【書いてみた】コモンビート短編|Mångata(モーンガータ)
「この道⋯懐かしいな。」
用事を済ませた帰り道、気まぐれを起こしていつもと違う道を歩いていた時。
偶然にも、思い出の場所へ足が向かっていた事に気づいた。
戦争が終わって数十年。
気持ちが復興へと確かなものへ一直線な人間は素直に強い。
あの時と街の風景は変わってしまった。
だが、この変化も今は悪くはない。
この道の石畳は、あの時のまま。
こんな風に、変わらないものもある。
⋯この先の広場で、初めての友達が出来た。
貴族とか関係なく、分け隔てなく普通の友人として接してくれた。
貴族だから人目がつくだろうと気を使ってくれて、夜の森で待ち合わせて僕のバイオリンを聴いてくれたり、音に合わせて踊ってたっけ⋯
それから、広場を抜けた先。
あの角を曲がると⋯小さな仕立て屋がひっそりと店を構えていた。
初めての友達が紹介してくれた、気が休まる場所。
今思えばあの場所が⋯僕にとってのヒュッゲだったな。
懐かしい気持ちと
その後に胸を締め付け癒える事のない悲しみが
僕の心を埋めていく。
そのときだった。
広場に来ている流しの楽団の演奏を聞きに広がっていた観客達を見た時、身体に電気の様な衝撃が走って動けなくなり、目を疑った。
あのヒュッゲを切り盛りしていた、あの子⋯
あの時間を一緒に過ごしたあの子の姿がこの目に映ったのだ。
不規則な模様が光る髪飾り。
左手首には透明に光るジェムストーンと、星のモチーフが施された紐飾り。
その姿は紛うことなき、あの子そのものだった。
終戦直後から混乱に乗じて誰にも気付かれずに姿が見えなくなった一人。
僕の記憶からも、姿を消そうとしていた。
次の瞬間、思わずあの子の元へ走り出し、叫ぶ様に呼びかけていた。
「待ってくれ!
今までどこに行ってたんだ!どこに⋯」
あの子の肩に手が届く一瞬の⋯手前。
振り向いたあの子は、全く違う姿をしていた。
いや⋯全く違う。という訳でもない。
あの子よりも、僕よりも、とても小さく。
ただ、あの子の面影を色濃く残した小さな女の子。
あまりの出来事に、この女の子から視線を外せなかった。
「⋯君、は⋯」
小さな女の子は困った表情で僕を見上げる。
当たり前だ。
どこの誰か分からない男が大声を出したら、驚くに決まっているだろう。
僕は何をしているんだ。
「あ⋯ごめんね。知ってる子によく似ていて」
『あ!パーパ(お父さん)!』
そう呼びながら僕をすり抜けて行ったその先を見ると、まだ父親と呼ばれるには若そうな男性が女の子を抱きかかえた。
今度は懐かしさで自分の目を疑った。
僕と同じ様にヒュッゲに出入りしていた、あの男の子だ。
あの時の幼なかった面影を少し残しながらも、一人の男として逞しく成長していた。
『⋯あなたは⋯』
男性が女の子を抱えたまま、僕に気づいた。
覚えていてくれていたなんて、予想外だった。
「久しいな⋯こんな所で会えるなんて⋯」
『⋯パーパ?』
女の子が父親の顔を覗き込もうとする。
『こら、危ないだろ。』
父親が女の子を地面に下ろした。
女の子は名残惜しそうに、父親の手をぎゅっと握る。
「⋯その子は、」
『僕の娘です。』
娘、と聞いて何となくさっきの不可解な幻覚を見た理由が分かった気がした。
ヒュッゲを切り盛りしていた女の子とこの子は、確か親戚関係にあったはずだ。
親戚なら⋯
⋯まぁ、あの子に似てる子が娘として生を受けていても何らおかしくはない。
僕は自分にそう言い聞かせて納得させていた時。
父親が『きちんとご挨拶して』と女の子に声をかけても
女の子は父親にしがみついたまま顔を伏せ、離れようとしない。
その理由は多分⋯
「⋯すまない。僕が驚かせてしまって。」
改めて僕はさっきの出来事を思い出し、少し申し訳なくなった。
いくら子どもとはいえ、失礼な事をしてしまったのだ。
僕は屈み、膝を付く形で小さな女の子の目線に合わせた。
その身長から見た世界は全てが大きく、この小さな体が一度に受け入れるにはまだ早過ぎる。
「⋯初めまして、小さなお嬢さん。
さっきは驚かせてしまって、すまなかったね。
どうか許してくれないだろうか。
もし許してもらえるなら、僕に挨拶する時間をくれないか?」
女の子は父親の影からじっ⋯と僕を見つめる。
大丈夫だよ。という父親の一言を信じたのか⋯女の子は自分の片手を僕の前に差し出した。
ほっとした僕は、小さな女の子の手を取り、唇を落とすしぐさをした。
こんな小さな子に挨拶をするのは初めてだった。
「さっきは、驚かせてごめんね。」
『⋯だい、じょうぶ。』
女の子はまだ少し僕を警戒している様子を見せた。
『こら、失礼な事をしないで。この方は』
父親が言いかけた所で、僕が遮った。
「いや、いいんだ。僕はもう貴族じゃない。」
『⋯え?』
父親が驚いた顔を見せる。
「戦後に剥奪されてね。」
『あの⋯今は、バイオリンは』
「⋯剥奪とは関係ない。戦争でやられてね。今は弾けない。このザマさ。」
僕は無意識に、左手で右腕をきゅっと握りしめていた。
『⋯すみません。』
「謝る事じゃない。それに剥奪されたと言ってもあまり何も変わらない。残ったバイオリンや楽器は飾られてるままで」
『ばいおりん、できるの!?』
今さっきまでの人見知りや警戒心はどこへやら。
女の子が目をキラキラさせて僕の顔を見ている。
「⋯もしかして、楽器に興味あるのかな?」
『あぁ⋯前から時々来ている、あの流しの楽団を見て。それから。』
新しい時代になってから、世界が混ざり、様々や化学反応が起きている。
新時代を象徴する新しい大陸、種族、それに⋯音楽。
僕自身が音楽から遠ざかって数年。
だが、遠ざかっていた音楽や楽器に興味を持ってくれている子が目の前に現れた。
「⋯もしよかったら、いつでもうちに来てくれ。楽器を見せる事は出来るから。」
何故か無意識にそう言った途端、口を塞ごうとしても、言葉を取り消そうとしても、もう遅い。
僕がこんな事を言うなんて⋯
『いく!じゃあいまからいく!』
『こら!』
女の子はぴょんぴょんと小さく飛び跳ねながら、父親の手を引っ張った。
『まだおひるだもん!おやつのじかんもきてないもん!』
女の子はぱっと父親の手を離し、僕の手をきゅっと掴んで後ろに隠れた。
父親と僕はお互いにゆっくりと顔を見合わせた。
父親は申し訳なさそうな表情を見せ
僕は予想外の事態にどうしようか、少し苦笑いを浮かべていた。
今日はこの後、もう予定はない。
もう、こうなってしまった以上は⋯
『旦那様?今日お客人が来られる予定は聞いておりませんでしたが⋯』
「たまたま外で会ってね⋯
すまないが、アフタヌーンティーの数は増やせるかい?」
『はい、もちろんでございます。』
「それから⋯一つ、小さなお嬢さん用に。」
うら若いバトラーとメイドは視線を横にずらした。
視線の先には申し訳なさそうに小さく頭を下げた父親と
バトラーとメイドをじっ⋯と見つめ返す女の子。
お客人に向けた視線を僕に向け、バトラーとメイドはお互いに顔を見合わせた。
『⋯すぐご用意致します!』
二人はガバッと僕たちに勢い良くお辞儀をした後。
『えっやだどうしよう可愛い!ねぇ今からケーキ追加で焼く!?ワッフルにホイップクリームの方がいいかなぁ!?』
『待って待って紅茶もどうしよう子どもでも飲みやすいあの茶葉ならストックあったっけ』
⋯すぐ背中を向けてバタバタと作戦会議をしながら台所へ小走りし出した。
僕とお客人の案内も忘れたまま。
滅多に客人を招かない、こうゆう変化球になれさせていない僕にも少なからず責任はあるかも知れないのだが⋯
普段は真面目な二人のはずだが、こうゆう不測の事態には慣れていない。
「⋯すまない。教育がなっていなくて。」
『あ、いいえ⋯』
「僕が案内するよ。さ、入って。」
今の僕の城は、以前よりは小さくなった。
だけど、今の身の丈に合った場所だ。
僕の城の一室、楽器を置いてある部屋に通す。
『ばいおりんだ!』
女の子はとてとてと一直線にバイオリンへ向かった。
一番興味がある楽器なのか、じっとバイオリンの前に腰を下ろし、側面や弓も観察するかの様に右に左にと小さな身体をゆっくりと揺らしている。
そのうち、バイオリンの隣に置いてあるひと回り小さなバイオリンに気づき、今度はそちらを観察し始めた。
「⋯一緒に、構えてみようか。」
『うん!』
『えっ⋯』
「⋯大丈夫だよ、僕が着いてるから。」
僕は女の子に小さなバイオリンを触らせ、後ろからアシストを始めた。
このバイオリンは、僕の最初の相棒だった。
⋯僕がバイオリンを習い始めた時も、確か君と同じくらいの年齢だったんだ。
あの時は先生が厳しくて、泣きながら練習した日もあったかな⋯
初めて人前でバイオリンを弾いた日、観客からの拍手が嬉しかった。
そこから全て報われた気がして、どんどん練習していったっけ⋯
⋯でも⋯
今は⋯
⋯もう帰ってこない。
バイオリンを弾く力も、技術も、情熱も。
あの頃という、大切な思い出も。
戦争に全て奪われた。
『⋯だいじょうぶ?』
はっとした僕は女の子を見た。
少し心配そうで悲しそうな、そんな表情を僕に向けていた。
「⋯ごめんね、大丈夫だよ。続けようか。」
僕は女の子に笑顔を向けた。
だが女の子は、じっと僕を見ている。
「⋯どうした?」
女の子は僕の頭をぽん、ぽん。と撫でた。
『じぶんを、ぎゅーして、いいんだよ。』
「⋯え?」
僕はその言葉に聞き覚えがあった。
自分の人生の中で、たった一度だけあのヒュッゲで聞いた事があったその言葉に。
「⋯今⋯何て⋯」
『パーパやマーマがいつもいうよ!
すきなことができないくらい、おちこんでも、じぶんをよしよしして、だいじょうぶだよっていえば、いいんだって!』
“ご自分を許して、もっと大切に”
あの日の光景が、僕の脳裏を埋めていく。
忘れていた声が、僕の鼓膜を響かせる。
僕は思わず小さな女の子を抱きしめて泣いていた。
『⋯?かなしいの?』
「⋯大人はね、嬉しい時も泣く事があるんだ。
今がその時なだけだよ。」
『ふーん⋯?』
「今は分からなくていい。いつか分かる日が来るから。」
『⋯?うん⋯?』
本当は気づいてた。
リハビリすれば手が動く事も。
あの戦争の恐怖に捉われて弾けなくなっているだけだという事も。
でも今、分かったんだ。
自分の心と向き合う時が来たのだと。
僕はこの瞬間を忘れない決意と
臆病になっていた自分に向き合う覚悟を決めた。
『⋯僕の音、聞いてみてくれるかい?』
「うん!きく!」
即興コンサートの観客は、一組の親子。
深呼吸してからバイオリンを構え、手が震えない事を確信出来た僕は
一番最初に観客の前で演奏した曲を弾き出した⋯