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自分に由るという生き方

この原稿を書き始めた今日はわたしの誕生日。
そんな日でも日常は変わらず過ぎていくけれど、この日だけは毎年「立ち止まって自分を見つめる」そんな日になってくれている気がするのです。

ひとつ歳を重ねるたびに、これまでを振り返る。
日本に限ったことではないのかもしれませんが、この国にある節目というものは実にありがたいものだなと感じます。

「逝き方を考えることは、生き方を考えること」

これはわたしの師匠がいつか聞かせてくれた言葉です。
高校卒業後の春、父との最期の別れの時から「どんな風に人生の終わりを迎えたいか」そんなことを考えていたわたしの胸にすっと入ってきたこの言葉は、生きる指針を定めるきっかけをくれました。

人生の最期を考えることで、どんな風に生きていきたいかが自ずと見え、考えることができる。

日々なにが起こるかわからない毎日だからこそ、答えが見つからなくても正解がわからなくても、頭をつかって考え、体をつかって動きつづけることで、きっと何かが見つかるはず。今はそんな考えに落ち着いています。

さて、今年はわたしがFMT整体に出会って15年目へと突入します。
自分の年齢が、もうすぐ出会った当時の師匠の歳になることを思うと驚愕ですが…「その年齢を迎えるまでに何かしらを形にしたい」そんな想いは、わたしの原動力のひとつでした。

今、目標としていたその年齢を目前にして、これまでを振り返って思うこと。

それは、今日までは何かを成し遂げるための期間ではなく、
「自由に生きる」ための準備期間だったのかもしれない、ということです。

ここでいう「自由」は仏教の言葉です。
自分に由(よ)る。自分を由りどころにするということ。

これまでは師匠が通ってきた道をなぞってみたり、真似してみたり、師匠の背中をなんとか追いつづけて、(まったく追いつけなくて…)もがいて。

決して楽な道ではないけれど、師匠の背中を追うというわかりやすい道を歩ませていただいたことが、今を作ってくれています。環境や周囲の人々が成長を後押ししてくれました。

あらためてこれからを考えたとき。

ここまで由りどころとなる自分を作ってこれたのか?
頼れる自分を育ててきたのか?

出会った当時の師匠の年齢というひとつの着地点において、
「次に歩みを進めていくうえで、おまえは準備ができているのか?」
そこが問われるのではないかと思うのです。

ひとつ歳を重ねた今、あらためて15年という区切りに向けて残りの日々をどう過ごしていくのか。

そして、師匠の年齢を超えていくこれからの5年10年…
自分の人生がどれだけあるかはわかりませんが、どう生きていきたいのか、FMT整体という活動を皆と共に、どう育てていくのか。

これから進んでいく道は、わたし自身、そして一緒に活動を作ってくれる仲間、応援してくださる皆さまと、自由に作って行けるものだと思うから。

わたしが見るべき場所は、師匠の背中ではなく、その先なのでしょう。

あらためて今、それらについて考え、動いていくための岐路に立っている気がします。

これまでFMT整体を支え応援してくださった皆さま、本当にありがとうございます。今後とも厳しくも温かい目で、私たちの活動を見守っていただけますと幸いです。

皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。

FMT整体
柴田友里絵

いつもありがとうございます^^ 頂いたサポートはより良い施術や環境を提供しつづけるための勉強代や研究費用、自然保護活動に使用させていただきます。恩やご縁をつなぎます。