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再生記(6.27 27:27) 解説と観察

今日は個人的な月の記念日です。毎月27日は大事な日。変わりばえのしない日々だから、アクセントとしての月(に一度の一生懸)命(楽しむ)日。
27日は気合を入れて楽しんでみる〜〜そしてご褒美を許す日。無礼講じゃ!

2020年6月の27日は
自転車とバスに乗って少し遠くの街へ。

喫茶店

久々に人と一対一で話しました。
やはり、初めての場所の(初めてに限らずだけど)最初の扉は、右往左往する。それが素敵な素敵な喫茶店だとしても。

しかし、入ってしまえば、だいたいは楽しく〜なれる。

だから、最初のハードルさえ、エイって飛べちゃえばだいじょうぶだ!って経験をいくつ積み重ねていても、ビビることをやめられない。
二回も私の挙動不審を観測されていて、人間すぐに変われない。

人に会うことに対しても、とても緊張していたが、相手はほぐし方を熟知しているのだと思う。私のように緊張した面で会う人は多いんだろか。
しかし、してもらってばかり、では対等になりえなくて、身長2割増ぐらいに伸びたい。

色々、(大まかにいうと)コミュニケーションについて話を聞いたり、気になることを教えてもらったりした。場について。あと対等がキーワード。

記憶から消してしまいたいような経験も巡り巡ってリサイクルされ、人生の伏線回収とはこのこと、と思う。

リサイクルショップ

そのあと、そこらへんを歩き回った。
大型のリサイクルショップがあったので、楽器を見るなどした。
ギターっていっぱいあるなあ。ガツンとくるお値段だな。ノリでは買えない。

ミニギターってかわいいなあ。
あと、ウクレレも見た。ウクレレ、移動にも良さそうだけど、曲ってどのくらい弾けるのかな〜〜どうせなら好きな曲をじゃかじゃか弾きたい。
でもそもそも楽器がほしい。セッションもしたい。ほらセッションってフリーダンスだから(?)

路上にいるときに、堂々と存在できる要素の一つとして、楽器があると思う。特に新宿駅北口にいる人とかはそう。いいなーって思う。楽器持って演奏していれば、パフォーマンスとして(見るかどうかはおいておく)成り立つ。

あとはペット。絵描き(ライブペインティング)。演説。
他には何があるかな。ティッシュ配り?ビラ配り?ナンパ行為?

路上に存在して、受け入れられ、あわよくば話しかけてもらえる装置。
話しかけてもいい機会。
出会いを生み出す仕組み。
そういうものをいくつか身につけて路上に立ちたい。
ずっと、市街劇に憧れているのは、路上で生まれる偶然の運命を信じているから。きっと面白いのだ。ワクワクが止まらないから。

帰り道

バスで帰ろうとしたのだけど、バスあるある、間違ったバスに乗る〜〜をやらかす。

気づいたバス停で降りて、トボトボ歩く。
この時点で、どのルートで帰っても食堂の夕ご飯は閉店時間で食べられない。
あ〜あ。

と思い、だったらバス代のかかりにくいルートで帰ろう。と歩き出す。結構暗がりだけど、20時から予定してたZOOMが始まったりして、別に怖くはない。

今日はステキにひかる靴を履いてきたのだ。きっと夜には星だったりする。足元の星。なので滅多に履かない。儚い薄さの靴底なので。

後ろを歩く人が大きな独り言を言っていて、話しかけられてるのかな?と思ったけど、リードなしで犬を散歩させてるだけだった。
ほうらやっぱりペットはずるいぜ。


歩いて歩いて、バス乗って、最寄駅ぐらいに降りる。
本当は自転車をおいてったから、行きのバス停に帰るべきなんだけど・・・

近所のバー

まあ、歩いてって、いつも通り過ぎながら定期観測?しているバーや喫茶店?の様子をみる。外から眺めて、営業の様子をチラ見。
近所に密集している場所があるのだ。

そしたら、ご飯を出してるよ!って書いてあるのに、改めて気づいて、ためらいがちに入店。夕食はここに決めた!

かなりうちわっぽく賑やかにしてる店だからどうかなーと思ってたけど、案外受け入れてくれた!!

隣のお客さんが一言目に「話しかけていい?」と来たもんで、嬉しくなっちゃった。ああ、こういうの、求めたんだ。

しかも、二人の先輩方から二杯ごちそうになってしまい、結構長いこといた。嬉しいねえ〜〜
私の人生をふた回り半くらいしてる人々は、すこし安心してしまう。生きた時間で区切るのは差別だけど、経験則から考えると私の人生一回り半くらいの人がちょっと怖い。

一杯目はご馳走してくれた人のお気に入り、ハーパーというバーボンのソーダ割り。
二杯目は私の今のハマり、ジントニック。ジントニックは初めてリピートしたお酒かもな。ニガうま。おしゃけ、うま〜。

案内された席の目の前にはテレビがあった。
テレビがあるバーって、どうなんだろうと思いつつ、若林の番組(初の激レアさん・・・)を見たりする。食堂の関係で10時までしかテレビを見れないのでこの時間帯の番組は、ほぼ初見。

・テレビがあると、人の会話を聞くのに集中しにくい。→バライティは特に。

・無言でも場の緊張がほぐれる感じはあるかもしれない。→音楽は?

・会話のタネが永遠に提供されている媒体でもあるだろう。→今回会話には使わなかった。

・テレビ見てると話しかけにくいかも?→話したいなら目線の動きに注意が必要 スマホ見てるのと近い閉じ方になっちゃうね

そのようなテレビが場にある効果などをぼんやり考えつつ、左右にいる人とおしゃべりをした。

新人は煙たがられるかと思いきや、うちわネタには解説を入れてくれるし、かなりよかった。
ちょうど、昼過ぎに聞いたコミュニケーションの話を踏まえつつ、他のところで当てはめて考えてみる。
場に対しての批評(?)の言葉を知ると、解像度が高まってよい。
今、どういうことが起きているかを抽象化できるのは、言葉を知る喜びの一つだろう。

ウキウキで帰った。これは通うことになりそうだ。
ちょうど大切な場所とのあり方が変化しそうなタイミングで、新しい居場所に出会えたのはありがたい。私を維持するための、サードプレイス。


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