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『凸凹息子の父になる』15 勘違いとこだわり

 長女は二年生、次女は一年生、翔太は年中組になった。一時期は兄弟三人で通っていた保育園も、今は翔太一人が通う。

 土曜日の昼、翔太のお迎えに次女もついてきた。1歳の時から通っていた保育園は、次女にとって思い出の深い場所だ。
 つい数週間前まで園児だったくせに、次女は保育園の中には入ろうとはせず玄関で待っている。
 マコ先生が、翔太を連れて来てくれて、次女に気付いた。マコ先生は、次女の年長組の時の先生だった。

「おや、誰かと思ったら、あんりちゃんじゃない?どう?学校、慣れた?」

すると次女は、驚いたように言った。

「えっ?マコ先生、まだ、いたの?」

 次女の言葉に衝撃を受けたマコ先生は、胸を押さえた。

「あいたぁー、あんりちゃんの言葉が胸に刺さったー。ショックー」

 その姿にもっと驚いた次女が、呟いた。

「あんり達と一緒に、先生も卒園したのかと思った」

「なんだ、そういう意味か。あー、びっくりした」

 どうやら次女は、年長児が卒園する時は担当の先生も卒園すると思い込んでいたようだ。
 たまたま去年、長女の年長組の先生が年長児の卒園と同時に退職されたので、そう思ったらしい。
 次女に悪気はないのだが、マコ先生のうろたえぶりが可笑しかった。

 このところ翔太は、人が話した言葉を真似して言う様になった。
 ある日、長女と次女がリビングで宿題をしていると、翔太が邪魔しにやって来る。

「翔ちゃん、邪魔しないで」

「しょうちゃん、じゃましないで」

「向こうに行ってよ」

「むこうにいって」

「真似しないで」

「まねしないで」

「翔ちゃん、バカー」

「しょうちゃん、ばかー」

「自分でバカって言ってる」

「ばかってってる」

 すると次女が言う。

「翔ちゃんの中に、オウムが入ってるよ」

 なるほど、その通りだ。翔太は家族の言葉をオウム返ししながら、少しずつ言葉を習得しているようだ。

 ある日家族で、テレビのバラエティー番組を観ていた時のことだ。どこかの国で、逃げ出したサルを大騒動しながら捕まえる映像が流れた。
 するとニュースを観ながら、翔太がギャハハーと馬鹿笑いして喜んだ。

 必死に逃げ回るサルが、果物屋や金物屋のような店に飛び込む。そして店の中が、滅茶苦茶に荒らされていく。
 翔太はそれが面白くて堪らないらしく、ウケまくっていた。
 そして私に聞いてくる。

「さるにおみせがはいったら、どうなる?」

 翔太にしては、珍しく長文だ。これが現在の彼の頭で、精一杯考えて話した日本語なのだ。
 しかし、サルの中に店は入らない。
 正しくは

「サルが、お店に入ったらどうなる?」

 と聞かなければならない。「が」と「に」が、逆である。
 翔太に日本語を教えるのは、なかなか難しかった。


 一方、翔太のこだわりは、相変わらずだ。信号好きも、ますますエスカレートし、食事まで信号機に見立てて食べるようになった。
 家には、水色と白とピンク色の丸い蓋付きの小鉢がある。
 翔太は毎食、自分で水色の器に味噌汁、白の器に白米、ピンクの器におかずを盛り付ける。
 そして、信号機の様に並べる。

 食べる順番も決まっていた。まずは、味噌汁を一気に食う。次に、何の味付けもない白い飯を、ひたすら食べる。そして飯が終わると、最後におかずだけを食う。
 翔太は毎回この食べ方にこだわり、それぞれを順番に少しずつ食べる「三角食べ」ということは、できなかった。

 そして飯も、白米以外は食わなかった。炊き込みご飯なども許せないらしい。炊飯器を開けた時に白米ではないものが炊き上がっていると、機嫌が悪くなる。

 ある日、妻が赤飯を炊いた。すると翔太は、涙を流して怒った。

「白がいい。ピンクのごはん、きらい。ピンクのごはん、だめ」

 このエイリアンには、「我慢」とか「妥協」という言葉が通用しない。仕方なく備蓄用のパックご飯で、その場をしのいだ。

 こんなことが続いたある日、翔太は自分で手を滑らせて、器の蓋を割ってしまった。さて、これでこの器で食べるのを諦めてくれるのかと思いきや、そうはいかなかった。

 翔太は自分で割ったくせに、この世の終わりが来たかの様に大泣きする。余りにも泣き方がしつこいので、強力接着材で蓋を元通りにしてやると、機嫌が直った。

 こうしてこの「信号機ご膳」は、しばらく続いた。


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