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『凸凹息子の父になる』2 長女と次女の世話

 家に戻って来た。私は眠っている娘たちをベッドに運び、自分も二人の隣に横になった。そのまま二時間ほど眠ると、朝になっていた。

 チビたちは、まだ寝ている。私は若干、首に寝違えたような痛みを覚えながら、二人を起こさないように起きた。今日は、月曜日だ。朝食は何にしようか。
 先ず台所でコーヒーを飲み、目を覚ました。次に冷凍庫から、ピザトーストと冷凍イチゴとラップに包まれたご飯を取り出す。
 このイチゴは、春に農家の方のご好意で、子供たちと収穫させてもらったものだ。その量が一度に食べきれない程だったので、ヘタを取ってジップロックに小分けして冷凍していた。
 私はピザトーストをトースターで焼き、冷凍イチゴと牛乳をミキサーにかけてイチゴミルクを作る。我ながら、頑張った。
 そして娘たちを起こしに行く。

「おはよう、朝だよ。起きて」

 もぞもぞと芋虫のように、二人が動き出す。
 しばらくして、妻の姿を探しながら次女のあんりが聞いた。

「ママは?」

「ママはね、きのう赤ちゃんが生まれて病院にいるよ。あんりは、お姉ちゃんになったんだよ」

 次女は、怪訝そうに私を見た。まだ状況が、飲み込めていないようだ。

「じゃあ、かれんは?かれんは何になったの?」

 長女も聞いてくる。

「かれんは、赤ちゃんのお姉ちゃんのお姉ちゃんだよ」

「かれんはおっきいお姉ちゃんで、あんりちゃんはちっちゃいお姉ちゃん?」

「そうだね」

 長女の質問攻めは、まだ続く。

「じゃあ、ママのお腹にあと何人赤ちゃん、入ってるの?」

「さあねぇ、あと10人くらいかな」

 適当に答えると

「ええーっ?」

 長女が枕を放り投げた。

「ええーっ?」

 次女も真似して枕を放り投げる。

 長女からすると、妻のお腹から次々と赤ん坊が生まれて来るのが不思議なのだろう。

「さあ、朝ごはん食べて。保育園に行くよ」


 朝は本当に忙しい。私は子供たちにパジャマのまま食事をさせ、その間に持ち物の準備をする。
 保育園は給食だったが、何故かご飯だけは家から持たせなければならなかった。それで冷凍ご飯を電子レンジで温め、それぞれの小さなタッパーにつめた。
 そのタッパーを布製の袋に入れ、保育園のリュックに入れる。なかなか面倒だ。ご飯も保育園で出してくれればいいのだが、いろいろな事情があるのだろう。
 水筒に氷水を入れ、あとは妻が予め用意していた手提げカバンの確認だ。カバンにはスモックやタオル、連絡帳に歯磨きセットなどが入っている。
 すると、長女の叫び声が。

「あんりちゃんが、ミルクこぼしたー」

 見ると次女がイチゴミルクまみれに。
 急いで二人とも風呂場に連れて行き、シャワーを浴びせ、適当に選んだTシャツとスパッツに着替えさせた。
 とにかく一刻も早く、二人を保育園に連れていきたかった。私は強引に二人に通園帽を被せ、リュックと水筒と手提げを持たせる。次女は私のやり方が気に食わないらしく、機嫌が悪くなったが、そんなことに構う余裕はなかった。

 保育園は、うちから歩いて5分の所にあった。近いのは便利だが、車を使う距離ではないので歩いて行かなければならない。  私は次女をベビーカーに乗せ、長女を歩かせる。
 空が抜けるように青い。晴れているのはありがたいが、今日も暑くなりそうだ。

 外に出てから、今日は可燃ゴミの日だということに気づいた。が、今は子どもが優先だ。そんな私の思いに反し、長女はまっすぐ歩いてくれない。
 歩いたかと思えば通り沿いの家に繋がれている犬の様子を覗き込んだり、花に水やりをしているお年寄りに挨拶したり。そして急にしゃがみ込んで何事かと思えば、道端に咲いている小さな花を摘んで次女に渡す。

 長女の優しさに次女の機嫌も直ってきたが、私はゴミ出しのことで頭がいっぱいだった。いつもは妻が子供たちの送り迎えをするので、私はゴミ出しに専念すれば良かったが、今日は何もかも調子が狂う。

 そうこうするうちに、やっと保育園に着いた。元気よく出迎えて下さる保育士さんに、私は妻の出産のことを伝えた。
 ベテランの美奈子先生が、ご機嫌斜めの次女を抱き上げて言った。

「それはそれは、おめでとうございます。あんりちゃん、お姉ちゃんになったのね」

 すると次女はすかさず

「あんりちゃんは、ちっちゃねえちゃん」

 と言った。長女が

「かれんが、おっきいお姉ちゃんで、あんりちゃんは、ちっちゃいお姉ちゃんなの」

 と説明すると、先生は娘たちのこだわりに付き合ってくれた。

「そっかあ。じゃあ、おっきいお姉ちゃんと、ちっちゃいお姉ちゃん、行こうか」

 長女と次女を連れて先生は歩き出した。

「あとで、昼寝の布団を持って来まーす」

 そう言って私は、家に向かった。

 家に帰ると、急いで可燃ゴミを集めた。
 次女はまだ、寝るときだけ紙オムツをしていた。使用済みのオムツは、ビニール袋に密閉して専用のフタ付きのゴミ箱に集めていたが、それを出しそびれたら大変なことになる。
 私は市の専用の袋に家中のゴミをかき集め、ゴミステーションにダッシュした。良かった。間に合った。

 ゴミ出しが終わると、今度は娘たちの昼寝用の布団を届けに行く。私は布団が入ったバッグを二人分肩にかけ、足走に保育園に向かい美奈子先生に手渡した。たいした距離ではないが保育園まで二往復すると、汗が吹き出してくる。

 帰ってから、飼い犬にフードをやった。犬の名前はポチ。10歳のオスで、スピッツの血が入ったミックス犬だ。
 昭和64年の最終日に生まれたポチは、純粋なスピッツのように吠えまくることはなく、大人しく餌をもらうのを待っていた。

「ごめん、ごめん、ご飯が遅くなったな」

 ポチは少し首をかしげて私の顔を眺め、「お上がり」と言うと餌を食べた。

 その後、私はシャワーを浴び、洗濯機を回す。子供たちのパジャマやタオルなど、洗濯物も沢山だ。
 そして子供たちが残したトーストをかじりながら、テーブルの上を片付け洗い物をした。 
 洗い物が済んで一息つきたいと思った時、電話が鳴った。義母からだった。
 そうだ、すっかり連絡するのを忘れていた。私は義母に、息子が生まれたことを伝えた。そして今日の昼すぎに、産院で落ち合う約束をした。

 我が家の一階には、洋室と和室がある。
 五年前に家を建てた時、一階の洋室がお袋の部屋で、和室は客をもてなす為に使っていた。
 私と妻と長女は、二階の洋間にダブルベッドとベビーベッドを置いて寝室にしていた。
 けれどお袋がいなくなり次女が生まれると、一階の洋室を私が使い、妻と二人の娘は和室にダブルベッドを置いて寝るようになった。それ以来、お袋が細部にこだわって作った和室は、すっかり子供部屋になってしまった。
 本来は床の間だった場所には、子供たちの衣装ダンスや本棚やおもちゃの収納棚が並んだ。そして柱や壁のあちこちにシールが貼られ、落書きも増えてくる。
 縁側には子供たちの洗濯物が干されるようになった。ここは風通しをも良く日当りが良いので、洗濯物もよく乾く。そして雨が降っても取り込まなくていいので便利なのだ。

 姉妹の洋服を干していると、お揃いや色違いのものが多い。妻の母親が福岡で輸入雑貨と子供服の店を経営しており、娘たちの洋服の殆どが義母の店のものだった。
 というより、義母は自分の孫のために子供服を仕入れているようにさえ思われた。妻と義母は自分たちの好みで、姉妹を人形の様に着せ替えては楽しんでいた。
 私は洗濯物を干す時に、無意識のうちに干す物の色分けをするクセがあった。誰かに見せる訳でもないが、家事を楽しくこなすには見栄えも大事だ。
 形や大きさはバラバラでも、せめて色だけは揃えたい。妻が干す時は口出ししないが、自分が干す時はブルー系、ピンク系、モノトーン、アースカラーなどに分けて干すと気分がいい。
 そうやって、なんとか洗濯物も干し終わった。

 すると、急激な睡魔が襲ってきた。私は自分の寝室のカーテンを閉めて部屋を暗くし、目覚ましをかけてベッドに横になった。

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