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システムとストーリー、どっちが大事? ――ゲームはナラティブな体験である

先日econaさんが「ストーリーとバトルどちらを重視するか」という話題を出していて、ふと考えたことがあったので投稿。

僕が考えたのは、「システムとストーリーのどちらが大事か?」という疑問。

結論から言うと「ストーリー」の方が近く、正確には「ゲームとはナラティブな体験であり、メカニクスとデザイン、物語表現はプレイヤーをその体験へ導くもの」という考えに至りました。(異論は認めます、cf.『テトリス』)

以下にその説明をしていきます。持論と自分語り多めです。

※ちなみに、econaさんの話題ではストーリー(シーン)とバトル(シーン)のことを指していて、ストーリー(シーン)がない≠ナラティブでない、と思いますがどうでしょう。

先日届き現在プレイ中の『フィリスのアトリエ』
ナラティブなゲームとして期待の一本

【起】
ゲームはメカニクスとデザイン、
物語表現でできている

「システムとストーリーのどちらが大事か?」を考える前に、「システムとストーリー以外はないの?」という疑問が湧くので、網羅しておきましょう。

まずここまで「システム」という言葉を使っていますが、これだとニュアンスが曖昧なので、ここからは「メカニクス」と言い換えます。

メカニクスというのは「仕組み・構造」のことで、具体的にはフローチャートだと思えばいいと思います。戦闘の仕組みとか、ゲーム全体の流れとか。

さらに個々の戦闘での敵ステータス、マップのレベルデザインなど、メカニクスのループに組み込まれる具体的なデータたちを「デザイン」と呼ぶことにします。

一方、「ストーリー」は「物語表現」と言い換えます。造語ですが個人的にニュアンスがハマったので。

物語表現というのは「語られる物語や世界」を指し、ストーリー(あらすじ)、テキスト、キャラクターや舞台の設定から、BGMやマップ造形なども含みます。

まとめると、ゲームはシーン進行やマップなど様々な要素からなり、それらはすべて「メカニクス」「デザイン」「物語表現」の一つまたは複数の要素を持ち合わせています。マップであれば、レベルデザインはデザイン、造形は表現といったように。

ということで、「システムとストーリーのどちらが大事か」という命題は、「メカニクス&デザインと物語表現のどちらが大事か」と言い換えることができます。

【承】
僕はメカニクスとデザインを好む一方、
物語表現を重んじる

さて、「メカニクス&デザインと物語表現のどちらが大事か」と考えた時に、僕はメカニクス&デザインの方が好きだと自覚しています。実際、僕が制作してきた公開中の3作品はどれもメカニクスとデザインに重点を置いていて、物語表現は……一応、頑張ったけどね……。です。(頑張ります)

処女作『聖片の森』
改造システムながら割と面白い戦闘に(自画自賛)、
ふわふわとしたストーリーが魅力(魅力)

ゲームを思いつくのはメカニクスのコンセプトからですし、ツクールデフォルトシステムでゲームを作ろうとはあまり思えません。

なので「僕はシステム派だ!」と幼少の頃から思っていたのですが……先日うでぃおふに参加したときのこと。

アイスブレイクで話させていただいた早川さんとVRの話をした時、「メカニクスと表現ならどちらを重視しますか?」という趣旨の質問をされました。

直近で同じような疑問を考えていて、なかなか答えは出ていなかったのですが、その場では時間制限があったため、えいやっとひねり出した答えは「表現」。

なんとなく、心の奥底では表現こそが大事だと思っていたのでしょうか。

そこで思い返してみると、僕のゲーム制作への興味は「RPG」から始まったことを思い出しました。RPGとは何かを考えると、一つだけ確実に言えることは、「物語なしでは成り立たない」ということです。

小さい頃はVBでブロック崩しとかも作っていたのですが、やがて『RPGツクール5』を手に取り、そこからウディタへと、基本的にツクール系統の制作環境で活動しています。

ざっくりと言えば、プログラミングでゲームを作る人はメカニクス型、ツクール系でゲームを作る人は物語表現型と言えるのではないかと思うのです。

つまり、「僕はメカニクスやデザインが好きだけど、ゲームは物語表現がないと始まらない」というのが、本当の思うところなのではないかと思い至ったのです。

ただやっぱり、やりたいのはメカニクスやデザインなので、物語表現を大事にしつつ、メカニクス&デザインに力を入れる、というのが僕の制作スタイルなのかと思います。

【転】
ナラティブな体験がゲームを面白くする

じゃあ結局、「メカニクス&デザインと物語表現のどちらが大事か」はどっちなの? ということになりますが、「どっちも大事」ではなんとも収穫がないですね。

何かないかと考えていたら、最近プレイしたゲームのことを思い出しました。

いくつか例をあげますが、まずは『GRAVITY DAZE 2』(グラビティ2)。一番最近にプレイした神ゲーです(神ゲーとは僕の評価の分類で、気力があれば「神ゲー理論」について書きます)。

『GRAVITY DAZE 2』は神ゲーでした

グラビティ2では「重力操作」が非常に特徴的な体験になっていて、ゲームの根幹をなしています。もちろん、「メカニクス」「デザイン」「物語表現」のすべてが重力操作を中心に構成されています(神ゲー理論ではここが神ゲーポイント)。

グラビティ2で面白いのは、「ただ町を飛び回ることが楽しい」という点です。ほんとうに飛び回るだけです。ゲーム的な価値は一切なく、ただ飛び回るのが楽しいです。これは何か? と考えた時に、これって「重力操作のメカニクスが興味深い」んじゃなくて、「重力操作がナラティブな体験である」ということなんじゃないか、と思ったんですね(ナラティブについては次項で補足)。

(ハウスメイク要素も、ナラティブな体験の一つ)

それから、ソーシャルゲームでも最近特に熱中しているのが、『グランブルーファンタジー』(グラブル)と『ミラクルニキ』です。

グラブルが面白いかというと、よくできているとは思いますが、メカニクスが秀逸であるわけでもなく、ストーリーに興味がある、というわけでもありません。

僕にとって、グラブルの最大の魅力は「ナラティブな冒険体験」です。主人公であるジータちゃん(さいかわ)を通して、たくさんの仲間達と旅をし、それぞれとの出会いを思い描き、様々なイベントを乗り越え……といった、非常に「バーチャルな(実質的に現実と同等な)冒険」を体験できています。(ナラティブであることに大事なのは、主人公が僕なのではなく、「僕はジータちゃんである」ということです)

それもまたナラティブな思い出……

そしてこの「雄大なグランブルーの蒼穹を仲間とともに冒険する」体験を実現しているのはメカニクスです。ストーリー、サブクエスト、マルチプレイ討伐、フェイトエピソード、カジノ、さらに定期的にイベントが開催されるなどといった、横に広いゲームプレイがグラブルの面白さの特長であり、このメカニクス(横に広いゲームフロー)こそが「ナラティブな蒼穹(=自由の世界)」を体現しているのです。(僕はグラブルを「ナラティブなオープンワールドゲーム」と言ったりします)

またミラクルニキでは、「変身願望」が満たされます。正直、数年前から「女の子に生まれ変わってファッションを楽しみたいなあ」と(割と)本気で思っていました、いえ、思っています。

ミラクルニキは女の子向けの着せ替えゲームです。しかし女児向けというよりフェミニンな雰囲気があって、幅広い年齢層で楽しめる印象があります。

コーデバトルは食うか食われるか。弱肉強食の世界なのだ

着せ替えはメカニクスであり、デザインです。衣服ごとに属性やステータスを持ち、それらを組み合わせてコーデバトルをします。また、それぞれの衣服の造形やシチュエーションは、物語表現でもあります。そして変身願望が満たされる体験とはまさに、ナラティブな体験に他なりません。

そう、「メカニクス&デザインと物語表現のどちらが大事か」もとい「システムとストーリーのどちらが大事か」という疑問に立ち返った時、大事なのは「物語」なんだけど、それはストーリーではなく「ナラティブ」なのではないか、ということに気づきました。「ナラティブな体験こそがゲームを面白くする」のではないか、と思い至ったのです。

【補足】
ナラティブとは?

ナラティブは「物語」を意味する言葉ですが、ストーリーとは大きく異るニュアンスを持ちます。

ざっくりと言えばストーリーは「物語表現」であり、ナラティブは「物語体験」です。

ナラティブは「プレイヤー自身の主観的な物語」です。色々な解釈があるので一概には言えませんが、ゲーム業界では大体このような意味で用いられていると思います。(cf."ナラティブ"の歴史的背景)

ゲームプレイをすることでインタラクティブに生まれる物語を、プレイヤー個人の体験として記憶する、経験することが、ナラティブなゲーム体験です。

これは主人公=プレイヤーという意味ではなく、プレイヤーが主人公になりきるということでもなく、あくまで主人公の物語として、プレイヤーが体験する、というニュアンスだと思っています(なかなか掴みづらい用語なのであくまで僕の認識です)。

「重力操作がナラティブな体験である」というのは、プレイヤーが重力操作している気分になるということではなく、キトゥンの日常的な重力生活を体験しているということです。「グラブルがナラティブなオープンワールドである」というのは、蒼穹を駆ける騎空士たちの冒険を体験しているということです。「変身願望を満たすナラティブな体験」というのは、ファッションを楽しむ女の子を体験しているということになります。

噛み砕いて言うなら、ストーリーは「作者による表現」であり、ナラティブは「プレイヤーの体験」です。

ナラティブを重視するプレイヤーの前では、
カジノもまた物語を持ったコンテンツとなりうる

【結】
ゲームはナラティブな体験である

「メカニクス&デザインと物語表現のどちらが大事か」「ナラティブな体験こそがゲームを面白くする」と考えてくると、この疑問への答えが見えてきます。

【転】では、メカニクスやデザインがナラティブな働きをするということを示しました。重力操作による移動はメカニクスであり、それはキトゥンが日常的に重力を用いた生活をしているというナラティブな体験を生み出します。ルーナチューンでビルの上まで飛び上がったり、重力のON/OFFをうまく切り替えて着地したり、あるいは着地に失敗したりといった経験は、記憶であり、エピソードであり、プレイヤーが体験したキトゥンの物語です。

『FINAL FANTASY XV』にもある「写真を撮る」要素は、
ナラティブにとって重要な思い出となる

つまり、「メカニクス」「デザイン」「物語表現」はどれもナラティブな体験を生み出す。そして、ナラティブな体験こそがゲームを面白くする、のだと考えれば、「ゲームとはナラティブな体験であり、メカニクスとデザイン、物語表現はプレイヤーをその体験へ導くもの」だと解釈することができます。やっと結論にたどり着きました。

結局話がずれているというのはそうなんですが、「システムとストーリーのどちらが大事か」という命題に関しては、ストーリーなのかなと思います。否、ストーリーじゃなくて、ナラティブですね。そんな感じです。

じゃあナラティブなゲームってどう作るの、というと、難しいのは、押し売りをしたらそれはナラティブではなくストーリーになる、というところで。

ナラティブというのはあくまでプレイヤーが主体的に選択し、経験する物語です。だから、より様々な選択が可能であり、様々な試行錯誤と経験ができ、それらが理不尽や無秩序ではなく「物語性」をもって繋がった時、それはナラティブな体験になるのだと言えるかもしれません。

それはただ「自由度が高い」と無責任に放り投げることではなく、秩序を持った「選択肢が広い」ということなのではないかと、僕は思います。

フィリスと送る新たな物語が楽しみだ!

以下余談。

【余談】
ゲーム実況で大事なのはゲームか実況か?

この記事を書いているときに、似た話題として「ゲーム実況で大事なのはゲームか実況か?」という疑問が浮かびました。

結論から言うと大事なのは「実況」であり、正確に言えば「実況者のナラティブな体験の追体験」です。

僕はゲーム実況を見る時に、誰がアップロードしているかで大きく認識します。それは実況者の性格をよく知っているとかいないとかに関係なく、「誰であるか」というだけの認識です。よく知らない人Aとよく知らない人Bが同じゲームを実況していたとしても、それは別々の価値を持っていると受け取ります。

実況者はプレイヤーです。プレイヤーはナラティブなゲーム体験をします。それはプレイヤー個々の体験であり、実況者個々の物語です。そして僕はその物語を楽しみに、ゲーム実況を見るわけです。

僕にとっては、実況者のナラティブな体験も、彼らの現実世界での出来事も、等しく物語です。ですから実況者のTwitterなんかもよく見ます。それはミーハーというよりも、小説の外伝を読みたくなるような気分に近いでしょう。

余談の余談ですが最近見て面白かったのは『死んだら10時間勉強するダクソ3』シリーズ。東大合格を目指して、初見でダークソウル3に挑みながら死ぬ度に10時間勉強してまた挑む、という内容の動画です。動画内で模試の成績を発表したり、天然ボケをかましたり、熱唱したり、キャベツを切ったりと、努力がキレッキレに方向音痴してるタイプ。今年受験生ということで、頑張ってください。

彼は一体何を目指しているのだろうか

【余談2】
ナラティブなメカニクスとは何か

メカニクスもナラティブな性質を持ちうると述べましたが、ナラティブなメカニクスって具体的に何でしょうか。

序文で比較対象として挙げた『テトリス』は、ナラティブなゲームでしょうか? 僕は違うと思います。テトリスはナラティブだ! という方がいらっしゃればぜひ意見を聞いてみたいです。

一方、『ぷよぷよ』はナラティブでしょうか。もっと言えば、「同じ色のぷよとぷよが4匹くっつくと消滅する」というギミックは、ナラティブな行間を含んでいると思いませんか?

ゲームすべてがナラティブなものである、というわけではありません。テトリスなど、メカニクスだけで作られたゲームは大体ナラティブではないと思います。物語表現があって初めて、メカニクスがナラティブな行間を持つ。というのが、事の真相なのかもしれません。

じゃあこれはどっちなんだ

あとこれは完全に持論ですが、ぶっちゃけ僕は「ナラティブなゲーム=RPG」という認識でいます。ぷよぷよは(広義の)RPGです。異論は認めます。

これからも、コツコツRPGを作っていきたいと思います。

ということで、キャラクターの性格や裏事情などがパッシブスキルという形でキャラ性能にも大きく関わってくるといった要素もあり、試行錯誤して編成を考えていくナラティブな戦闘が楽しめる、econaさん作のステージクリア式RPG『ひびかけ色のキセキ』が好評配信中です。

(こういう締めがしてみたかっただけ)

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