再生記(1.12)面と決める

夜、大切な人の放送を聴いて、動いている姿を見た。曲をリクエストしてみたりもした。
同じく聴いてる人には気付かれたくないけど、その人にだけ目立ちたいって、思ってる自分がいる。
聴衆の一部になりたくないやい!みたいな意識、本当は恥ずべきだろうな。
人と人はなにも一面だけで接するものではないけれど、A面での接し方がB面での接し方に影響しそうだし、はたまたB面を消し去るのでは?と不安になる。たぶん多面的な接し方にまだまだ慣れてないなー自分。
一番最初に面したのは軸としてありたいけど、流動的にも考えるべきなのかな。
関係性の現状維持、および向上。やわらかくいうと、なかよくしていたい。

部屋の中に年末の茨城のお土産がある。賞味期限が切れそうなお土産を持ち続けているのは、時限爆弾みたいだなと思う。早く会いに行きたい。

お菓子を贈れる関係性は本当にありがたいし、本当は、お土産を選んでいる時間が心底楽しかったから、もはや買った時点で「お土産」としては完成しているのかもしれない。
それでも、自分で食べちゃう羽目にならないように、会いに行けたらいいな。いやはや、お土産を理由に会いに行くなんて、なんだかズルのような気もするけど。
お菓子に急かされるなんて不思議だな。なんでもいいから会いに行けよ、会いに行ける関係のうちに。

あとかつての同居人から今の同居人に渡すように持してもらったお土産もなんだかんだで渡せてない。こわいね〜賞味期限。あとタイミングとか、なんで今?とか思われるのもね。一週間経っちゃったし。
今の住処に来てから、かつて住んでたところの名物銘菓、横取りみたいな形でめちゃ食べるようになったな。結局賞味期限が爆発しちゃって。お菓子は変わらず美味しいんだけどね。


深夜、将来というか、これからのことを考えた。考えざるを得ない状況で、これからかかるべきお金とか、時間とか。そういうの思いつく限り、調べてみた。

んで、やっぱそう簡単に行かないかもなって、なった。
大縄跳びに飛び込むのはあとでもいいかもしれない、って計画していた。いつまでも大縄は回転し続けてるし、入りたいタイミングで入ればいいと思ってた。でも、「はいよ!」って回す人が言ったタイミングで一回大縄に入ってみたら?とも思えてしまった。そして一回「ちゃんと」大きく飛んでみたら?とも。

全力でやらないのは違うのかもしれない。ちゃんと全力でやってから、そこから改めて考えるべきなのか。正しいとか正しくないとかはわかんないけど。本当にずっとずっとわかんない。
何年か前の計画を守るとか、あらゆる選択肢とか、どうしてそうするのか。選択肢を絞る選択か、保持する選択か。

初めて大縄跳びに必要な体力検査のことを調べてみた。アプリもいれてみた。久しぶりの検査の練習は、簡易的なのをやってるのもあって楽しかった。脳みその、久々な部分が活性化してるのを感じる。ごめんね、使いこなせなくて。

難しくて、選択しなくちゃいけないことが悲しい。全部言い訳になっちゃうから、こうやって書いている自分だめだめだし、好きになれん。申し訳ない、よくない優柔不断、、、

朝になったぐらいで、意識が飛んだ気がする。少なくとも夕方になる前に出なければならない。

一度目覚めた時はまだ午前中で、も一度意識が飛んだ。
ある人が、眠気というのがわからない、意識がなくなるだけ、って言っていたんだけど、最近それを体験している気がする。シャットダウン。成長かしら?

夢を見た。決断してあーあ、って思う夢。ずっと迷い続けてること、こんなにはっきり夢に出るんだな。たぶん、ある方向に行くと、困る人がいて。私一人のことだけじゃないから、本当は違う選択できたらと思うけど。なんでこんなにだらしないんだろ、いろいろ、もっと器用に上手に。

たぶんもう一人で考え尽くせるだけ考えたような気がして、(本当は自分一人で決めたかったけど)かつての同居人に電話した。電話するのも、昔の自分みたいで、まるで自分一人で何にも決められない人のようで、やだけど、これ以上グズグズしちゃダメ。

「人生の主役はあなたなんだから」って、言うのはほんと、ずるいよ。本当はずるいとかじゃないんだろうけど、なんだろ、そう言われたらもうなんも言えないから。ありがたいけど。
今までの相談データとか忘れてた相談とか引っ張り出してくれて、私のアーカイブになってるみたいだった。私のこと熟知してる感じで、こう来たらこう、って返すの全然迷ってないし、押してダメなら引いてみるし、押し付けない。あなたのこと見抜いてますよ、みたいなこと言う。ほーんとずるい、なんでもわかってるみたい。さすがとしか言えない。嫌な感じはしないし、ベテランだった。

電話している間に出かける時間が迫って来て、支度して出た。なんとか電車間に合った。
ずーっと電話の内容思い出しつつ、ネットで検索かけたりして、かつての同居人の言いなりじゃなくてあくまで参考程度にしたいから。


音についてのワークショップ。めちゃ楽しい。むかし一緒にお芝居つくった人も同じチームにいて、変な感じだった。好きな場所で、のびのびしてて、体が興奮してた。つくづく、この劇場すき。基本的に劇場より路上の方が好きだけど、ここは特別に好き。コンクリなのもいいのかもしれない。ここに立ててよかった。初めてのお気に入りの劇場。ワークショップ主催してる人が、その劇場で働いてるのもめちゃ嬉しくなった。豆知識みたいなのも教えてくれて、劇場オタクのレベルが上がった。

感想を言い合いながらお茶を飲んで、だんだんみんな帰っていった。3人と駅まで歩いて、そのうち2人と同じ電車に乗った。席の中央に座ってたんだけど、横一列で座ってる時って、場のあり方が難しい。電車ってのも難しい。喋るべきか、黙るべきか、様子を窓の反射で見てた。特にはじめましての人もいたから、なおさら。

でも今日は新しいやり方やってみたー。その「黙るか喋るか迷ってること」が面白いって思ってます、って発言できた。もう降りる間際だったけど、別に場のこと正直に打ち明けたっていいじゃない、って思えた。この思考は、前に受けた会話のワークショップから。ありがとう、「困ってる時は困ってる、っていうといいよね」って気づきが、まさかここで生かされると思わなかった。

最後は私ともう1人で帰った。よく帰り道が一緒になるし、なんなら昨日も一緒に帰った人。並んでだべりながら帰り道歩くのがすきというか、帰り道や寄り道を歩くのが楽しい。特にこの人との接する面は徒歩を介しているなと思う。
歩けば歩くほど、昔見上げてたのに身近な感じになってゆく気がする。相手の身長が縮んでいるのか、私が伸びてるんか。人間味。
寄り道したい、ってのが、言わなくてもわかってくれるのがありがたい。あと終電の関係で少し早歩きになってもついて来てくれる。決断について、話を聞いてもらった。
あと大縄跳びに行かないのとか、延期にしよかと思ってたの、鋭いツッコミ入れられた。ありがとうございます、そういうところ実にゆるふわだから。

終電各駅停車に乗って帰る。

家でこの文章書いてたらサークルのOBから電話かかって来て、話してたらめちゃくちゃ褒め言葉もらった。なんでかわかんないけどありがたい。声を喜んでもらったので真に受けて何かやりたい。ちょうど音についてのワークショップやってたし。電話するだけで喜んでもらえるの嬉しかったなー。


ふと思ったけど、気軽にからかえる人ってすごく居心地がいいなと思う。からかうって表現はあんま適切じゃないけど、間違ったこと言っても、大目に見てくれるというか、許してくれるというか、そういう感じ。私のことバカなやっちゃな、と思ってくれて、真面目に怒ったりしないとか。ふざけてるのをちゃんと見抜いてくれるとか、失礼なのは冷静に教えてくれるとか。
高校のころ、いろんな教師講師と仲がよかったんだけど、そういう日々を思い出す。どんなに生徒がよくなくても、見放さないでいてくれる気がして、安心してバカやれる。いつまでも見放さないなんて、ないってわかってはいるけど。

今日「なるほど」っていうのは失礼にあたるというか、上から目線だ、って指摘してもらって、ありがたかったな。でも相槌として染み付いちゃってるようで、そのあと連発しちゃって恥ずかしかった。「なるほど」に対してそんなに考えたことなかったけど、そうなんかな?

自分の使う「なるほど」と「確かに」の頻度は前者の方が高かった。あと、「あ〜」とか連呼してる。自分の相槌も意識してた日だった。
「先生的コミュニケーション」できる人ありがたいけど、ついお礼を言い逃しちゃうというか、そのありがたさを表明できないから、ちゃんとしたいな。

つくることへ生かしてゆきます お花の写真をどうぞ