独り旅 三日目後半-山頂

数々の岩を乗り越えて、数々の「あともうちょっとですよ」を聞いた。登山道で聞く「もうちょっと」ほど信用ならんものはない。果てしなくもうちょっとは続く。もうちょっと信仰はその場しのぎの気休めに過ぎず、すぐさま「ちょっとじゃないじゃん……」と絶望させる。どうであれ前に進まなきゃいけないことは変わらないのに、罪つくりな言葉だ。

しかしなんだかんだで無事、山頂にたどり着いた。みんな、リュックやシートを敷いて初日の出を拝む場所を取っているので私も場所取りをする。東はよくわかんないけど人が集まっているところの最前を陣取る。これまた百均で買っておいた表面がアルミのシートを敷く。空は暗く重たい雲が覆っている。雲、朝までにどっかいくかなあ。

山頂には阿夫利神社の本社があった。お店は一つしかなく列をなしていた。
とりあえず、無事頂上に着いたことを祝って、カップラーメンを買った。もしそのまま渡されたらどうしようと思ったけれど、何も言わずにちゃんと熱湯を注いでくれた。
山登りをしている方がツイッターに時々山頂でのカップ麺の写真をあげていて、ちょっと憧れていたから、叶えられてよかった。というか、山頂でカップ麺を売っているんだなあ、定番なのかしらん。スポーツドリンクも買った。
値段は思いっきり山頂価格という感じでカップ麺が三〇〇円、スポーツドリンクが四〇〇円だった。意外とメニューが豊富で、自家製のものは材料などどのようにここまで運んでくるのか謎だった。

日清の、なんの変哲もない醤油ヌードル。三分間待つ時間が愛おしい。手袋を外した両手でざらざらしたプラシチックの不器用な温もりを包む。あったかい。山頂での熱湯の貴重さを一身に受け止める。

おおよそ三分が経って蓋を開けると膨らんだ具が出迎えた。ごくり。ぷっくりとしたエビ。食欲をそそる香り。
やばい、こんなにカップ麺ってがっつきたくなる食べ物だったっけ。
塩分が体に染み渡る。血管を通して体に熱と塩が巡り巡ってゆく。甘いお菓子しか携えてこなかったからこそ引き立つしょっぱさ。うまい。
麺もスープも食べるほどカップの温もりが消えてゆく。しかし箸は止められない。
正直、山でカップ麺を食べる人を知った時は、山に来てまでそんな日常的な食べ物、登山の清らかさにふさわしくないジャンキーな食事はどうなのだろうと思っていた。でも山頂カップ麺、大正解だ!最初に気づいた人は天才だ。

麺をすすり終えても、ちまちました具を全てつまんで口に運ぶ。あっという間にスープがうっすらと残るだけになった。それすら捨てるのが惜しいので、箸だけ捨てて、場所取りしたところまで連れて行った。足元に置いて、いつでも塩分を取れるようにしておく。

場所どりしたところに戻る。さあ、お腹も落ち着いたし、これからが考える時間だ。ちょうどお友達二人で来たらしい方々に挟まれた場所に座っていた。夜景と対照的にどんよりと重い空。絶好の孤独に想いを致すチャンス。

孤独・・・か。

寒い。
ああ寒い。
さっっむい。
ざむいざむいざむい。

体温を凝縮するポーズ、体育座りになっても寒い。水風呂の比じゃない。

寒い、暗い、なにもしたくないしできない、動きたくない、固まる。
………………

いつのまにか寝ていた。
寝不足もあってか体育座りのまま寝てしまった。遭難した人が寝ちゃダメだって言われながら寝てしまうのわかるわ、これは寝る。寝不足なのもあるけれど、意識が飛んでいた。

起きたら地獄だった。背中が凍るように冷たい。冷える。しんどい。寝たら死んでしまうってこういうことね、確かに体温が死んでる。
寝てる間に、登山中の汗が冷えてしまった。背中に張り付いた肌着がいじめてくる。
なんだここは。寒いだけじゃないか。
寒い寒い寒い寒い寒い。。。。。。。。。
当たり前のように震え、どんなに身を縮こませても変わらない。

あ、このまま死んだらしゃれにならないな。
私が大山に登っていることなんて誰一人知らないや。親にも連絡できないってメールしてるし、友達には山に行く、んー高尾山に行くかなあ、としか言ってない。あ、死んだらどうしよう。
死んでしまう、この寒さに殺される。
あーーだめだ、雪国育ちとか関係なく寒い。しんどい。除夜の鐘を打ったときにもらった粗品のアルミ毛布を広げる。でかい。でも体をすっぽり包んでもさむ〜っ!!装備が足りなかった。アーーー

孤独に思いを致すことなどできなかった。孤独のこの字も考えられなかった。頭が寒い!で塗りつぶされてしまった。
孤独のことを考えられるなんて、生命の安全が確保されてる、ある程度余裕がある時なんだな。つまり、日常の私はある程度、少なくとも冬山の頂上よりは良い環境で生きていて、孤独なんて高級品を探している余裕があるということだ。あー、全然孤独わかんなかった。極寒はわかったけど。

震えながら待っているうちにうっすら空が明るくなってきた。遠くの空が薄橙に染まる。あそこが東だったか。みんなが一点を凝視している。だんだん橙は濃くなっていく。
灰色の雲と海のはざまから、赤が生まれた。

寒くてしんどいけれど、太陽を見ただけで生きて帰れると思った。空は結局雲に包まれていて、私のイメージした山からの朝日とは違った。茹でてる途中で殻が割れちゃったゆで卵みたいに隙間から黄色い光が漏れている。正直絵になる初日の出ではないけれど、ちょっと雲からこぼれた光が、無人島にやってきた救助船みたいにありがたかった。救われた。

私はしばらく眺めていたのだけど、周りの人たちは下山に動き出した。少しの興ざめ。みんな初日の出の瞬間だけ見れたら満足っぽい。映画本編終わったらすぐ帰るみたいな。私は御来光のエンドロールまで見る派。

いい写真を撮りたくて身を乗り出していたら見事に足元のカップ麺を蹴ってスープがこぼれた。ははは、やると思ったわ。

太陽が全身を空にのせても、体を解凍するのにさらに時間がかかった。太陽が出てきたらすぐ暖かくなるかと思いきや、三時間くらい経たないと、空気は変わらなかった。
寒すぎるので、豚汁をいただいた。焼けた肌に刻まれた皺が印象深い方をした方が一人、小屋の中で鍋からよそってくれた。
店の前のベンチで食す。急いで口に運びたくなったがとりあえず写真を撮る。
湯気が濃い。ほかほかのプラシチックの器は熱伝導が悪くて手にかすかな温もりしか伝えない。中身は高温の汁。再び体に染み渡る塩分。豚汁の通り道が即座に温かくなるのを感じた。細胞レベルで元気になった気分。噛み応えのある根菜が美味しい。肉が甘い。うっっまあ。神社前で食べた豚汁のことなど吹っ飛ぶくらい美味しいな。火傷しそうなくらい熱いし。めちゃくちゃ美味い。やったぜ。
きっと、山頂で食べたものは全て忘れられない。

山頂のテーブルにもさらさらと真白な粉が降りていた。

太陽に照らされて、体温が元気を取り戻し、温い血液が勢いよく体内を巡り出すと、やっと歩いてもいいかな、ぐらいには回復した。
初日の出を一緒に待っていた人たちはもう散り散りになっていた。朝食を作っている人たちぐらいしか残ってない。
でも、暖かいだけで、なんか元気になるもんだな。なんかさっきの地獄の寒さも許せてしまう。ありがとう太陽!さっすが太陽系の長!!!

ふと太陽を見ると、雲の切れ間から光がまっすぐに差していた。舞台照明のようにはっきりと光の筋が見える。初日の出の瞬間よりも、今の方が美しく感じた。「尊い」とつい口からこぼれるほど、尊さを体現しているような光景だった。今にも神が降りて来そうだ。

ほらね、こういう特典映像があるんですよ。そそくさと帰っちゃった人は見てないのかな。やっぱりエンドロールは見逃せないや。
スマホの充電を気にしながらたくさん写真を撮った。山頂で富士山も拝めるとのことで大山を選んだのもあったのだけど、あいにく、雲に包まれていた。うっすらとだけ見えた。

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