にいなになりに

27日はラッキーデーだし、27歳はラッキーイヤー。

27歳を目指して生きている。
今の生の一旦の最終ゴールが27なのだ。
27歳は祝祭だし今までとまるきり違う。
今の自分と地続きでありながら生まれ直す感覚。

保育園生だった自分にとって、
2は黄緑、7は桃色。合わせて葉桜の色。
2はやさしさ。7はかわいさ。
この2つがとっても気に入って、組み合わせである72か27かを考えた時に、27の方が活発に生きてそうなイメージがあって、27歳を大事にしてきた。
27になったら、絶対いいことがある。
そう長年信じてきた。

強く27を意識したのは高1の頃。
高校1年生の頃、いろいろな一番を決めた。
好きな動物、好きな色、好きな数字。
決めたのにはいろいろな理由があるけど、主に2つ。
・好きを決めておけば優柔不断な自分でも迷わずに選べる
・好きなもので囲めば受験勉強の気分を上げれる

一番好きな数字である27は、毎月のお楽しみとして存在してくれた。
あるいは大事な日として。
高2の1年間、27日は人とお祝いする日だった。
高2の3月27日は大きな決断をした。
受験が終わった後も27をきっかけとしていた。
上京をしたのは3月27日。
忘れられない人に出会ったのは2月27日。
初めて一人暮らしをしたのは1月27日。
毎月の27日は人生の節々の記念日で、大切な日。

でも毎月27日にラッキーが舞い込むわけじゃないことに気がついたのは大学のいつ頃だったろ。
27日が素敵な過ごし方ではないというのは避けたくて、27日にいいことを起こせるようにした。好きなバーに行くとか、ごちそうにするとか。
ぼたもち単に待ってちゃいられないのだ。

そうして過ごしてきた27日の集大成が27歳の一年だ。
ここ数年、27歳を善き年として思えるように準備している。
もうあんまり時間がなくて、不思議の国のアリスのうさぎみたいに駆けている。
人格陶冶、精進していくのだ。少しでも自分の27に近づくために。
鞭を打って進もうとするんじゃなくて、目標のために前向きに頑張れるようになっていく、その過程から始める。
27までに満足できるほど頑張れなかったら27の後の時間をどう生きていくんだろうって少し不安になるくらいには、気合が入っていて、勝手に受験期みたいなプレッシャーを感じている。でも誰かの承認をもらうのでも、必要な結果を定めているわけでもない。
ただ自分は自分の求める27に、満足できるように励む。
まだぼんやりとした像だけど、27歳になった時にこれが理想だったのだ、と思えるように、頑張りたい。

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