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返事

 私はカフェ巡りが好きで、時間が空いている時にはカフェによく行く。私が住んでいるエリアにはチェーン店だけではなく、個人経営のお店も多く、書類整理や請求書の作成等、パソコン仕事を家でやっていて余り集中して出来ない時には足を運ばせてもらっている。

 勿論仕事だけではなく、ぼーっと過ごしてみたり、店員と会話をしたりと、その日によって過ごし方は変わってくる。

 最近良く行くカフェのスタッフが、この1年ぐらいで新しい人を雇った事もあり、少し平均年齢が下がった。学生バイトと学生上がりの社員が増えたのである。元々少人数でやっていた店舗でスタッフを増やすことが出来ているので、昨今の事情に負けずにちゃんと運営が出来ているようで安心している。私の好きだったカフェがこの数年で無くなってしまっていたので、好きなカフェにはちゃんと残っていてもらいたい。

 こうしてスタッフが増えた行きつけのカフェにて、気になる事が出てきた。それはスタッフ同士のやり取りである。

私がオジサンになってしまったのか

 何の気無しにいつものように紅茶を飲んでいた時に、ふと社員がバイトの子に何やら指示を出していた。どのお店でも日常的に見る光景だろう。私も接客の仕事を中心に行っていた頃はよくスタッフの子に指示を出していたし、相談を受けて対応をしたりと、スタッフ同士のやりとりは経験をしてきた。社員の人と会話をしていた訳でもなく、こうしてパソコンを触って居た訳でもなく、ただぼーっと過ごしていたからこそ、気が付いてしまった事があった。

 社員がバイトに指示を出したその時、バイトの子が返事をする場面を見たことが無いのだ。それも一度や二度ではなく、基本的に返事をしていないのだ。

 私が社会人に成り立ての頃は、人が何かを教えたり指示を出している時に対して、何らかの返事はしていたと思うし、返事も出来ない人は良く怒られていたように思う。良し悪しの話ではなく、ちゃんと指示が聞こえているのか、或いは内容を理解しているのか?という意思表示が欲しいのであって、それが無いと困る場面というのはどの職場でもあるのではないだろうか?実際理解したものとして認識していたものの、いざその時が来た時に「聞いてませんでした」や「知りませんでした」という状況をあらゆる場面で見てきた。

 勿論返事をしたらこれらの状況の全てを回避出来るものとは思わないが、返事の有無で全然この手のトラブルの数は違ってくる。こうして我々おじさんは仕事で痛い目を見ては学んで、社会人としての振る舞いを身に着けてきたと思う。まあ、社会人として完璧かと言えば大なり小なり今でも身についていない常識というものは有ると思うのだが、何とか今日までやってこれた事だけは確かである。我々の世代ぐらいにもなると、今流行りの「働かないおじさん」とか言われる人も出始めるのだが、今の若い子の事を「仕事出来ない出しゃばり」に見え始めてしまう。

 私は今やフリーランスとして働いているので、対お客様とのやり取りさえ出来れば上下関係に悩まされる事はないし、業務委託元に出向いてオフィス業務をやっていても、あくまで私は雇用契約ではなくギブアンドテイクな関係なので、そこでも上下関係は存在しないので、働かないおじさんとか仕事出来ない出しゃばりとは一歩引いて接することが出来る。まあ、今の業務委託元にはそんな変な社員は居ないのだが。

 しかし、組織の中で一緒に働く時に、こうして返事をしない、返事が出来ない人と働く事が出来るのか?と言われたら、もう厳しい。マネージャーをやっていた頃には幸いにも返事が出来ないスタッフは居なかったので、返事についての指導をしなくて済んだのだが、根本的に返事が出来ないスタッフというのは、仕事が出来るかどうか以前にそもそも壁が常に発生している状態なので、その時点で一緒に仕事をする事に疲れてしまう。

ところが上手くいっている

 肝心のそのお店の社員はというと、特に気にしておらず、そのバイトの子と普通に仕事が出来ている。思えばその社員も新卒なので、年齢的に言えばそのバイトの子の方が、オーナーよりも歳は近いし、教育環境も近しい環境で育っている。

 私がその現場に居たら間違いなく注意をしているのだが、結局その社員も若いからこそ、特にやり取りに対してトラブルは発生していない。少なくとも揉めそうな雰囲気にはなりそうにない。普通に出した指示に返事はないし、そのまま業務を行うし、それで成立しているのだからきっと、それで良いのだと思う。

 私はそんな環境で仕事をしていないし、返事をすっぽかしてしまえば怒られることが当たり前の世界で育ってきているからこそ違和感なだけであって、今の教育環境で育ってきた方々のコミュニケーションはツール一つをとっても我々の頃とは違ったものを使って育ってきているのだから、当然と言えば当然なのかもしれない。

当事者同士が良ければそれが正解

 結局コミュニケーションなんてものは、当事者同士が問題なく出来るのであれば、それでいいのである。私だって同級生や心を許す相手に対しては、外面とは確実に違った接し方をしているし、何なら返事の出来ない若者より酷い返事を出している事もあるだろう。

 しかし、職場というのは年齢が近い人とだけ一緒に働く訳ではなく、10歳ぐらい離れた人とも、下手をしたら親世代の上司と仕事をする人も少なくないだろう。そう考えるとやはり昔と今では教育や環境が違うからと言って、それを時代だどうだと言って容認しすぎる事も、それはそれでギスギスする要因になるんだろうなとも思っている。

 カフェのそんな一場面を見ただけで、こんなエッセイを書いてしまう私はもはや、もうフリーランスから再び組織に属して働く事は出来ないだろう。業務以前にこれだけで私はストレスを抱えてしまうだろうから。

 と、いう事を思っていたものの、別に私はそのカフェに勤務をしている訳ではないし、一緒に仕事をする事もないので、これからも今まで通り、ぼーっとしたり、そこのスタッフと雑談をしたり、その時の気分に合わせた過ごし方をしていく事に変わりはない。

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