100年先のわたしへ|退職とキャリアブレイクと転職の記録
昨年6月に会社を退職した。9ヶ月のキャリアブレイク(能動的無職期間)を経て、今年4月、新しい会社に入った。早いもので半年が経って、退職エントリも入社エントリも書けていなかったことを思い出した。
天職を辞めるまで
前職はざっくりいうと広告代理店。特に、キャンペーンの景品やキャラクターグッズなど、ものづくりとPRを掛け合わせた企画を得意としていた。
イベントの実行委員や文化祭パンフレットの表紙制作など、学校で発生するクリエイティブなことを手当たり次第にやっていた高校生の時から、漠然と広告代理店にいくんだろうなと思っていた。
その後、大学中退、ニートなど紆余曲折あったものの、思い描いた通りのルートへがむしゃらに這い上がった。
広告代理店のプランナーは天職だった。
アイディアを出すのも、顧客や市場のニーズを汲み取るのも、描いたアイディアを資料に落とすのも、臆せずプレゼンするのも、デザインなどのクリエイティブを一目で良いと思えるレベルにディレクションすることも、すべてが得意だった。
でもある日、とても疲れてしまって、起き抜けの頭で休みたい、と思った。広告の仕事には、際限がない。(すべてがそうではないけど)
稼げるだけ稼ぎ、予算はあるだけ使い、目標は毎年更新され上を目指し、大量のモノやクリエイティブが生み出されては消費されていく。
はたして、こんなに疲れ果ててまで頑張っているこれは、誰かをちゃんと幸せにしているのかな。
このまま走るのは危険だと思い、休職を申し出た。でも、会社から許可が出なかった。ぼんやりと辞める選択肢が思い浮かぶようになった。
果てしない雪のなかで祈る
ところで、みなさんは生まれてきてよかったですか?私は、ぜんぜん。生んでくれなんて頼んでないのになあ、と思いながら生きてます。でも、人生は楽しい。
頼んでないけど生まれてしまったから、しかたなく毎日を全うしている。どうせやるなら楽しい方がいいから、がんばっている。そんな感じ。
人生とか、生きることをイメージしたとき、私のまぶたの裏には雪の荒野が見えます。分厚い雲と強い風、痛いほど冷たい空気と、踊り狂う雪。そんな風景を、ただただ歩いている。はやくどこかに辿り着きたいのに、ゴールがどこなのかも分からない。私にとって、人生ってそんな風景。
天職を辞めるかもしれないと思ったとき、ああ、そんな風景の中で静かに過ごしたい、と思って、岩手の雪山で4日間を過ごした。
ここで知ったこと、感じたことが、退職を決める最後のひと押しだったし、転職先選びにまで、色濃く影響をにじませている。
同じ雪の世界でも、どんな道を歩くか、景色によって感じ方は変わるし、それは自分がどんなふうに世界を切り取るか次第だ。
新しい人生のランドスケープを思い描いたとき、もう人の褌を借りてゴミをつくるような仕事はしたくないし、ちゃんと世界に期待して、祈っていたいと思った。
公園をつくる仕事
今の仕事は、公共空間についてまあ色々、本当に広くやっているんだけど、入社のきっかけは「公園をつくる仕事」でGoogle検索したことだった。
天職だった広告代理店を辞め、まず旅をした。ヨーロッパを1ヶ月、気ままに巡って気づいたのは、存在を許される公共空間の心地よさだった。
空間というのは元々そこにあるものだから、どう活かしていくかが問われる。そして、だいたいが長く残っていく。
あるものを活かし、できる限りゴミ(無碍に消費されるもの)をつくらず、長く遠い未来によろこばれるものを希求する。
それが、私の雪の心象風景に変化が訪れたように、世界の切り取り方を提示して、100年先の誰かのよりどころになったらいいな、と思った。
なぜ100年先なのかは、正確に言語化するのが難しい。身近な関係性よりも、会ったことのない誰かのために仕事をしたいというのもあるし、生きているうちに名を残したいという気持ちもなく、死んだ後にぼんやりと何かがある、くらいの方が、なんだか希望だな、と思っている。
ラブレターのような応募書類をつくり、入社して半年。まだまだ知識は足りないけれど、基本的な業務には慣れて、いろんなものが見えてきた。孤独を感じたり、合わないかも、と思う場面も正直あった。
ヨーロッパを周遊していたのはちょうど1年前にあたるので、最近はそのときのことをよく思い出す。今の自分は、あのときみたいにきらきらしてない。
仕事は好きだ。誰かの役に立つことも、目の前の課題を解決することも、曖昧な問いに答えを出すために思考することも。けれど、旅をしていた自分ほど素直に幸せではないなと思う。
でも、旅しながら働く、みたいなことをしたいわけでもない。仕事は仕事で、やっぱり好きなのだ。
自分の破片が無数にあって、統合して生きていくのはいつもむずかしい。過去は煌めいて見えるけれど、折り合いをつけて現実を歩いていくうちに、きらきらしたものが増えていったらいいなと思っている。
目の前のことに忙殺されると、すぐに100年先に祈ることを忘れてしまう。でも、日々の業務の積み重ねだって、そこに届くために必要な一歩かもしれない。
答えは一生分からないし、きっと私は答えを得る前に死ぬだろう。もしくは、死んだときに答えを得るのかも、と思う。
でも、100年先に祈れていればそれでいい。
自分ではない、自分のような誰かを、めぐりめぐって運良く守れるとするなら、そんなに幸せなことってない。
そんな気持ちで、今働いているし、きっとまだまだ働いて、生きていくと思います。いい1年半だったな。
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