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告白の勝ち負け

7月から、もっというと6月下旬から、私の生活に大きな変化があった。
詳しく書くと、好きな場所に、前々から予定を決めてハイペースで行けるようになった。しかも、財布の厚さ薄さに関わらず。
ただ「いる」beingよりずっとdoing「も」する役割だけど、とても充実していて楽しい。

この役割を頂けたきっかけにある種の告白が絡んでいるので、恋愛感情じゃない告白について考えてみたい。告白の経緯をふりかえりながら。

場所への片想い

恋愛感情以外の告白(みたいなもの)って結構ある。自分の相手への感情を伝え、相手との距離感を明示せしめんとする行動というか。
例えば、演出家が役者に出演オファーするのもそうだし、バイトの申し込みもそう。広く言えば受験申し込みだって学校や資格への告白と呼べる気がする。現に私は高校3年の時、志望校への片思いだと気分を盛り上げながら受験勉強していた。

そういった広義の告白をして、私はある場所に立てる役割をもつことになった。

独特な学部のある志望校に恋したように、この場所をとっても愛おしく思っている。素敵で、面白くて、刺激的。本当に好きだ。
場所はいい顔しないだろうけど、誰にも教えたくない、独り占めしたい、と思ってしまうタイプの好き。よくばりな独占欲が執着や愛着の証拠だとは言わないけれど、私なりの好きなものを大切にするやり方の一つなのだ。
何より外の属性や関係から離れた、その場で生まれる真新しい姿で過ごしたいから。(だから場所の詳細はここでもどこでも、口でも指でも載せたりしません)
その場所の運営に関わる主宰者もすごくinterestingな人だ。

結構長い間、それこそ受験勉強してた期間くらい、ここで違う役割をやってみたかった。主宰者寄りの立ち位置から場を見たかった。
そのためには主宰者に意志を伝える必要があった。

その場所への執着や愛着のような、そういったものは雰囲気から匂わせられるといいな〜と思って、すでにその役割を担っている先輩に助言された「ものほしそうな顔」(一体どんな顔なのか今でもわからないのだけど)を探り探りしてみるなどもしてみた。そうやって雰囲気で伝わらないかと試行錯誤していたけれど、自分はテレパシーの使い手ではなかった。だからその場に立ちたければ口を動かすのが重要であった。

すぐに打ち明けてしまいたい気持ちがなかったわけではない。ただ好ましいタイミングも、安住の楽さのある座場(⇆立場)を失うかもしれない覚悟や勇気も、なかった。

正直、ビビっていたのだと思う。帰りの電車の中で、あるいはその場にいながら、「私にはまだ恐れ多い」だの「未熟だから」だの、その他もろもろの事情をグダグダ考え、告白を遅らせてしまった。
何度か、いざ決戦!と意気込んで場所に向かう日を迎えた。見えない果たし状片手に向かう時は決まって、神様が(そう思い込みたい)好機を与えなかった。いや、あえて見逃してたやもしれぬ。

想いの告げ方

しかし、とうとう言い出すチャンスと覚悟が両方揃った日を迎えた。
それが6月の下旬だった。

詳細は伏せるが、こちらのそれとなくのお伺いに、結構切り込んだ返事が飛んで来た。
恋愛の告白で例えるなら「気になる人とかいるんですか……?」に「アタシのこと気になる(好きな)の?」と返された感じ。ワァオ話が早い。私は「そうなんです」と答えた。

主宰者は、その時を振り返ってその返事をしたことに「勝ち負けでいえば負け」と評している。

では私は果たして勝者だったかといえば、ボロボロに負けていた。実に惨めだった。
帰りの電車で、もっといい一言目があったはずだ、何年も想っていたのにこんな形になるなんて、と悔しかった。

「気になる人とかいるの?」って聞いたって例えたけど、あまりにも美化した気もする。私の懺悔に寄り添った例えなら「恋人と別れてしんどいんやって〜?」だ。
ほんっとうに最悪だ。こんなチャラついたナンパな奴なりとうなかった。
弱みにつけ込んだいやらしい人間だと自分のこと軽蔑いたします。実に恥ずかしい。好きな場所に合わせる顔がない。

友人に悔しさを述べたら、学校祭前に告って付き合った奴が、「俺、元から好きだったから〜」って言い訳してるみたいだ、と笑われた。ぐうの音も出ない。
ガ、ガチで俺、学祭よりずっと前、4月から恋してるし!
ムキになって言っても、あとの祭り。祭りの直前に告白したとて、相手も周りも全部言いわけと捉える。目に見える行動が伴ってないから。

するが勝ちかされるが勝ちか

主宰者もある意味で負けと捉え、私も大負けしているから、この場の告白に関しては、互いに負けてしまったらしい。相撃ちだな。まあそもそも勝つということがありえるのか。

告白は本当に勝ち負けなのかわからない。まあ、多数派の考えというものがあるのなら「告白される」方が勝ったのか?
しかし、私の考えでは告白する方がずっと勝ちだ。先手必勝。愛されることより愛することの方がずっと大事。
だから、ひどく悔しい。愛することの方がよっぽど美しいのに。
受け身じゃなく、好きなものには能動的でいたいんだ。

超人気授業の恋愛学講義というものに毎回潜っていた(受講理由でなぜか落とされた怒)けれど、告白されることを勧める時間が多かった。あなたたち側は待ちでいろと。告白させるように仕向けろと。脳的にはそうなんだなーと納得しつつ、じゃあ今まで間違っていたのね、とも思う。

今まで近くにいた特別な人たちには、たとえ相手から告白されたとしても、改めて好意を伝える時間を持ってきた。返事という形ではなく、告白という形で。
ある意味、私のプライドなのだと思う。いくら脳科学的に告白されることを推薦されても、告白しないなんて、愛されるままでいるなんて、フェアじゃない。
「あなたのことが好きです」への「私も」という返事なんて、好きって言ってないからね。

ただ、楽だから待つ、というのもわかるし、脳科学に従うと関係性が継続できるなら、それが賢いやり方なのだろう。よりよい関係性の継続は、相手も嬉しいことなのだから、負けるが勝ち的な、最初は負けといたほうがwin-win的になるのかもしれない。長い目で見れば。

でも私の場合、心が疲れておらず行動できるうちは、もう意地だ。できる限り、告白をする。いや、したいんだ。

一方、近ごろは告白する暴力性のようなものも身にしみて感じる。告白をしようとする(勝とうとする)という積極性は、同時に相手に負けを告げてしまうことにもなりえる、とわかった。

告白の欲求と理想

だから、真にいいのは相思相愛であり、なんとなく両思いで、同時に好意を伝えあってしまうことなのかもしれない。ナカヨシコヨシ師匠。
言葉で伝えてしまうから時間差があるけど、まなざしや仕草で好きを表せたら。

ああ、それはとても理想的で、実現がかなり難しそうだ。
僕らはテレパシストじゃない、何しろ、告白したいという気持ちをセーブしつつ相手の方へ歩み寄らないといけないから。(その制御に「相手を大切にしたい」という想いが透けるから理想的であり美しいのだけど。)

あの場所にだって、けじめという意味からも告白したかったんだ。これからの継続に向けた決意表明を自らしたかった。
なにより告白したい気持ちがあるんだ。


…………告白が手段ではなく目的になっているね。

全くもっておっしゃる通りで。

…………なぜ告白したい欲求があるんだろう?

うーん、なんというか、気持ちを見せつけたい?口説き落としたい?ぶつけたい?ちょっと違うけど……

もしかして、好意が一人で抱えきれないほど強くなってしまったことを「ぶつける」という暴力的なやり方で表せば、一時的にはスッキリするだろうから……?

そんなわがままから配慮のない告白で傷つけてしまっても、
滲み出てしまう想いではなく、硬いボールのような好意を無遠慮にぶつけてしまっても、
「勝った」と思いたい?
豪速球の好意が理性で抑えられないのを正当化し、自分の熱が相手のよりずっとずっと強いことを感じたい。
好きの暴力は止まらない!だって恋だもん!

……私よ、心の奥底ではそんなことを考えていたの?

なんてこった。そんな告白、好きな相手にすべきじゃない。大切にできてないじゃないか、思いやりのない行動だ。

私は己の好意に酔っているんだろう、情けないことに!
途中から話の筋が乱れたのも暴走する「好き」のせいなのだ!嗚呼全く!

穏やかな橋渡しを

告白って難しい。平和な告白はないものか。
そもそもなぜこんなに形式的な、儀式的なものに心を砕いてしまうのか。
いったいぜんたい、先攻後攻がなんだというんだ。ただの順番じゃないか。

ああ、もう告白したいという欲求から離れたい。
好意も燃え尽きる炎ではなく、ほのかに光り続ける火に。

もしも告白の場が生まれるのなら、もしもそれが勝負なら、私はあいこを目指したい。
あいこは愛へ続くのだと、今は信じている。

おあいこアイコで、あなたときっと、おにあいになりたい。


写真の作品:濟藤 優希 作
「酸素、二酸化炭素、Letter room 1」
過去を懺悔し理想を述べたこの長文が
あの場所への告白の代わりにならないか期待したことを、
最後に告白いたします……

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