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『凸凹息子の父になる』13 不思議な能力


 翔太は大きくなるにつれて、益々じっとすることができなくなってきた。彼は、ゆっくり歩くということができない。常に走っていないと気が済まないので、足も速くなった。
 小さい頃は走り回るのを捕まえて止めることができたのだが、三歳を過ぎると足が速すぎて、捕まえることが出来ない。

 そんな息子を連れて出かける時は、周囲の白い目に晒されることは覚悟しないといけない。
 買い物に行っても、一人でさっさと走って先に行ってしまう。そして一人で店中を隅から隅まで走って回り、気が済むと戻って来る。

 ショッピングモールだと、ランニングコースの様に軽く二周ほど走ってから戻ってくる。
 それが毎度のことで、追いかけても捕まらない。捕まえても、手を振りほどいて走り出す。
 
 ただ息子は、方向感覚が優れている。だから、今までに一度も迷子になったことがない。初めての場所でも、テーマパークや地下街の入り組んだ店の並びも、瞬時に把握して元の場所に戻って来れる。
 だから、息子が戻って来るのを待つより他はなかった。

 上の娘たちは、小さい頃から私たちの言うことを大抵は理解して聞いてくれたので、育て易かった。
 公共の施設に連れて行っても、人の迷惑にならないように社会のルールを守る子どもたちだった。

 そんな娘たちだったので、子どもは大人がきちんと教えれば、きちんと育つものだと思っていた。
 だから、公共の場所で走り回ったり大声で騒いだりする乱暴な子どもを見ると、親の顔が見てみたいと呆れていたものだ。

 ところが翔太を育てて初めて、親の躾がまったく通用しない子どもがいることを知ったのだ。
 そして、そんな子どもを育てることが、如何に大変かということを身をもって体感した。
 じっとできない子どもを持った親たちは、日本という同調圧力の強い国においては、常に肩身の狭い思いをしているということを。

 翔太には何度も社会的なルールを説明をしたが、全く理解できないようで、妻も私もお手上げ状態だった。
 罰を与えたとしても、理解のできない子どもに罰を与えても意味がない。
 行き過ぎた躾が、虐待に繋がらないとも限らない。
 それぞれの子育てには、それぞれの当事者にしか分からない苦労がある。

 話が、一切通じない息子。彼の見た目は地球人だが、実はエイリアンなのかもしれない。そんな気さえする。

 それならいっそ、エイリアンを育てているんだと開き直ることにしよう。
 そして目の前にいるエイリアンは、上の娘たちと同様に、私には何よりも大事な存在だ。

 他人の視線を気にしたって、どうせ百年経てば、お互いこの世からいなくなる。
 だったら、たとえ世間から駄目な父親の烙印を押されようとも、私は翔太との大事な一瞬、一瞬を楽しんでやろう。
 そう思うと、少し気が楽になった。


 翔太は運動能力が高く、疲れることを知らない子どもだ。落ち着きが無いのは、体力を持て余しているせいかも知れない。
 ならば有り余るエネルギーを発散させるために、体を動かせる環境を整えてやろう。

 上の娘たちは、バレエを辞めた後から体育教室に通っていたが、翔太も姉たちと一緒に通わせることにした。送迎バスも、家の前から出るので便利だった。

 何度か子どもたちの様子を見学に行ったが、見学者の殆どは母親だった。それでも我が子が、家の外でどんな風に行動しているのかを見るのは面白かった。

 体育教室ではマット運動や跳び箱や平均台の上を歩いたり、飛んだり跳ねたり楽しく活動していた。それでも翔太はエネルギーが余っているようで、家に帰っても動き続ける。

 家の中には、スポーツ用具も増えてきた。翔太はトランポリンで飛び跳ねていたかと思うと、今度はバランスボールでも跳ねて転がってと、とにかく忙しい。

 家の階段も遊び道具になり、下りる時は必ず下から二段目か三段目でジャンプして下りる。もう少し大きくなると手すりを滑り下りるようになる。
 翔太は赤ん坊の時から、階段をマトモな下り方で下りたことがなかった。落ちるか、飛ぶか、滑るかの何れかだ。


 秋になり田んぼの稲刈りも終わる頃、土曜と日曜の二日かけて農協のお祭りがある。
 トラクターや農耕機械の見本市がメインだが、他にもいろんな出店が沢山あり、地元のいろんなサークルの出し物もあった。

 朝から花火が打ち上げられ、大音量で音楽が鳴っているので、子ども達を連れて覗きに行った。

 近所の子供たちも沢山来ており、大賑わいだった。
 焼きそば、たこ焼き、焼き鳥、焼きとうもろこしなどの店が、香ばしい匂いをさせている。他にもクレープやソフトクリームなども美味そうだ。
 我々も列に並び、食べ物を買い求めた。ベンチもあったので、そこに座り、買ったものを広げて楽しんだ。

 一通り食べ終わると翔太は走り出して、あちこち見て回る。私と妻はベンチに座ったまま、走り回る息子を見失わないように目で追った。
 他の子どもたちも走りまわっていたので、翔太の行動はさほど目立ってはいなかった。

 我々から少し離れた所で翔太が楽しそうにはしゃいでいると、年配の男性から声をかけられている。
 どうやら男性は少し酒に酔っているらしい。ちょっと心配になったが、二人はすっかり意気投合して

「ひゃっはー」

 と笑い合っている。すっかり翔太は、酔っ払いに気に入られてしまった。

 しばらくすると、翔太が戻って来た。なんと、その手には千円札が握られている。
 先ほどの男性から貰ったようだ。私は慌てて男性を探し、お金を返そうとした。すると男性は

「よかよか、こんな所で返されたら格好悪かけん、しまっとかんね」

 と言って受け取ってくれない。仕方がないので、有り難く頂戴することにした。

「おい、坊、また明日も来んね」

 と男性は言ったが、また何か頂いても申し訳ないので、翌日は祭りに参加しなかった。

 息子は初対面の人でも、言葉ではなく感性で通じてしまう不思議な能力を持っていた。

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