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キジバト

詩に潜む祈りは稚魚。
息を潜め、大海に出る波を待っている。

最近は音楽も小説も映画も祈りの一形式なのだとなんとなく理解できて、誠実に向き合えているように思える。

きっと春は夢みたいに過ぎちゃうけど、この春、一度だけの春に拾った破片はまたごはんを食べるときにきっと思い出せる。

なんだか川が見たい。
神戸や大阪や奈良、いろんな川がある。
川に寄り添って生きていたい。
めんどくさい宿題や会いたくない人もたくさんいるけど、
結局自分は呆れるほど自分で、それでいる限り待つのは自分としての死だけ。
そう思うことで少し許された気持ちになる。
思えば川上弘美の「神様」は自分にそのようなことをやんわり伝えてくれたような気がする。

何度も同じことを考え、儀式みたいにひとところをぐるぐる回る。
言葉で頭がいっぱいになり駅のホームで立ち尽くしてしまう。
やがてそうしているうちに、ひときれのくだらない詩として風に巻かれ消えていく。

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