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オーバートレーニング症候群になって気づいたこと①オーバートレーニング症候群に気づくまでの半年の過ちから

題目の通り、私オーバートレーニング症候群になってしまっていました。
診断を受けた時にはもう既に重症化の症状が出ており、もう手遅れに。正確にいうと兆候は今年の6月から始まっていたので、診断まで半年も棒にふってしまっていました。
今も療養中で、走力とトレーニング状況はまだ元には戻ってないんですが、一番厄介だった鬱症状を代表とした精神的症状からは徐々に復活しつつあります。トレーニングも軽いトレーニングは再開できつつあります。

ただ、自分がオーバートレーニング症候群になった時に、
どうやって復活を目指せばいいのか?
と参考にするために色々ネットを漁ったのですが…ランナーってオーバートレーニング症候群になりやすいらしいのに、

ランナーのオーバートレーニング症候群についての情報が全然ねぇ!!!!!

と割と困った記憶が

ということで自分がオーバートレーニング症候群になってしまった反省も含め、少しでも似たような症状ででも悩んでる人がいれば、と思い筆を取った次第です。
当方基本文章書くのは下手くそなのですが、お付き合い頂ければ嬉しいです。
ものすごく長いので
①オーバートレーニング症候群に気づくまでの半年の過ちから
②オーバートレーニング症候群から回復するために今やってること
(オーバートレーニング症候群から回復できたら③オーバートレーニング症候群回復のために)
に分けます。
今回は①です。

最初は貧血になっていた


私は元々貧血持ちでして。高校から陸上を始めたのですが、毎年のようにどこかで貧血になっていました。
食事は栄養学を独学したぐらいにはバランスのいい食事や鉄分をしっかり摂れるような工夫をしており、徹底しているのですが、なぜかいつも貧血になってしまう。

そして今年も貧血になってしまった。それが6月のこと。
5月までは3000mと5000mで7年ぶりの自己ベスト更新、1500mも大学以降の大幅PBに加え高校を合わせてもセカンドベストという、大の苦手で何年も逃げてきたトラックでまさかの大躍進(当社比)。
しかしこの勢いのまま行こうと思ったのも甘くなく、
京都府選手権の資格タイムを切るために意を決して挑んだ6月中旬の兵庫実業団記録会前から走っても息切れがひどい。身体もだるくて重い。
そして兵庫実業団記録会は大撃沈

そこから不調が止まらず、症状的に
これ、貧血かもな
と思いかかりつけのスポーツ内科へ駆け込み検査をすると、案の定貧血だった。
毎年貧血になったらわかるんですよね、ある程度は(毎年貧血になるのもどうかと思うけど)
でも貧血が治ったらこれまでは毎年飛躍できたり、少なくとも走力は元に戻っていたので、
まぁまだ6月やし、夏が終われば治ってマラソンシーズンには間に合うやろ
ぐらいにしか思っていなかったのです。


意地でもマラソンで結果を出すために走り込みまくった夏合宿→コロナ感染→それでも鞭打って走る

そしてスポーツ内科で貧血の診断を受けた翌日に長野県に夏合宿に参加。
貧血で思うように質は追求できないのはわかっていたので、量はしっかり稼いで土台を作ることに。
ここで3日間で141km走るというなかなかのクレイジーな合宿であった。
それでもとても楽しかった。

しかし帰宅して2日後、仕事中夕方いきなり
あれ、喉が痛い、そして全身の関節が痛い…
当方体調を崩しても発熱はあまりしないタイプなのだが、明らかに何かがおかしい…
結局仕事も残業を最低限に済ませ帰宅をして早く寝ることで回復を図ったが、翌日には発熱し、出勤停止。1時間格闘して発熱外来を予約して受診して、翌日コロナ感染発覚
合宿で免疫力が落ちたのだろう。とんでもなく長い休みとなってしまった。

ちなみに自宅にいた時もひたすら家で筋トレやタバタをしたりしており、自宅療養明けはすぐにクソ暑い中走り込むためにロングランをバンバン入れた。
コロナ明けの身体を走り込み優先で容赦なく鞭打った。
去年は故障で結果を出せなかった。だからこそ今年こそ結果を出したい、ただそれだけのために。
しかし、今思えばこれがよくなかったのかもしれない。
コロナはただの風邪、そう思う人も少なくはないだろう。いろんな意見があると思う。しかし、いくら例えただの風邪であってもそうでなくても、状態が落ちており元気ではないことには変わりはなく、運動による刺激に対する身体の耐性は健康な時に比べたら落ちるのは当然。
そんな中で、しかもまだこの時は貧血でもあったから、尚更普通よりも身体は弱っている。
そりゃそこで鞭打ったら回復できないほどの疲労が重なるだけだろう。
それに気づけなかったのがかなりの過ちだった。


相性のいいはずの北海道マラソン、走り込んだのに悪夢のマラソンに

私は毎年夏は走り込むのだが、ルーティンとして北海道マラソンで調整をせずに走り込みの総確認をしている。今回で4回目の出場。
今年は3年ぶりに開催され、まさかのエリートの部での出場。
今年から入ったチームのユニフォームを着てアピールできるチャンス。
チームの中では男女差を考慮してもダントツの鈍足ではあるが、ここでなんとしてでも全国にチームをアピールすることにちょびっとだけでも貢献したい。
ということで貧血の中でもひたすら走り込んだ。質もできる限り追い求めた。
7月は503km,8月は480km
これだけ走り込めば北海道は相性もいいので調整しなくても経験上サブ3は堅いと思っていた。
しかし実際は32kmからフルマラソンで初めて下痢でお手洗いに駆け込み、脱水になりふらふら、貧血の頭痛で満身創痍。結局北海道ワーストタイムで終了してしまった。今まで17回走ったフルの中で一番悪夢のフルだった。
いつもなら北海道翌日も走れたし、楽しく観光していたのだが、今年は頭痛と倦怠感と吐き気で起き上がれず、せっかく有休をとったのに札幌市内すら観光できず、固形物も食べられず帰宅した。
今思えば北海道マラソンも身体に大きなダメージを与えてしまい、結局オーバートレーニング症候群を大きく進行させたと思う。


貧血の次は自律神経失調症

北海道が終わってから身体はもう限界を迎えていたのか、9月からは貧血も血液検査上では改善されていたのに、
頭痛、倦怠感、吐き気、時に悪寒と火照り、無力感
に悩まされ、それでもなんとか走ろうとしていたのだが、とうとう一日中寝込んで走れない日もでてきた。
この辺りから仕事も急激に忙しくなり、でも社会人1年目で失敗したりして一人反省会を毎日のようにしていて、精神的にも追い込まれていた。
9月にもう一度トラックで速い動きを身につけて10月からマラソンに出るはずが、トラックに出れる状況には全くなく、全て出場断念。

たまたま治療院に行った時に
自律神経乱れまくってますよ、よくこんな状態で走ってましたね。もう手遅れかもしれませんが、漢方クリニック紹介するので行ってきてください。
と勧められ、とりあえず漢方クリニックに行き、診察の結果
割と重めの自律神経失調症
となった。
結局沢山漢方を飲んで、体調が良くなった時も出てきたが、改善には向かうことはなく、お金も気になるので今はやめてしまっている。

今思えばオーバートレーニング症候群の症状のひとつとして

『自律神経機能異常』はめまい、たちくらみ、便秘、下痢、腹痛、起床時の心拍数変化
江戸川病院HP  オーバートレーニング症候群

としてあり、結局はオーバートレーニング症候群の症状のひとつにすぎなかったのだが、当時はオーバートレーニング症候群に気づかず、社会人1年目で自己嫌悪に溺れるストレスと走りを無理やり頑張って疲れてるだけだろう、としか思ってなかった。


涼しくなったのに、貧血も治ってるのに、全然走れない

10月になり涼しくなる日も増え、周りはどんどん調子を上げていった。
私も例年ならそうなるはずだった。
しかし、貧血に苦しんだ夏よりも、全く走れなかった。
例年なら故障の有無問わず㌔4で15-20kmはクリアできるのに、今年は涼しくなってるのに10kmすらままならない。8kmすら無理。もって5km…
今年は珍しく年間を通じて故障だけはせず練習を継続してきているのに、明らかにおかしくないだろうか。
夏よりもゆるい設定でも体調が悪化して寝込むことも出てきた。
明らかにおかしいのでスポーツ内科に行くが、
血液検査は栄養状態も貧血も全て改善され、この結果ならバンバン走れているはずだった。
納得がいかずに困ってたら
もしかしたらオーバートレーニング症候群かもしれないですね
と言われた。
TwitterなどSNSには月間900km走っても全然頑丈な人も多いけど、私はたかだか月間400-500kmやし、毎年それぐらいは故障をしなければ走れているから、普段走ったことのない距離を走ったわけでもない。だから流石にないだろう、と思っていた。
しかし、いくら自分はそう思っていても、この距離でもオーバートレーニング症候群には陥ることが後々で調べてわかった。
ネットで調べると、
週末ランナーでもオーバートレーニング症候群に陥る可能性は少なくない
との記載もあった。

シーズンはそうこうしてるうちに突入してしまったわけで、不調がおさまらず、本来目標にしていた金沢は無念の棄権し、それ以降のレースに合わせることにした。
また、この頃から仕事でもさらに落ち込むことが増え、帰宅後一人反省会に加え、無意識に家で泣いてしまうことも増えた。休日、とくに土曜日は仕事の疲れと無気力で全く起き上がれず、家事も含めて一日中何もできないことも増えた。後に記載する鬱症状が始まったのはこの頃からだったと思う。


11月のハーフで過去6年間ワースト→鬱症状悪化
オーバートレーニング症候群の診断

11月に練習でハーフマラソンに参加。
そこのハーフは毎年出場しており今年で4回目。
例年このハーフは9-11kmの激しいアップダウンをはじめ、他にも割ときついアップダウンが続くコースで、全く調整せずに出るので1時間25分台で3年連続おさまっていた。
しかし、今年の結果はまさかの1時間29分24秒…いつもより4分前後も遅い結果となった。

どこも痛くないし貧血も血液検査上では完治している。なのに4:00/kmがきつい。4分一桁すらきつい…4:10台/kmがいっぱいいっぱい。で、7kmで棄権したくなるキツさ。
もっと暑かった9月は27kmの峠走の翌日でも4:05/kmで余裕を持って12kmをこなせていたのに、さすがに走力が落ちすぎではないだろうか。
故障してたり明らかに何かの病気に罹っていたならまだしも、真夏でコロナ明け1ヶ月後で貧血真っ只中の北海道マラソンのハーフ通過よりも3分近くも遅い(しかも当時は夏であったにも関わらずなぜか余裕あり。シューズも同じ。)。
なんやかんやで自分のできる範囲でポイント練習はバランスも考えて定期的に週2〜3回いれていたのに、流石におかしいのではないだろうか。
あまりのショックで気持ちが切れてしまったのもあり、それから仕事以外誰にも会いたくなく、完全に引きこもって何事においてもマイナスの気持ちだけが強まり無気力になり、時には無意識に泣いてしまうことが頻繁におきた。抑うつ症状そのものだった。生理はもちろん止まった。誰にも会いたくなくて、どうしてもいかないといけない事務的な予定以外は全てキャンセルした。親にすら帰省どころか面会も拒否してしまうようになった。本当に

誰にも会いたくなかった
外にも出たくなかった
ランニングのラの文字も見たくなかった
何もしたくなかった

それからスポーツ内科に連絡すると、オーバートレーニング症候群などのスポーツの精神疾患にも強い精神科を紹介してもらい、受診することに。
結局
オーバートレーニング症候群
が判明したのだ。
また、仕事に関しても適応障害が出ていることが発覚した。大学院までいた大阪と今住んでいる京都は隣なだけにも関わらず、練習仲間を作ることにも失敗してしまい、新しい土地に全く馴染めず、かなり悩んでいたが、仕事の悩みと相まって適応障害も発症していた。
休職は流石に生活に関わるので意地でも避けたいし避けれるレベルにまでは踏みとどまっているが、なかなか辛い状態だった。

自分は元々割と明るい性格で、自己肯定は低いものの、まさか鬱までにはならないだろうと思っていた。周りから見たら尚更そうだろう。
でもオーバートレーニング症候群になると、なってしまうのである。


まとめ

ずいぶん長くなってしまったが、私の経緯としてはこんな感じ
4月 社会人1年目で入社
4〜5月 トラックでPB更新連発
6月 走り込むが息切れや眩暈や頭痛が目立つようになり、兵庫実業団はボロボロ。
7月 貧血発覚→夏合宿→コロナ感染→焦りから自宅療養解除後段階を踏むこともなくすぐに走り込みを再開
8月 貧血のまま走り込み→北海道マラソン大撃沈、ダメージも過去最大。ここから身体が一気に壊れ始める。
9月 自律神経失調症の診断。貧血は血液検査上は完治。走っても走っても貧血の時以上に走れなくなり、血液検査の結果と全く合わない体調に。
10月 再び走り込むも全く調子が上がらず、走力が日に日に落ちていき、こなせるポイント練習が減っていく。故障もしてないのに金沢マラソンは無念の棄権。
抑うつ症状も目立ち始める。
11月 相変わらず走力が落ち、練習のハーフのレースで例年より4分も遅いタイムを叩き出す。
鬱が急加速し、3週間ほぼ引きこもり
オーバートレーニング症候群と適応障害の診断

オーバートレーニング症候群になった要因(推測)
•7年ぶりの自己ベストなど、絶好調の陰に隠れていた疲労を考慮できていないまま鞭打って走り込んだ。
•貧血、コロナ感染、仕事や新しい土地に慣れるのに必死になっている
回復力が学生までよりどうしても落ちている
これを考慮できなかった

•体調よりも学生の時のリベンジのために焦りから無理してひたすら走り込んでしまっていた

これはあくまでも自分の例だが、オーバートレーニング症候群かもしれない、または似たような症状がある方は一度見直すきっかけになれば幸いである。

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