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Corrugated House Opening Talk Event  9/10


9/9-10に行われたコルゲートハウス オープンを記念するトークセッションの2日目のレポートをお届け致します。

2日目の登壇者は、遠藤秀平さんと倉方俊輔さんです。前日と同じように、数日間ここでアーティスト イン レジデンスとして制作活動をするアーティストの小川貴一郎さんを交えての開催です。

〈登壇者 〉
・9/9(土)
五十嵐太郎(建築史家・東北大学大学院教授)
光嶋祐介(建築家)

・9/10(日)
遠藤秀平(建築家・神戸大学名誉教授)
倉方俊輔 (建築史家 ・大阪公立大学教授)

 
〈アーティスト〉
小川貴一郎
2020年、暮らしを楽しむために渡仏フランスへ移住。以来人の鼓動”バイブス”と出会いながら風の時代を謳歌し各地域でアートイベントをゲリラ的に行っている。6歳の頃、ロンドンのパンクムーブメントに強烈な影響を受け、洋服に絵を描き始めたのが芸術との出会い。22年間建築の世界に従事し、2017年に芸術家として生きていく覚悟を決め独立。2018年イタリアの高級ブランド、FENDIより世界の5人のアーティストに選出され、マイアミで世界にたった一つのPEEKABOO BAGを発表したことが話題となる。
 
本日の登壇者である遠藤さんと倉方さんをコルゲートハウスの内部、外部へとご案内し、日が暮れた頃、この日の参加者と一緒に少し早めの食事をしながらワインを開け、和やかな空気の中でコルゲートハウスへのそれぞれの感想とこれからの意味などについてディスカッションしました。
 

空間の読み解き


小川 : 便利ということでいうと、自分のアトリエで描く方がもちろん便利です。道具も全て揃っていますし。ですが、ここでしか描けない絵があるな、と思います。ここにいると、空間の持つエネルギーと、ある種 「狂人」であるような、また体制から独立しているような思想を持つ川合健二さんのエネルギーを隅々からビシビシ感じます。

そういうものを感じながら創作できるのは幸せなことで、まるでそのエネルギーとキャッチボールのようなセッションをしている感じがして、空間にのめり込んでしまいます。
 
ここはまるで楽器の内部にいるような、または母親の胎内にいて自分がそこで瞑想しながら浮かんでいるような、そんな異空間にいる感覚です。安心・安全・快適な家ではなく、自然と共存しているような家ですね。


倉方:
川合さんが見ていた「単位」が違うのだ、と感じます。建築家はどうしても「建築」をつくってしまうのですが、これはあきらかに建築家ではつくり得ないものです。まず、使われているのが建築を構成している単位の部品ではないのです。全く違うところの単位のものを組み合わせていて、それがこの建物の特徴で、唯一無二のものです。
 
だからこそ、こうして残されて「体験できるもの」として再生されているということに多くのニーズがあると思います。


可能性と意味を発生させる装置


___
遠藤さんはこの日の前日に、9日に登壇した五十嵐さんと光嶋さんと遠隔で、ある質問を通して談義をされていたとのことでした。その質問とは、五十嵐さんには「リアリストの川合健二さんの今日的可能性は何か?」。また光嶋さんには「川合健二さんと石山修武さんの最大の違いは何か?」でした。

これらの質問にお二人はどんな答えを遠藤さんに送ったのでしょうか。それは皆さんの想像にお任せ致します。


遠藤 :
今回、ご縁をいただいてここに来させていただいて良かった、と感じています。つくづく石山修武さんにとって川合健二さんと出会ったことが大きかったのだということが分かります。

また、今日一番感じたことは、建物の周りで行われている様々な循環を作る活動、サステナビリティー、土、果樹、地域やその産業との関係など、それらを含めてこの建物なのだということです。
 
そしてこれは、本来ある広がるべき可能性を引き出し、意味を発生させる装置なのだと感じました。こういうことが「モノをつくる」ということなのだということ。
 

福島 : これから先にこの場所を通してどんな風に進めていくのか、という視点に立ったとき、どんな捉え方があると考えられますか?


倉方 : 私はこういう使われ方はすごく良かったと思います。いわゆるデザイナーズ住宅や建築家のコンセプトを持つ建物に泊まるのとは違って、この場所に向き合い、その人が瞑想するようにここで答えを見つけ、自分で発見していく。川合健二邸がそういう体験が持てる場所として宿泊施設になったとき、他の建築では出来ないものになると感じます。
 

遠藤 : 川合さんはものすごい「ビッグピクチャー」を持っていました。島国の日本にいるとどうしても狭くなり、ここに住む人間の特性で小さいところに価値を持ってしまう傾向があるのですが、川合さんはそういう狭さ、小ささを感じさせずに物事を考えていたことが実感できます。

真のツーリズムへ


___「”商品”で溢れる都会」という、現代社会のひとつの側面を見ながら、コルゲートハウスについて様々な角度、切り口でディスカッションが続きます。住宅についても、完璧さを求められる「商品」であるような在り方から、人間を育み、生きているオーガニックなものへの在り方の可能性へ。

 
倉方 : 「建築ツーリズム」というのは、建築を 「つくる・使う」ではなく「受け取る・鑑賞する」という視点でツーリズムを捉えた仕組みです。「受け取る」ことこそを創造行為だとしたときに、その中で出会った建築によって人生が変わったりすることがあるのだと思います。

物を作らなくても、誰しもが建築や都市としての視点を持って物事を考えること。そしてそれは「リベラルアートとしての建築」とも言え、建築に伴う土地や社会との様々な関係性や視点も持ち方、応用の仕方、生かし方などの学びの対象にもなるものだと思います。
 

遠藤 : 我々の生きる力は、商品の価値や意味を競い合うような「繊細化」ではないのです。この場所は社会の「繊細化」に足をすくわれない大事な場所になると思います。人はそもそも弱いので、自分の知っているものにしか出会いたくない。聞いたことがあるものを受け取って安心するのもある種の「繊細さ」です。
 

倉方 : 自分の枠組みに収まらないものに出会ってしまうこと。石山修武さんが川合さんに出会ったことはそういうことだったのだと思います。
 
 
___未知のものに出会い、未知の自分に出会うことこそが「真のツーリズム」。
 

よりよく生きるための究極の機能とは


倉方: 
この建物は基本的に建築ではなくて「装置」として作られていますね。コルゲートパイプですし。そこに人が中に入って居住する機能を作ったわけです。
 

小川 : 僕も自分の作品を「装置」だと捉えているところがあります。ぐるぐるとしたたくさんの円を描くモチーフがありますが、その円自体が作品ではなく、人がその穴の向こう側に見て想像するものがあります。僕はそこと観る人をつなげる作品を作っているのだと考えています。

建築とアートの違いは、建築には「住む」という機能があるけれど、アートには必ずしも機能があるわけではありません。
 

倉方 : 私の考えでは「より良く生きる」ための究極の機能があるとするならば、アートは「より良く生きる」という機能を持っていると思うのです。


___「より良く生きる」という人間の究極のテーマとアートとの関連への考えを聞かせていただき、力をもらいます。皆さんとのディスカッションはこの後もさらに続きました。「来て楽しい!と思うような建築はなかなかないですよ。」と仰った遠藤さんの奥様。一同、まさに同感。

こうして再生したコルゲートハウスが、川合健二さんが亡くなった後も人を出会わせ、私たちを学ばせてくれています。本日も楽しく和気あいあいとした空気が流れていました。
 
 



制作/FOOD FOREST

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