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目 [mé]  非常にはっきりとわからない

に行ってきました。

目 [mé]とは

- 2012年に荒神明香とwah document(南川憲二、増井宏文)により結成。アーティスト荒神、ディレクター南川、インストーラー増井という役割分担となっている。

- グループ名は「肉眼に届ける」「目のあたり」などから


感じたこと

会場は改装工事中の美術館で、1階の時点ではさまざまなものが雑多に置かれ、とくに展示らしき展示はない。自分が行ったのは最終日前日だったため、かなりの長蛇の列(1時間ぐらい)でしたがスタッフが受け付けて一人ひとり丁寧に説明するのを「説明はまとめてやって受付はチケットの受け渡しにしたほうが早いんじゃ?いや、あえてそこで時間をかけることで中の混雑を防いでる?」みたいなことを考えていたら意外とすぐ入ることができました。ちなみに一度チケットを購入すれば期間中なんどでも入場可能とのこと(もっと早くいけばよかった。2回目は絶対違う体験になる)。


展示は7・8階なのでとりあえず8階にエレベータで上がるとそこも準備中でいくつかの部屋に別れている。

ある部屋には和風の掛け軸のようなものがかかっており、割れたガラスやちりとりとほうきが床に放置されていた。

別の部屋には天井から吊るされた大量の時計の針のオブジェがあり、それぞれ別の時を刻んでいる。机の上には「不良品」とかかれ、動かない針が置いてあった。

最後の部屋には謎の文字がかかれた木のパネルでできた大きな壁が1面、他の3面は黄色、ラッピングされた謎の銅像のようなもの、光る球体などが置いてある。「暗号かな?」と思いながら眺めていたがとくに法則らしき法則はなさそう。

通路は養生され、おおくの部分がビニールで覆われており、作業員のような人がダンボールを移動するなど制作中の様子。「会期終了にむけてちょっとずつ完成に近づいていくみたいな感じなのかな」と想像しながらも釈然とせず7階へエレベータで向かう(移動手段は階段はなくエレベータのみ)。


7階でさっきと同じ順番で部屋を巡ろうとして最初の部屋に入ったタイミングで異変に気づく。

「同じだ」


8階でさっきみた光景と全く同じものが目の前にある。展示内容が同じというレベルではなく、ガラスの日々の入り方、ちりとりのなかのゴミの位置まで同じ。他の部屋も同じで、7階と8階で同じ空間が再現されていた。

ここで本当に同じか確認するために8階に戻る。さっきとはまったく展示を見るときの解像度が変わっている。木片に書かれた数字、落ちているガムテープのシワ、ケースに入った釘の本数などさっき全く気に留めなかったものを記憶して7階へ。

「同じだ」

この空間には無造作に置かれたものなどなにもない。すべてに意図がありそこにあるべくして置かれている。


この世界は自分以外の人間すべてが演者で、自分の死の直前、最後にネタバラシがあるんだ。

そんな妄想をしたことはないでしょうか?

このとき感じたのはそんな感覚でした。すべてはあえてやっている。そうなるとそこに意味を見出したくなるが、それは制作者のみが知ることで、実際には意味なんてないかもしれない。7階と8階ではすべてが全く同じわけではなく、大きな円盤のオブジェがどちらもマーブルではあるが片方は赤ベースでもう一つは緑ベース。そこにどんな意図があるのか、わからない。


混乱しながら7階と8階を往復して、疲れ切った後に1階に降りると、上がるときには気にもとめなかったものが大量に目に飛び込んでくる。会場をでて家に帰るまでの道、電車の中、すれ違う人。すべてが仕組まれているのではないかと考え情報がオーバーフローしている。

そして自分の家に帰ったときの安心感。ここにあるのものは自分が選び、なぜここに置いたかは自分が説明できる。やっと「わかる」ものがあった。

しかしきっと他の人が自分の部屋を覗けば、なぜそうなっているのかはわからないだろう。


初めて一眼レフを買ったときから、今まで気にもとめなかった道端の花の前で足を止めるようになった。

ファッションに興味をもつようになって、なんとなくすれ違う人のことを目で追うようになった。

自分が世界をみる解像度が大きく上がる、そんなきっかけとなる展示でした。

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