に立つ蘇枋を見る。
どこか笑っているような顔で、もとからそこにいることを知っていたように迷わずに蘇枋を見たから、心が少し乱れる。
蘇枋の動揺をよそに、楠見が口を開こうとするのがわかったので、蘇枋はその口元に集中する。
小さな口ををぱくぱく動かして、
(教室から見てたの、バレバレだよ)
と、たぶんこう言った。
蘇枋は呆気にとられてポカンと楠見を見つめていると、楠見は口を緩めて小さく笑いペットボトルを持った手を軽く振って扉から去って行く。
その手には蘇枋が好きな伊藤園のほうじ茶が握られていた。

「すおちゃん?」
横でやりとりを見ていたらしい桐生に声をかけられて我に返る。
桐生を見れば、何かに勘づいたのか面白いものを見たというように目を細めて蘇枋を見ていた。
目ざとい彼の前で迂闊なことをしてしまったと少し後悔したけれど、それよりもさっきの楠見さんの反応が頭を離れない。
楠見の手のひらで転がされているような、蘇枋を面白そうにイジる彼のこと。
普段は自分がそれをするタイプなのに、楠見の前ではいつもの自分でいられなくなることに、蘇枋はそのとき初めて気がついた。


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