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『胡桃の箱』15 売られた写真


東京に帰ってから、芳名帳に書かれていた住所の場所を探してみた。そこは、都心に建てられたビルだった。

僕はマウンテンバイクを停め、空調の利いたビルのエントランスに入ってみた。

エレベーターの前には、ビルに入っているテナントの表示がある。芳名帳の住所は、やはり事務所のもののようだ。

このビルのワンフロアーが、白石はるみの所属事務所になっているらしい。しかし中に入ったとしても、彼女に会うことは不可能だろう。

不審者扱いされるのも嫌なので、そのまま帰って来た。


二日後、直樹からLINEが来た。

「『週刊文潮』見た?」

「何で?」

「白石はるみが載ってる」

「別に興味ないけど」

「そっか」

直樹に興味がないと返信したものの、少しは気になった。
僕はコンビニで弁当を買うついでに、『週刊文潮』を買って来た。

弁当を食いながら中を開くと、『幻の白石はるみ』というページがあった。ソファにもたれ掛かった女性の写真は、若いころの白石はるみらしい。上目遣いの大きな瞳が印象的な、ちょっぴり小悪魔系の美人だった。

記事によると、二十一年前に彼女は一年間、芸能活動を休止していたそうだ。写真は、活動休止期のものらしいということだった。まあ、別に驚く内容ではない。

けれど写真をよく見ると、驚愕の事実が写っていた。

彼女が座っている特長的なフォルムのヴィンテージソファは、一点物が好きな古城家の別荘にあったものと似ている。いや、それどころか部屋の内装や、窓枠の形が、軽井沢の別荘そのものじゃないか。

これはいったい、どういうことなのだろう。写真は、秋人パパが撮ったものなのだろうか。

しかも今頃、こんな写真が掲載されるなんて。源ちゃんは、何か知っているだろうか。

僕は源ちゃんに電話をかけてみたが、留守番電話になっていた。

「もしもし、春人です。よかったら電話下さい」

すると、すぐに電話がかかってきた。

「もしもし春人?電話した?」

「ああ、『文潮』の写真のことで何か知ってるかなと思って」

「写真って、白石はるみのやつ?」

「うん、まあ。源ちゃん、見た?」

「ああ、見たよ。実は俺も気になっててさ、春人に連絡しようかどうか迷ってたんだ」

「あの写真って、秋人パパが撮ったのかな?」

「春人も、そう思う?」

「うん。写真に写っている部屋も家具も、見覚えがあってさ。軽井沢の別荘で撮られたみたいなんだよ」

「だとしたら、やっぱり秋人さんが撮った写真だろうな」

「でも秋人パパの写真が、なんで今頃『文潮』に載るんだろう」

「うーん、誰かが写真館から盗んだのかな」

「でも最近盗まれたのは、箱だけだよ」

「もしかしたらさ、あの箱の中に写真が入ってたんじゃないかな。盗まれたタイミングとかも合うしさ」

「それじゃ、秋人パパが箱を燃やせって言ったのは」

「箱の中に、白石はるみの写真が入っていたからかもしれないな」

なんだか面白がっているような源ちゃんの様子に、気分が悪くなってきた。

「忙しいのに、邪魔してごめん」

「いや何かあったら、いつでも連絡してこいよ」

「うん、ありがとう」


考えれば考える程、僕の知らない叔父の一面が露わになったような気がして、悲しくなった。

父親がいなくても、秋人パパさえいればいいと思ってきた自分が、叔父の事を独り占めしているかのように勘違いをしてきた自分が、滑稽に思えた。

叔父の笑顔も優しさも、自分だけに向けられていた訳ではなかったのだ。

楽しかった日々、大切な思い出が、あっという間に色あせていく。その悲しさが、叔父が居なくなった寂しさよりも大きくて、辛かった。

そして、さっきからネットニュースがじゃんじゃん流れてくる。

『白石はるみ、活動休止中に極秘結婚していた?』

『強面カメラマンと過ごした軽井沢での日々!』

さっそくマスコミが、面白がって騒ぎ出した。こんなニュースは、見たくもない。


僕はスマホの電源をオフにして、外に出た。何も信じられない。何も信じたくない。ただあてもなく、ただマウンテンバイクを漕ぎ続けた。

気がつくと、この前来た芸能事務所の前に来ていた。何でこんな所に来たんだろう。馬鹿馬鹿しくなった僕は、自転車の向きを変えて元来た道を走り出した。

その時、目の前に一台のタクシーが停車し、若い男性が降りてこっちに向かって走ってくる。誰だろう。

「すみませーん、古城さんですか?」

「あ、はい」

「すみません急に。私、佐々木と言いますが、白石はるみのマネージャーをしております」

 男性は、名刺を手渡してきた。

「はい」

「あの、ちょっとお時間よろしいでしょうか」

「あ、はい」

僕はマウンテンバイクを駐輪場に停め、男性が捉まえた別のタクシーに乗り込んだ。

「どうして僕の名前をご存知なんですか?」

「ああ、先ほどのタクシーに白石と乗っていたんですが、彼女が古城さんを見つけられて、私に連れてくるようにと言われたんです」

「よく僕が分かりましたね」

「渋滞でノロノロ運転だったからでしょうね。『自転車の方が速いですね』なんて話してたら、我々を追い越したあなたの自転車が戻って来たんですよ。そしたら、あれって」

「にしても、」

「あの人の直感って凄いんです。ダイヤの原石を探し当てる眼力っていうか」

「はあ」

「彼女に声をかけられて、俳優になった人もいますしね。ところで、連絡先を伺ってもよろしいでしょうか」

「あ、どうぞ」

僕らは、連絡先を交換した。ほどなくしてタクシーは、とあるマンションの地下駐車場に停まった。

「ここは、ご自宅なんですか?」

「いえいえ、仕事で借りている部屋ですよ」

「ああ、なるほど」

「部屋の番号は、これです。では、私はここで」

そう言うと、マネージャーは僕だけを降ろして行ってしまった。僕はエレベーターに乗り、マンションの最上階で降りる。

その階の部屋は一つだけで、エントランスの床は白い大理石で出来ていていた。

インターホンを押すと、ガラスの自動ドアが開いた。

「いらっしゃい、来てくれてありがとう」

白石はるみ本人が、出迎えてくれた。芸能人に出迎えられるのは、不思議な感覚だ。

「スリッパ、履いてね」

「どうも」

明るい応接間に案内され、ソファに腰を下ろした。

「まさか東京で春人君に会えると思っていなかったから、もうびっくりしちゃって」

「よく僕の顔がわかりましたね」

「私、人の顔を覚えるのは得意なの。それに春人君に会いたいって、ずっと思っていたのよ」

「はあ」

「何飲む?アイスティーでいいかな?」

「はい、お願いします。あの、なんて呼んだらいいですか?」

「ああ、私のこと?はるみさんでいいわよ」

「わかりました」

はるみさんは、女優にしては気さくだ。しかも一度しか会ったことのない若造の僕をもてなしてくれるのが、不思議だった。

「どうして、僕に会いたかったんですか?」

「あなたも知っているでしょう。私の昔の写真のこと」

「『文潮』のやつですか?」

はるみさんは、ため息をついた。

「あの写真、私も始めて見たの」

「部屋の感じが、うちの別荘とすごく似てたんですけど」

「そう、軽井沢で秋人さんが撮ってくれたからね」

「やっぱり、そうか」

知りたくない情報だった。

「でも、何故それが他人の手に渡ったのか知りたくて」

そこで僕は、源ちゃんから聞いた木箱の話をした。そして燃やされるはずだった木箱が、何者かに盗まれたことも話した。

「ということは、他にも写真が流出した可能性があるってことよね。困ったなあ」

 その言葉に、腹が立ってきた。

「困る写真でもあるんですか?叔父とは、どういう関係なんですか?」

僕は、聞きたかったことを聞いた。すると、はるみさんは笑い出した。

「まさか、ネットニュースを信じちゃってる?あんなの、全部フェイクに決まってるじゃない。ひどいわよね。私がカメラマンと熱愛とかなんとかでしょ」

「でも、叔父がうちの別荘で撮った写真なんでしょう」

「そうよ。撮影場所としてお借りしたからね。いい所よね」

「本当に、それだけですか?」

「やっぱり、疑ってるんだ」

はるみさんは、気を悪くしたようだ。

「私ね、九十年代にアイドルユニットで活動していてね。でも忙しすぎて精神的にツラくて、二十四歳の時に抜けちゃったの。そんな時に写真集の仕事があって、秋人さんにお世話になったのよ」

「叔父が、東京で働いていた時ですか」

「そうよ。でも結局、その写真集は出版されなかったの。だから、その時のことを活動休止期間って言われているみたいね」

 彼女は、残念そうに言った。

「まあマスコミは、面白おかしく書くのが仕事だから仕方ないわね」

「僕も葬儀の時に泣いているはるみさんを見て、てっきり叔父の恋人なのかと思ってましたよ」

「あら、想像力が豊かね。私って感情の起伏が激しいから、そんな風に見えちゃうのかな」

「本当に何でもないんですか?」

僕は、念を押して聞いてみた。

「秋人さんはカメラマンとして尊敬していただけで、それ以上でもそれ以下でもないわ」

はるみさんは、きっぱりと言い放った。

僕の想像は、間違っていたのかもしれない。そう思うと、少しだけ気持ちが和らいだ。

しかし相手は女優だ。嘘をつくのは、お手のものだろう。彼女の話を全部信じるのは、まだ早いかもしれない。

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