誰のせい

私が性別のことを意識せざるを得ない状況に長くいたからなのか、自分が生まれ持った性別を他人に指摘されるのが苦手となりつつある。
別に自分がこの性別であることに今強く嫌悪している訳でもなく、昔に比べたら受け入れている方なのだけど、どうにも男や女という言葉、特に書き言葉では、抵抗がある。
まあ、使っちゃうこともあるけど。男や女を使う文体というのも、すっきりしてて、飄々としてて、自分にはない文体だから面白くて使ってみる。けど、その大胆さのことも思う。

私が旅先で出会って少し話しただけの人のことを書きたいときに、なんてその人のことを呼べばいいか、迷う。
見た目がどんな風に見えたか、はたまた自分と近いか遠いか、声は高いか低いか・・・など、自分の感覚を大まかにでも文章に書きあらわしたくても、憚られる。そもそも、性に分けるものでもないのだろうけど。性別を人物の情報として大切に扱うのは違うと思うんだけどね。それと年齢もそう。見た目から想定される年齢を書くか書かないか、とか。

お兄さんと書くか、お姉さんと書くか、おばさん、おじさん(おじさんという言葉も非常に使いにくい、なぜかdisイメージが強い)と書くか、おじいさん、おばあさんと書くか、とにかく困る。どれも嫌になって、「その人」「その方」になる。

自分が道端で挨拶を交わした人のことを書くときに、全て「人」としか書けないような気がする。難しい。本当は会った私はかなりの情報をその人から得ているのだけど、それをどこまで文章化するか。
あと、代名詞にするのも困る。彼や彼女と書いて、性別らしきものを明確にしたくもない。でも、「その人」と書いていくのも読みにくさがあるような気がする。しかし彼や彼女と書くのはとにかく変な感じがする。抵抗なく読むことはできるっちゃできるけど、特に彼女など、「男」「女」の文字を書いたり打つことにエネルギーを使うしためらう。

本当は肉体のことなんて、そこまで重要じゃないのに、印象というものを書きたいとき、どうしたらいいのだろう。自然と性別や年齢のことを見てしまうことも、できるだけ直してゆきたいけれど、どうしたらいいのかな。

自分はまだまだ気をつけなければならないことばかりだし、できてないことの方が多いけども。これからも気にしてたいなあ。

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