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『胡桃の箱』19 もう一枚の写真
はるみはゼンマイが見つかって以来、寝る前にオルゴールを鳴らすのが日課になっていた。そのメロディーを聴いていると、どこかで聴いたことがあるような、隠されていた記憶の断片が、過去から語りかけてくるような気がする。何の曲だろう。
蓋の内側には、曲名が刻印されたパネルがはめられているが、あまりに古すぎて文字がよく読めない。
はるみは蓋を傾けて、パネルの文字を読もうとした。すると、金属のパネルと蓋の間に紙のようなものが挟まっているのが見えた。
「何かな?」
気になった彼女は、キャビネットの引き出しから。メガネ用の小さなネジ回しを取り出した。
ネジ回しでパネルのネジを外すと、パネルの下から角の折れた小さな写真が出てきた。
「あれっ、ここにも写真?」
写真はセピア色に変色していて、かなり古そうだ。それは、軍服姿の西洋人の写真だった。
「誰かな?」
この写真も、秋人がここに隠していたのだろうか。また一つ、謎が増える。
写真を裏返すと、鉛筆でロシア文字が書かれている。はるみはスマホの翻訳機能で、調べてみた。
「ミハイル アクセノフ。えっ、ミハイル アクセノフ?」
それは、この若者の名前だろうか。よくある名前なのかもしれないが、はるみは胸騒ぎがした。それは、物心ついた時から幾度となく耳にした名前だった。
はるみの祖母の雪乃は、以前こんな話をしていた。
「はるみちゃんのおじいちゃんはね、ミハイル・アクセノフって言うの。ロシアの人だったのよ」
「へえ。じゃあ、おばあちゃんってロシア語話せるの?」
はるみは、祖母に訊いた。
「それがね、全く話せないの」
「それなのに結婚したの?」
「そうよ。そんなことも気にならないくらい、いい男だったからね」
祖母は遠い昔を懐かしんで、うっとりとしている。
「おばあちゃんの叔母さんに、桃子おばさんっていう函館の女学校を卒業したハイカラな人がいてね。その人に手紙を書いて、使わなくなった辞典を送ってもらったの。ミハイルは英語が出来たから、私は辞書で英単語を調べながら、やりとりしてたのよ」
「なんか、ステキ」
「素敵でしょう。初めは、夢のように楽しかったな。でも、あなたのお父さんが生まれて間もなく、いなくなっちゃったのよ」
「どこ行っちゃたんだろう」
「ほんと、どこ行ったんだろうねえ。悲しくて悲しくて、ずいぶん泣いたわね」
「おばあちゃん、可哀そう」
「その時にね、辞書も無くなってたの」
「それって、ミハイルさんが持って行っちゃったんじゃない?」
「そうだと思うわ。でもね、ミハイルが辞書を持っていると思うと、今でも繋がってるって思えるの」
「ふうん」
「お互いずいぶん年取っちゃったけど、いつか会えるんじゃないかしら。その時に、思い出の辞書を持っていてくれたら、すぐにミハイルだって分かるでしょう」
祖母は、物事を前向きに捉える人だった。
「おじいちゃんの写真とかあるの?」
「それがね、残念なことに一枚も無いのよ。ほんとに綺麗な顔してたから。見せたかったわ」
少女の様に残念がる祖母だったが、急に真顔になった。
「だけどはるみちゃん、男は顔で選んじゃだめよ。おばあちゃんは、それで苦労したんだからね」
「うん。気をつけるね」
亡き祖母とのやりとりは、こんな感じだった。祖母は、明るくて優しかった。そして、ハンサムな男性に目が無い人だった。
はるみは、じっと写真の若者を見つめた。
「なんか、おばあちゃんの好きそうな顔だなあ」
それに何といっても、はるみの父親の茂に、そっくりだった。
見れば見るほど写真の若者は、祖母の生き別れた夫のミハイルに思えてくる。でも何故、この写真が、古城家のオルゴールのパネルに隠されていたのだろう。
彼女は、その軍人の写真を、キャビネットの引き出しにしまった。そしてパネルを元通り、オルゴールに取り付けた。
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