ごてんばの棟札のお話

御殿場の棟札

と、いうシリーズがあります。御殿場の図書館行くと読めます。
棟札の記録は、氏子さんたちのご尽力により、各神社の小冊子や、地区史に開催されることもありますが、この本の凄いところは、地区ごととはいえ、満遍なく網羅されていること。
いえ、きっと全部ではないのでしょうが。
既刊は、印野、富士岡、原里の3地区。どうも御殿場の西側から攻めているようです。
冒頭の趣旨を読みますと、
「東日本大震災を受けて、記録保存を意図する」ということのようです。
書籍として記録を残す、ということは、メリットデメリット両面ありますが…
書籍で記録を残すメリットとして、国会図書館への納本があります。
常々、富士山噴火が頭の隅っこに住み着いている私たちの地域としては、これは必要なことだなぁと感じています。
棟札、木の板なんですよ。この本の対象は神社の棟札ですから、保管場所は神社。
と、すると、富士山噴火しなくても、火災でもあれば燃えます。
棟札が神社に残っているって、どれだけの人が知っているんでしょう?
しかも、これがどうも神社の記録になっている。
いつ建てた、いつ改築した、勧請(神様をお呼びすること)した、祭礼やった、なんて、古い話は記録に残っているんでしょうか?誰が全部把握しているんでしょうか。
そんな神社の記録、残しといた方が良くない?と思う訳です。
同じ理由で、お寺さんシリーズも着手して欲しい。だって、それって御殿場の財産でしょ?
何で財産と思うかは、次の項で。

棟札の記録

さて、棟札の記述は地域の財産だ。と書きました。
何故ならば、まず、記録を取るだけで下のことがわかります。

①いつから記録を取り始めたのか。
②どういう機会で書かれているのか。
③誰が書いているのか。

①いつから記録を取り始めたのか
これは今のところ宝永噴火以前、以後と分かれます。
ただし、宝永噴火以前のものは、かなりの少数で数件です。

②どういう機会で書かれているのか
大体が「奉」から始まる記述です。
その後に続く文言としては「修」「祈」「勧請」「遷宮」「改築」などです。
機会としては、建物を改めた、神様をお呼びした、などが多いことになりますかね。
ただし、遷宮、改築と、勧請は連動することもあります。
皆さんのご記憶に新しい伊勢の式年遷宮を思い出されると良いかもしれません。
神様に別の場所に移っていただいておいて、社を改め、またご鎮座頂く。
そんな記録が残っているのです。
そして、その機会は、新しい息吹が必要な機会、例えば、災害や飢饉にあった頃と一致するものもあるのです。

③誰が書いているのか。
これは今も市内に鎮座する神社の歴代の神主様方です。
江戸時代については、現在のところ、246号線より富士山側は古沢一幣司神社の高村氏、箱根側は神明宮の内海氏または、ニ岡神社の内海氏の傾向があるようです。
ただし、明治に入ると、永原大神宮の宮司さんが入られる傾向にあります。これは一時期、二岡神社を永原大神宮の宮司さんが管理されていたように棟札からは読み取れますから、その影響でしょう。
また、印野では渡辺氏が多く見られますから、地域の神主様方が入られた、と考えるべき箇所も多くあります。その他には通常定義されるところの大工さんの名前がある棟札もあります。

多分、細かく分析するともっと色々なことがわかるでしょう。
これまでに、こんな記録をまとめた本があったでしょうか。
建築をする、ってとても大変なことなのです。神社やお寺さんは地域の人たちの拠り所ですから、災害などに際し、その労力をもってしても救われたかった人々の気持ちが汲み取れるのです。

特異な棟札


ちょっと毛色が違うものもあります。
例えば、神山の「南口御師」が書いたもの。
どうしてそういうことに至ったのか、経緯が詳しく書かれたもの。
他にも色々あるのです。またそのうち紹介できるといいですね。

力尽きたので今日はここまで。
先日、ご自宅にあるお札についてお話頂いた方がおられまして、書いてみようと思いました。




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