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『胡桃の箱』29 真実は、

 その晩、母から電話がかかって来た。

「今日は、はるみちゃんと何か話した?」

「何かって何?」

「いや、特に何って訳じゃないんだけど」

歯切れの悪い母の物言いに、苛立った僕は短刀直入に聞いてみた。

「ねえ、白石はるみって、うちと親戚なの?」

「そうよ」

 母は、あっさり答えたので拍子抜けした。

「えっ、そうなの?今日、聞いてみたら笑って誤魔化されたんだけど」

「まあ、そうだろうね」
「そうだろうって、どういうこと?」
「あの人の本名、教えようか」
「そういや俺、芸名しか知らないもんな。母さん、本名知ってるの?」
「知ってるよ」
「へえ、そんなに仲いいんだ」
「仲いいっていうか何というか」
「まあいいや。それで?」
「彼女の本名はね、『古城はるみ』なの」

「えっ?古城って、どういうこと?」

 嫌な予感がした。

「はるみちゃんはね、」
その次の言葉は、大体想像がついた。
「はるみちゃんは、秋人の奥さんなのよ」

「わあ、最悪。聞かなきゃ良かった」
一番、聞きたくなかった言葉だ。でも、それが真実らしい。

母の話は、こうだった。

白石はるみは、元はアイドルグループに所属していたそうだ。それが途中で脱退して叔父と結婚し、軽井沢の家に住んでいたらしい。

その時に彼女の名前は、「古城はるみ」になった。そして驚くことには、なんと子供までいたそうだ。

「ええっ?そうなの?なんか、すんげえショックなんだけど」

僕は、何とも言えない気持ちになった。

「でも、その子供は何処にいるんだろう?その子は、自分の母親のことを知っているのかな?」

「ううん、その子は、自分が白石はるみの子供だって知らずに育っているの」

「まあ、その方が幸せなのかもね」

「あのね春人、一回しか言わないから、よく聞いてね」

「なに?」

「秋人とはるみちゃんの間に生まれたのはね」

「うん」
「ええっとね」
「何だよ。早く言ってよ」

「あのね春人、」
「うん」
「実は、あんたが秋人とはるみちゃんの子供なの」

「えっ?どういうこと?僕は、母さんの子供じゃないってこと?父親は死んだって言ってたけど、秋人パパが本当の父親だったってこと?」

「そういうことなの」
「そういうことって何だよ」

僕は、頭がこんがらがってきた。

「えっ?なんで?今まで皆で俺を騙してたってこと?」

「ごめんね」

「いや、待って。わざわざ、そんな面倒なことする必要ある?」

「そう思うよね」

「なんで?それって、酷くない?」

「酷いよね。ほんとに酷いと思う。でも酷いことをしたのは、あんたを守るためだったの」

母は、泣いているようだった。

「こんな話、秋ちゃんがするべきなのにね。面倒なことを私に押し付けて亡くなるなんて、ずるいよね」

「俺も、秋人パパの口から、事実を聞きたかったよ」

白石はるみは、芸能活動を辞めた後に結婚した。しかしその直後、父親が事業に失敗し多額の負債を抱えることになる。

彼女は父親の連帯保証人になっていたので、借金返済のために仕方なく芸能界に復帰することにした。
ただ事務所が出した復帰の条件が、結婚していることと子供がいることを世間に隠し通すことだった。

「もちろん、秋ちゃんは大反対だったのよ。『俺が一生かけて借金を払うから、芸能界なんて辞めてしまえ』って。でも負債額が、とても私たちが一生かけても、払える額じゃなくてね」
「だろうね」
「彼女は秋ちゃんと生まれてくる子供を、債権者とマスコミから守るために苦渋の決断をしたの。本当に、可愛そうだった」

 母は、すすり泣いた。

「ごめんね、涙が止まらなくなっちゃった」

「いいよ。泣いて」

 母は、鼻をかんだ。

「はるみちゃんは、事務所が手配した病院で極秘出産してね。そして生まれたばかりの春人を、私に託したの。私は、春人を自分の子供として、出生届を出したのよ」

「それでか」
僕は溜息をついた。
「実は大学に入る時に、提出資料で戸籍謄本を取り寄せてさ。よく見たら筆頭者の名前が母さんで、父親の名前がなかったから驚いたんだよ」
「そうだったの」
「でも母さんには聞けないし」
「ごめんね」
「俺、随分悩んだんだよ。母さんが酷い目に遭って望まない妊娠をしたんじゃないかって」

「そっか。そう思ってたんだ」
「なんか怖くて秋人パパにも聞けなかったんだよな。でも聞いときゃ良かったなあ」
「そうねえ」

「秋人パパも、自分が実の父親だって言ってくれたら良かったのに」

「けど自分からは、話せなかっただろうね。彼女との別れを、見てるのも辛いほど悔やんでたからね」

「そうなんだ」

「でもね、はるみちゃんは、春人を守るために私に託したのよ。それはね、子供の幸せを願う母親の愛情と覚悟なんだと思うな」

「そうなのかな」

 衝撃的な事実に心底驚いたが、不思議と嫌な気持ちはしなかった。母と話しているうちに、ずっと僕の中に滞っていた塊が、少しずつ溶けていくのを感じた。

僕は、生まれてからずっと騙されながら育ってきた。でも騙されていたからこそ、幸せな子供時代を過ごせたのかもしれない。

今まで叔父だと思い込まされていた人が父親で、母親だと思っていた人は伯母だったとは。なんてヘンテコな家族なんだ。そう思うとおかしくなったが、ヘンテコなりに過ごした時間は幸せだった。

「はあ、驚いたなあ。でも秋人パパが、俺の本当の父さんで良かったよ。ずっと、そうだったらいいなって思ってたしさ。秋人パパは、最高の父親だったからね」

「そうだね」

「でさ、」

「うん」

「俺の母さんは、母さんだからね」

「ふふふふっ」

母は、笑った。それで良かった。それで、十分だった

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