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私の祖母への気持ち


冬の土用の入り。
祖母の訃報が届いた。

祖母は、今の私を作り、支え続けてくれた、一番の理解者だった。


一言で言うと、柔和な人。
怒るところは覚えている限り見た記憶がない。
にこにこしていて、茶目っ気のある、創作も抜群に秀でている人で、なにかあったら、なにもなくても、

「ああ、話したいな」

と、往復一日かけて、会いに行くこともあった。


旦那との結婚の話の時。
実のところ、父は乗り気ではなかった。
そのため、旦那は自信を持てず、実家にも行くときは緊張していた。
そんな旦那が「救われた」と言った、祖母の言葉がある。

「ふたりは、ご先祖様が引き合わせた相手だからね」

会いに行くたび、そう話して、にこにこいろんなお話をして。
旦那も祖母が大好きだった。
長距離でも「会いたい」と運転してくれた。
会うと安心するのだという。ほっとするのだと。

昨年8月末、みんなで集まって、祖母も施設から呼んで、大宴会を母の弟夫婦(祖母の家)で開催した。
最初、億劫だったのか、行きたくないと言ったのを、連れてきた結果、

「楽しかった」

としみじみ言っていたという。
祖母の周りに、子ども、孫、ひ孫が揃ったのだ。本当に楽しかったのだと思う。

だが、その後から祖母は急速に弱っていった。
常から「やることがあるから、この世にいる」と、「全部終わったら、逝く」と話していたから、

「準備をしている」

直感で思った。

私はその時から、笑顔で祖母を送る心構えを始めた。
会えるときは会いに行き、会えないときは電話で話し、思い出を作った。
そのうち、パーキンソンのために動くこともつらくなり、言葉も出にくくなり、寝たきりになった。
それでも、電話で「もしもし、ばあちゃん?」というと、嬉しそうに「ああ、メムちゃんかい?」と返事してくれて、それが聞きたくて、折を見てかけていた。

母に、「ばあちゃん、話すのも大変だから」と控えるように言われたが、うつサポ。さんの記事でばあちゃんのことに触れていただいたこともあり。




ばあちゃんに、報告がてら、昨年12月初めに電話をした。

「もしもし、ばあちゃん?」
「ああ、メムちゃんかい?」
「あのね、ばあちゃんの言葉を取材しに来てくれた人に話したって、言ったでしょ。その記事ね、インターネットっていう世界中の人が見えるところに置いてもらったの。
ばあちゃんの言葉、世界中に広まるよ」

それを聞いて、祖母はとても喜んで、

「ああ、よかった。よかった」

と何度も何度も繰り返した。
ジャムを煮ていたので、その話をすると、料理していることをほめてくれた。

それが、最後の会話になった。


祖母は、僧侶の資格を持っていたので、装束は黒い衣を身に着けた。
お化粧をするとき、私は何もできないから、メイクならできそう、と立候補した。
三色あるチークの中から、一番自然で時間が経っても血色がよく見えそうな色を選び、頬にブラシを滑らせた。
98歳という年齢とは思えないほど、つるつるできれいな肌は、その時もそのままで、白さが少し増したくらいで。
そこに血色感を加えたら、とてもきれいだった。

今にも起きそうなのに。

目は開かなかった。


お通夜は、大宴会になった。
楽しいことが好きな祖母のお通夜。
楽しくみんなでお酒を飲んで、語って、みんなばあちゃんが生きているかのように楽しく過ごした。

葬儀、告別式の後。
出棺のときに、初めてみんなが泣いた。
号泣したり、号泣してなくても、みんな目が真っ赤で。
けど。

――私は、笑顔で祖母を見送る。

準備を始めたと気づいたときから、そう決めて、ストレスがかかろうが、うつが悪化しようが、終わるまでは笑顔でいようって。
そう決めていたから、ちょっとだけ泣いたけど、祖母の顔が見えてるときには、泣かなかった。
前日に、睡眠薬を飲んでも眠れないほどストレスで負荷がかかっていたが、私はやりきるつもりで、斎場で逝く時も、

「いってらっしゃい」

と声をかけた。

追善法要も終わり、一度祖母の家に戻り。
祖母が遺した、というものを見ようかと、パラパラ見たときだった。
父が、

「お前なんか、率先して見る必要ない」

と言った。


お前なんか。


私の、昨年からの心の芯を、そこで折られた。
みんなで見ようか、と別室へ移動して、姉、妹、いとこたちと見ていても、大好きなばあちゃんの筆跡で、言葉なのに、笑顔が出ない。
甥っ子、姪っ子に話しかけられても、笑えない。

――限界だ。

旦那を呼んで、帰りたいと話し、帰宅の挨拶は気力を振り絞って、笑顔でした。
玄関先で、ずっとばあちゃんを見てきた、おじさんのお嫁さんに、
「メムちゃん、あんまり無理するんじゃないよ?」
と肩に両手を置かれて、言われた。
振り返らずに笑って、玄関を出てから無表情になった。
妹たちが外出するというので、そこでももう一回がんばって笑って見送って、車に乗り込んだ。


泣いた。

堪えきれずに。

帰りはずっと泣いていた。
もう終わったし、泣いてもいいよね、って。


ばあちゃん。
私、12月の電話の時、暖かくなって雪が溶けたら、会いに行くから、それまで元気でね、待っててねって、言ったよ?
100歳まで生きてね、って言ったよ?
もっと、いっぱい話したかった。
もっと、ばあちゃんに名前を呼んでもらいたかった。
笑顔で褒めてほしかった。
がんばってるね、えらいねって。
もっと、もっと。

もっと、ずっと一緒にいたかった。

ばあちゃん。


ありがとう。



今日のおやつは、ばあちゃんの好きな、おはぎにするね。
旦那と一緒にがんばって生き抜いて、寿命までがんばって生き抜いて。
そっちへ行ったら、ばあちゃんに会って、褒めてもらうんだ。


よくがんばったね、って。



それまで。

少しだけ、待っててね。

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