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《PSYCHO-PASS》 二次創作小説『DARK RIVER』第一章(その4)

3:霜月美佳の週末



 東京の西部、武蔵野市と三鷹市に跨るように位置する井之頭恩寵公園。そこから南へ向かって少し歩いたところにある『アミティエ』は、手頃な値段で美味しい地中海地方風料理が食べられるカフェレストランだ。

 店舗が古く内装がくたびれているせいか、グルメ系コミュフィールド等であまり紹介されることがなく、いつ行っても空いていてゆっくりと過ごすことが出来る。ここは以前から、霜月美佳のお気に入りの店であった。

 学生の頃は仲が良かった大久保葦歌と河原崎加賀美らとよく訪れたものだが、桜霜学園を襲った《事件》以来、彼女たちとの──特に愛情を抱いていた加賀美と過ごした日々を思い出すのが躊躇われて、この店へも足が遠のいていた。

 けれど昨夜、仕事を終えて帰宅する途中、無性にこの店の窓から井之頭公園の緑が見たくなり、久しぶりに訪れたのだった。

 名物であるバゲットとキノコのアヒージョ(もちろん原材料は全てハイパーオーツだが、サーバーで調理した後にひと手間加えているらしい)を堪能した後、紅茶を口へ運びながら窓枠の外で揺れる緑を眺めていると、胸の底に淀んでいた滓がすこしずつ洗い流されてゆくような気がした。

「そうよ、無駄に苛立っても色相を濁らせるだけ」

 霜月はここしばらく不機嫌だった。色相チェッカーにも苛立ちを示す鈍い色が示されることが多く、特に爆弾テロ事件以降はそれが頻繁になっている。

「あの時は少し冷静さを欠いて、長峰の逃走に気づかなかったけど……」

 それでも──と、霜月は思う。
 局の誰も対策を見出せずに手をこまねいている中で作戦を立案し、多少のミス──弥生さんを負傷させてしまったのは多少では済まないが──あったかもしれないけれど、一般人への被害は出さず事件を解決したではないか。

「なのに何で私が局長に怒られなきゃならないのよ」

 霜月は呟き、カップに残った紅茶を一気に飲み干す。

 失態のレッテルが貼られてしまった自分が行うべきは、一つでも多くの他案件を解決して失った評価を取り戻すこと……そう霜月が考えていた矢先に起きたのが安蒜亮二の死亡事故だった。

 そう事故だ。被害者の周辺に潜在犯が見当たらない時点で、事故として処理すべき案件なのだ。それをなぜ延々と捜査して時間を無駄にしなければならないのか? 

 仮に常守先輩たちが考えるような《隠れた真実》があったとして、命じられてもいないのに、それを自分達がわざわざ捜査すべき事なのだろうか? 

 刑事という仕事に誇りを持っている先輩たちはそれで満足なのかもしれないが、自分はまったく納得できない。なぜなら自分は一刻も早く監視官から脚を洗いたいからだ。

 様々な犯罪の現場へ赴き、潜在犯である執行官と行動を共にする監視官という仕事は、例え職業適性があったとしても、精神色相に良い影響を与えるわけがない。

 このまま監視官を続ければ、いずれ自分も宜野座のように色相を濁らせて潜在犯へ堕ちてしまうかもしれない──そう考えただけで、霜月の全身に怖気が走った。

「だから、こんなふうに考え込むのがいけないんだってば……!」

 店を訪れて少し気持ちが晴れたと思ったのに、自分は何をやっているのだと霜月は頭を抱える。

「あの、霜月美佳さん……じゃありません?」

 ふいに背後から名前を呼ばれて振り返ると、そこには霜月と同じくらいな年恰好の女性が佇み、じっと霜月を見つめていた。

「やっぱり美佳さんだ。ずいぶん雰囲気が変わっていたから、人違いかと思った」

「……柵木(ませぎ)さん?」

 一瞬戸惑ったものの、霜月はすぐに相手を思い出す。

 彼女の名は柵木景都{ませぎけいと)。桜霜学園時代のクラスメイトであった。

 クラスメイトと言っても、柵木は少し暗めな子ばかりが集まったグループの一員で、霜月は彼女と言葉を交わした記憶が無かった。

「私の名前、憶えていてくれたの?」

「そりゃあクラスメイトだし、名前くらい……」

何気なそう答えた霜月だったが、柵木はひどく感動した様子で

「美佳さんに覚えてもらっているなんて……!」

 涙をこぼさんばかりに声を詰まらせる柵木に、何事かと他の客達の視線が集まる。

「ちょ、柵木さん、ここに座って!」

 霜月は慌てて柵木の腕を掴むと、隣の席へ座らせる。

「あ、ゴメンなさい……」

 俯き、押し黙ってしまう柵木。

「……」

 互いに無言のまま一分ほどが経過し、気づまりになった霜月が口を開く。

「柵木さんはあの後、どこへ転校したんだっけ?」

 《あの》とは勿論、桜霜学園を舞台に王陵璃華子が引き起こした連続猟奇殺人事件のことだ。

 衝撃的な事件の内容が世間に公表されるとすぐ、子供への影響を恐れた父母によって少なくない人数の生徒が他へ転校しており、柵木もそうした一人であった。

「私は、楪{ゆずりは}女子へ……」

 楪女子学院は桜霜学園に勝るとも劣らないお嬢様学校であり、普通に入学しようとしても難しい場所。たぶん柵木の両親はかなり社会的地位の高い人間なのだろう。

「楪なら名門だし、良かったじゃない」

 お愛想ではなく、霜月は本心からそう言った。けれど柵木の反応は、霜月の予想とはずいぶんと違っていた。

「楪は、地獄だったわ……」

「えっ……何があったの?」

 柵木は暗い表情で語り始める。

「学校全体に事件のことが、すごく厭らしく誇張されて伝わっていて……私まで事件に関わっていたってように思われていて……」

「そんな根も葉もないデマが?」

「必死に説明しても、上辺で同情されるだけで誰も信じてくれなくて……説明すればするほど言い訳だって疑われて……そのうち汚らわしいから出て行けって嫌がらせが始って……」

「……」

 言葉を失う霜月。だがエリート意識が強い楪女子学院の生徒達の虐めが陰湿で過酷があろうことは、霜月にも容易に想像がついた。

「ああ、こんなこと美佳さんに話すつもりじゃなかったのに……ごめんなさい」

「かまわないわ。どうして謝るの?」

「だって美佳さんは大切なお友達を二人も失われて、私なんかよりもずっと辛い思いをされているのに……」

 柵木の言葉に、霜月は胸の奥が痛んだ。

 それは今日、友人たちとの思い出が詰まったこの店へ来た理由が、彼女達とは無関係であるのを責められたような気がしたからだ。

「でも、美佳さんと会えて良かった。私ずっと美佳さんにお礼が言いたかったから……」

「お礼?」

頷く柵木。

「私、楪女子へ転校してから色相が濁り始めて、卒業した後も止まらなくて……もしかしたら自分は、あの人達が言っていたように汚れた人間なんじゃないかって思えて辛かったの。そんな時、美佳さんが公安局の監視官になったのを聞いて、凄いって感動して……」

「そんな、私なんか全然凄くないし……」

「いいえ、美佳さんは本当に凄いわ。私、ずっと楪の人たちを恨んでいた……でも美佳さんが監視官になったと知ってハッとしたの。私より何倍も辛いことがあった美佳さんが、事件の記憶から逃げずに戦っている。私も戦わなきゃって。そう考えて頑張ったら色相が改善し始めて……」

 その後も柵木は霜月へ賞賛の言葉を浴びせ続け、何度も頭を下げた後、ようやく店から去って行った。

「さすがに褒められすぎよね」

霜月は溜息をつく。

「私だって、ずっと逃げていたようなものだし……」

 霜月も柵木と同様、あの事件で失った二人のことを考えると色相が濁ってしまいそうで……だから振り向かずに前だけを見て走り続けて来たのだ。

 結局、柵木を救ったのは自分ではなく柵木自身だ。

柵木が目標にした理想の霜月美佳──

「辛い過去から逃げず、あえてそれと戦うべく刑事になった女、か……」

 そんなドラマのヒロインのような架空な存在を、自分自身が目標にするもの悪くないかもしれない──そう霜月は思った。

 考えて見れば、良い部分も悪い部分も、楽しい記憶も辛い記憶も、その全てを含めての自分という人間をシビュラは選んだのだ。多少の失敗があったとしても、シビュラという全知全能の女神はそれすら想定しているはずではないだろうか?

 ならば自分がすべきことは、過去から逃げるのではなく、シビュラを信じて迷わず前へ進むことだ。

 霜月はそう考えると、不思議とそれまで感じていた焦りや苛立ちが霧散し、自分を邪魔しているとしか思えなかった事柄まで、新たな飛躍のためにシビュラが用意してくれたハードルのような気がして闘志が沸いた。

 そしてなにより、ここで自分が負けてしまっては、自分と同等の可能性を持ちながら理不尽に殺されてしまった友人たちに申し訳ないように思えた。

「そうよ、もう誰にも私の大切なものを壊させるようなマネはさせないし、もう誰にも私の色相を濁らせるようなマネもさせない……!」

 霜月は、かつて友人達が座っていたテーブルの向う側の席を見つめた。

「ゴメンね……私、貴女たちの事を忘れようとしていた。でも、もう絶対そんなことはしない。貴女たちとは、これからもずっと一緒だからね」

 霜月は席から立ち上がると、木枠の窓から差し込む木漏れ日の中で楽しそうにお喋りを続けている二人の友人を背後に感じながら「またね」と言って店を後にした。

 

 

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