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心臓を修理する(8) 弁膜症+胆のう炎治療記

2024年1月22日(月) 体調不良

年が明けて出勤を再開して2週間、少し勤務時間は短くしながらも特に問題はなく、普通の生活に戻ったようだった。ところが3週目の週明け、体がだるく、微熱が出た。軽い風邪のような症状で会社を休む。寝ていればそれほどつらくない。読書などでゆっくり過ごす。考えてみれば退院後、1日寝ていたことはなかった。無理して疲れがたまったのだろうと思っていた。

1月23日(火) 痛みがはじまる

翌日も体調が戻らず、右腹部から背中にかけていやな痛みがはじまる。実はこの痛みは初めてではない。もう15年以上、時々悩まされていた。特に週末の夜に発生して数時間で治る。症状が消えてから医者に行っても原因はわからない。以前、尿管結石をやったことがあるので、泌尿器科に行くが、超音波検査をしても石はないという。結果として、この選択は誤りだった。

会社の帰りに痛みが出て救急病院に行ったことも2度、実家の近くのそこそこ大きな病院も、時間外の診療体制が十分ではなく、レントゲンも撮られずに休んで痛み止めを出されただけだった。この時の救急の看護師が「ウチの救急はなんちゃってだから」と言っていた・・・。

こんなことで、とりあえず頓服薬でやり過ごす方法が身について、何とかごまかしていた。

1月24日(水) 症状が悪化する

この痛みは本来数時間で治るはずが今回はしつこい。今日も会社を休んでかかりつけ医に行く。消化器科は専門ではないとのことで超音波などの設備もなく、血液検査の結果も翌日だという。色々診てはくれたものの、正直あまり役に立たずに帰宅した。消化器らしいというところまでわかったのなら駅前の消化器科を紹介してもらえばよかったのだが・・・。とりあえず紹介状だけ書いてもらう。

帰宅したものの痛みが繰り返し発生し、食事ができなくなった。ジュースやカロリーメイトのようなものも受け付けずに戻してしまう。胃薬を飲んでも効果なし。夕食も取れずに夜になり、暖めれば、と思って風呂場で暑いシャワーを浴びる。一時的に痛みが引いたが、これはどうも最悪の選択だったらしい。

教訓:炎症を暖めてはダメ

後から腰痛持ちの友人に言われた。「炎症が起きていたいのだから暖めたらだめ。風呂に入ると一時的に良くなるが後でもっとひどいことになる」と。

1月25日(木) 救急搬送

友人の指摘通りで、日付が変わるころになって強烈な痛みに襲われた。自分では経験がないがよく聞く盲腸炎のような感じか。我慢できずに救急車を呼ぶ。寝床に入っていたので救急車が来る前に着換えて身の回りのものが入ったリュックを持って玄関へ。寒いのでダウンコートを羽織ってカギを開けて待つ。このあたり、独り者はつらい。10分もしないで救急車が到着、深夜のためか、住宅街ではサイレンを止めるようだ。救急隊員に付き添われて歩いて救急車へ。もちろん家の戸締りも済ます。

車内でストレッチャーに寝かされる。保険証、お薬手帳、診察券を確認される。ここで行先を決めるのだが、希望した心臓手術で入院した大学病院は空きがないということで拒否された。一番近いところで、前に行った総合病院(救急でかかったので診察券があった)を提示されたが、難色を示したら、隊員が「〇〇、あてになりませんか?」と一言、なんちゃって救急は有名なのか?。行先は聞いたことのない〇〇記念病院だったが、とりあえず了承して発車する。寝ているからなのか、救急車はあまり乗り心地の良いものではない。痛みは続いているが会話ができないほどではない。

深夜の道を緊急で走るのだから早い。10分くらいで病院に到着、どこだかわからない。今度はストレッチャーで救急の診察室に運ばれる。深夜なので薄暗いのは当然だが、建物はだいぶ古いようだ。若い当直の医師に診察してもらい、年配の看護師が血液検査と点滴の針を付けてくれる。ベテランらしく、とてもうまい。超音波検査と心電図の後、そのままレントゲン撮影とCTの検査を受ける。きちんと放射線技師が当直している。救急の体制はしっかりしているようだ。

検査が終わって診察室に戻ったころには血液検査の結果が出ていた。白血球の値が8500(正常値が4000から8000)、炎症を示すCRPが、正常値0.5以下、1を超えたら入院のところ、なんと28.57!!。CTの画像でも、本来小さいはずの胆のうが真ん丸に膨らんでいた。その場で胆のう炎の診断を受けて入院が決定した。10日ほどになるという。尿検査をしたら、紙コップの底の模様が見えないほどのブラックコーヒーのような尿が出て驚いた。

CTには胆石は映らないではっきりしないが、石が詰まって炎症を起こしたのだという。自動車や無線機の修理でも、症状が消えてしまうと原因の特定は難しい。無謀な炎症へのシャワーが明確な症状を出して、長年の悩みの原因を確定させたともいえる。ポジティブに考えよう。

病室に送られ、抗生剤の点滴がはじまる。高齢の入院患者が多いようだ。38度の熱が出る。白血球が戦っている証拠なので解熱剤は飲まずに氷枕で冷やす。この時点で深夜2時を回っていた。古い空調の音がうるさい。スマホは持ってきていたので、朝になってから会社に状況を伝えるメールを打った。

どこにいるかわからないので、地図検索で現在地を調べる。救急車だとすぐに着いたが、どうやら、同じ市内でも自宅からかなり離れたJRの駅の近くの病院らしい。古い病院だが救急に力を入れているのか、救急車がひっきりなしに来る。消化器科に強い病院のようで、診断や治療は的確だった。

1月26日(金)から 治療が続く

抗生剤の点滴を続ける。当然絶食。リンゲル(今でもあるんだ)の点滴でおなかがすくわけではないものの、左右のベッドから食事のにおいがただよってくるのはきつい。食事の時間にお茶だけは出るので、味わって飲む。

兄に連絡して、着替えや充電器を持ってきたもらう。面会はできない。病室での面会を許可したらコロナ感染者が複数出たので禁止とのこと。確かに狭く、換気も悪そうだし、談話室があるといっても、どう見ても半分物置になった職員食堂の跡地に机といすを置いたもの。この部屋が会議室や深夜の看護師の仮眠室にも使われているというありさまで、これならコロナも出るだろう。

バーコード付きのリストバンドを付けているが、使う気配がない。そもそも看護師がパソコンを使っていない。回診の時は、紙のカルテをワゴンにたくさん載せてくる。設備やシステムが古い分、人員は多めのようだ。みんな明るく元気なのが救われる。高齢の動けない患者さんが多いので大変そうだ。最初、重症の高齢者の多い病室に入ったが、もう少し元気な?人が多い部屋に移してくれた。こちらのほうが雰囲気が明るくて助かる。

白血球とCRPの値は改善されてきた。抗生剤が効いているようだ。症状が悪化したら太い針を突き刺して胆汁を抜く(怖い)措置や胆のうの摘出(もっと怖い)の必要があるので、血液サラサラの薬(ワーファリン)を止めて点滴(ヘパリン)に変更する。直接血管に薬を入れる点滴だと、入れてすぐに効果が出て、抜けば短時間で薬の効果が消えるからとのこと。最終的には摘出手術が必要とのことだったが、心臓手術から3ヶ月しかたっていないので、大学病院で循環器の主治医の診断を受けてからにしたい。

医師からは、便が緑色に変わったら必ず伝えてほしいとの指示があった。抗生剤が体に必要な腸内細菌まで排除してしまったことを示すもので、こうなったら抗生剤の投与をやめるしかないという。

3日目くらいから歩けるようになった。精密点滴の輸液ポンプをぶら下げて歩くことになったが、トイレが病室内になく、古い建物で微妙な段差が多く、ポンプの揺れで警報が出る。近くの看護師さんに止めてもらうが、わずらわしい。2日おきの血液検査の結果を見ると、順調に抗生剤が効いているようだ。1月29日には白血球が正常範囲の3500に、CRPが8.52に下がった。CRPはまだ高いが、この値は遅れて下がってくるので、白血球が下がってくれば問題ないという。

1月30日(火) 食事が始まる

この日から、おかゆの食事が始まった。おいしくいただく。ほぼ5日間、絶食だったことになる。スマホでテレビや読書でゆっくり過ごす。

1月31日(水) かなり回復

血液検査の結果で白血球4370、CRPが4.03に下がっていた。回診時の医師の説明では、胆石が暴れる原因はわからないという。脂質の多い食事は胆汁が多く出るので症状を悪化させやすいが、それが引き金になるわけではないとのこと、運動や生活習慣に注意すればよいというわけでもない。予想が付かず、実際に同じように抗生剤で治療して退院した翌日に再入院した人もいるという。結局、切除手術を受けるしかなさそうである。切る話をしていると、なぜか医師の目が輝いているように見える。外科医というのは切りたいものらしい。急変したらすぐに切るといわれたが、できる限り遠慮したい。

2月2日(金) 退院に向けて

ぎりぎりまで続けていた点滴が夜になって外れ、飲み薬に戻る。食事も普通食になっている。翌日の退院が決まる。栄養士の栄養指導を受ける。減塩やカロリー制限など、食習慣の改善についてアドバイスをもらう。外食を避けるのが良いが、急に本格的な料理はできないので、できる範囲で注意していけばよいという。手術につなげるために、大学病院への紹介状を依頼する。

2月3日(土) 退院

兄の運転する車で帰宅、外に出て初めて病院の外観を見た。電車だと遠い駅だが、車だと意外に近いことがわかった。突然の入院で、帰宅してみたら照明やエアコンがつけっぱなしになっていた。寒くなくてよかったが・・・。10日ほどの入院だったが、寝たきりが長く、かなり体力が落ちているように感じた。しばらく自宅療養に入る。

教訓:医者は選ばないと

心臓の時も感じたが、医者はすべてを勉強しているといっても、専門外の領域には弱い。今回の胆のう炎も、どこかで消化器科の専門医にかかれればもう少し早く見つかったのではと思った。「総合診療医」がもう少し増えてくれればよいが、それまでは患者が勉強して医者を選ばないといけないのかもしれない。





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