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『凸凹息子の父になる』3 妻の家族

 産院の駐車場に着くと、福岡ナンバーの見慣れた車が停まっている。妻の実家の車だ。義母は、もう先に来ているようだ。

 私は産院の中に入ると、まず新生児室に向かった。

 新生児室には三人の赤ん坊が寝かされている。三人とも昨日の夜から明け方に生まれた赤ん坊で、生まれた順に並んでいた。
 息子の両脇は女のお子さんだったが、息子は両脇の二人より一回り大きかった。そして、新生児の割には手足が長い。

「おたくの息子さんですか」

  横にいた初老の男性に、声をかけられた。

「あ、はい」

「また色の白くて、鼻も高かですな。こりゃ将来、女ば泣かすばい」

 私は、苦笑いをした。男性からすると、ほめ言葉で言ったつもりだったのだろう。しかし、ちょっと複雑な気持ちになった。
 すると後ろから、妻と義父母がやって来た。

 義父はイギリス人で、ロンドン在住である。義母は福岡に店を構えているが、結婚してから二人はずっと互いの家を行き来しながら生活していた。
 そんな両親を持つ妻エミリと、妻の年の離れた妹のミシェルは、毎年クリスマスはロンドンで過ごし、正月は福岡で過ごすという贅沢な幼少期を送った。

「ハーイ、ソラさん」

「ハーイ ジョンさん、ナイス トゥー シー ユー アゲイン」

 久しぶりに会う義父とハグをした。オーデコロンの香りがする。
 義父は、髭は濃いのに髪は薄い。まるで騙し絵のように上下が逆転している。しかし羨ましいほど頭の形がいい。アングロサクソン系特有の後頭部だ。
 彼は、おしゃれで陽気なじいさんだった。

 そして息子の丸い頭は、義父の頭とそっくりだった。それどころか、鼻の形も似ている。赤ん坊のわりに手足が長くて肌が白いのも、じいさん譲りなのだ。
 私は自分の遺伝子が、義父の遺伝子に負けたような気がして、軽い嫉妬を覚えた。


 この感覚は、今回が初めてではない。長女の時も次女の時も味わった。次女は若干、私寄りだが、おおむね二人ともじいさんに似ている。そして息子までもが。


 我々四人は、しばらく赤ん坊を眺めていた。私は改めて、眠っている息子と義父とを見比べた。

「上の二人もだけど、この子も、じいちゃん似だね」

「そう?でも子供たち、やることは、パパとそっくりよ」

 妻が言う。どういう意味だ。私も子供と、大して行動様式が変わらないということか。


 先ほども触れたが、妻の実家は少し変わっている。
 妻の母親のリサさんは福岡の博多出身だ。高校卒業後に絵の勉強のために単身でロンドンに留学するが、そこで老舗雑貨店の息子だったジョンと恋に落ちてしまった。
 彼女が二十歳の時に私の妻を身ごもったのだが、つわりとホームシックで鬱になったそうだ。
 どんどん痩せ細るリサさんを心配したジョンは、彼女を連れて福岡にやって来た。

 リサさんのお母さんは、大喜びで二人をもてなした。ジョンは初めての日本食を恐々食べたが、天ぷらも焼き鳥も非常に美味しかった。
 しかし驚いたのは、リサさんが他の物には一切手を付けないで、白米に赤い魚卵の様な物を乗せて美味しそうに食べていたことだ。
 あんなに食欲のなかった妻が、こんな気味の悪い物を食べるなんて。

「ソレハ、ナンデスカ?」

「これは、明太子。私、大好きなの」

 そう言いながら、リサさんは考えた。
 今でこそ日本中で買える明太子だが、当時は福岡の中州の市場ぐらいでしか手に入れることができなかった。そう思うと、故郷を離れるのが嫌になった。

 そこで思い切って夫にその思いを伝える。優しいジョンはがっかりしたが、切り替えも早かった。
 福岡に自分の店の支店をオープンさせ、リサさんをオーナーにするアイデアを思いついたのだ。それから二人は福岡とロンドンを行き来する生活を続けている。

 妻のエミリはそんな家庭に育ったのだが、よその家庭を経験したことがないから、自分たちが特別変わっていると思ったことがないと言っていた。それどころか、どこの家族よりも仲が良くて、お互いのことを思い合っているとも。
 ただジョンは、未だに明太子が嫌いだ。リサさんが、自分よりも魚の卵を選んだ日の屈辱を思い出すからだろうか。

 この後、ジョンとリサさんは保育園に娘たちを向かえに行き、そのまま福岡でしばらく預かってくれることになっている。
 私たちは駐車場で、子供たちの荷物やチャイルドシートを積み替えた。

 こういう時に、親戚が近くにいるのは本当にありがたい。

「それじゃ、お世話になります」

「はーい、大丈夫よ。あ、これね、少しだけど良かったら食べて」

 リサさんから、クーラーボックスと紙袋を渡された。

「ソラさんも昨日は大変だったから、今日はゆっくりして久しぶりに独身気分を味わいなさいな」

 そう言うとリサさんは運転席に、ジョンが助手席に座って二人は保育園に向かった。
 私は途中スーパーに寄り、ビールと食材を調達して帰宅した。

 帰宅すると家の中は熱気がこもってムッとしていた。
 先ずは家中の窓を全開にして、空気を入れ替える。そして買ってきた食材や、リサさんの手料理の入ったタッパーを冷蔵庫に入れ、無糖のアイスコーヒーを牛乳で割って飲んだ。
 そろそろ生徒たちがやって来る時間だ。窓を閉めて、家と教室のエアコンをオンにした。

 夜の授業が終わった。シャワーを浴びた後に、遅めの夕食をとる。
 テレビをつけ、テレビの前のローテーブルにスーパーで買ってきた寿司や義母からの差し入れを並べた。私はソファにもたれて床に座り、鯖寿司をつまみにビールを開けた。 
 近所のスーパーは漁港が近いので、鮮魚コーナーが充実しており寿司も旨い。この鯖寿司は、刻みネギを挟んだ甘めのシャリに肉厚のしめ鯖と薄く削った昆布のバランスが絶妙だ。
 今日は深夜に運転することもないし、誰にも気兼ねをせずビールが飲める。
 そして、リサさん特製のサラダも美味かった。サイコロ状にカットされたジャガイモとキュウリとハムが、明太子入りマヨネーズで和えられていた。それぞれの食材の味と食感が活かされ、絶妙なハーモニーを醸し出している。

 サラダを食べながら考えた。
 日本人は、いろんな物を上手に組み合わせることに長けているが、日本社会の構造もこのサラダに似ているような気がする。

 私の妻のように日本では、いろんなルーツを持つ人々が暮らしているが、言論や思想、信教の自由も保証され、ある程度の個性も尊重されている。
 ただ日本という小さな器に収まる為には、法というナイフで形を整えられ、個々の主張がぶつかりすぎないように、社会的ルールや同調圧力というマヨネーズで和えられ、まとめられているのだ。
 そして美味しいサラダのためには、マヨネーズは多すぎても少なすぎてもいけない。

 この国で最も重要だと思われていることは、「和」の心。
「調和」や「平和」なのだと思う。

 と、食いながら考えた。何だか一人になると、くだらないことを延々と考えてしまう。が、たまには、それもいい。

 そのうち、酔いと昨夜の寝不足が重なって、瞼が重くなって来た。
 私は歯磨きをした後、エアコンで冷やされたレザーのソファに体を投げ出した。火照った体の熱が、冷たいソファに移っていく。
 まるで私の体を構成する分子とソファを構成する分子が、拡散して混ざり合っていくような感覚だった。

 そのうち朦朧としてきた私はソファになり、ソファが私になっていく。
 動けなくなった私は、そのまま眠ってしまった。

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