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1998年〜ミャンマーでの暮らし

この頃のヤンゴンには在留届を出している日本人の数は大人、子供併せても250人前後でした。

殆どが民間企業、大使館員。飲食、現地の旅行会社などで働く日本人や現地の方と結婚されてミャンマーに暮らす日本人はそう多くはありませんでした。

250人って。。。

よく考えたら私の子供が都内の小学校にいた時の全校生徒数が360人程度だったから…

それより少ないのか…苦笑

そう思うと改めて狭い狭い日本人社会でした。

知らない日本人を見かけると必然的に慰霊団の方々かバックパッカーか…と判断出来るほど。

ほぼ全員が何らかの繋がりのある知り合いでした。

そして海外の小さな日本人社会でよく見られる光景の一つとして…

噂。

これはあっという間に速攻広まります。苦笑。

今はSNSというツールがその役割を果たしている訳ですが政府の規制でSNSなど使えない当時のミャンマーにあっても人の噂は人づてに瞬く間に広がっていました。恐ろしいスピードで。大概が途中で話が変わっていたりして…苦笑。

この頃日本人会には婦人部という組織があって私達の様に民間企業から来た駐在員は間違いなく入会します。暗黙の了解というやつですね。

でもそれは駐在員としての仕事の一つなので私も入りましたがこの時の婦人部の人数は50人弱。

何しろ当時のヤンゴンには食材を扱うスーパーも無ければコンビニなんてあるわけ無くて。

生鮮食品は手に入る店はほぼゼロ。

この頃の駐在員の生活はメイドさんが食事を作るのが当たり前だったのでそのメイドさん達は早朝ローカル市場へ行き食材を調達するのが普通でした。

外国人でわざわざ毎日自分で市場に行く人はごく僅か。

当時はローカル市場の方がスーパーの様な機能を果たしていたのです。

二軒ほど、日本人が経営する日本の調味料などを扱う店がありましたがあくまでも調味料などの保存食材がメイン。

どう表現したらわかりやすいのか難しいのですが…とにかく野菜や肉、卵など、日々の暮らしに欠かせない日本だったら身近なスーパーやコンビニが全く無い、かな。

そんな当時のヤンゴンでどこにどんなものがあってそこで何が調達出来るか等の情報は人づてに入手するしかありませんでした。

そこで日本人にとって貴重な情報をぎゅーっと集めた「ヤンゴン生活手帳」が役に立つのです。

そう、それを作成するのが日本人会婦人部の大きな仕事の一つでもありました。

私もヤンゴンに来た当初はとても助かりました。

が、まぁ今思うとこれを作り情報を毎年更新する為の共同作業がトラブルの元だったりして、役員になった方々は大変苦労されてました。

駐妻あるある?かな。苦笑。

狭い狭い日本人社会。 

時間を持て余したマダム達の間で繰り広げられる噂や嫉妬が絡んでさぁ大変。

ちょっと離れた場所で(敢えて離れたいたと言った方が正しいかも)見ていて怖いものがありました。苦笑。

完全抜〜けた、は先ず出来ない立場だったのでやれる事はやりますがその輪の中にどっぷりはNo Thank you♪

だって私はメイドがいないので朝しか開いてない市場に行かないと食事が作れない。だから現地の衣装を着て足元ドロドロになりながら日々の食材を調達せねばならない訳で。帰ってきたら肉の塊と格闘し、虫が付いた野菜をあらって下ごしらえして…とやる事がてんこ盛り。市場に行った午前中はほぼそれで終わってしまう。

貴方達みたいに朝からゴルフやお茶会なんぞで人の噂話をしている暇も無ければ興味も無し〜♪

という事で。時間があったら1人か、一緒にいて心地よい友達とヤンゴン市内を探検して回っていてました。まだ他の人が開拓していない場所に行ってそこでの新しい発見は最高に楽しい。

それがヤンゴンで暮らした私の一番の、何よりも楽しみでした。

だってせっかく外国に暮らして、しかもまだ日本人の殆どが来たことも無ければ暮らした事もない国にいるのに日本人だけで固まって噂話や嫉妬を抱えて時間過ごすなんて…もったいない。

そんな感じでいつも同じ誰かとつるむ事をしない私にわざわざご丁寧に「〇〇さんがこう言ってたわよ」なんて教えてくれる人もいたけれど、「あぁ、そうですか。」とほぼスルーの私には何の効果もなく(笑)、逆に人を見る目を養わせてもらったなと思う経験を沢山しました。

特殊な環境のミャンマーで日本人同士が助け合うのはもちろん当然の事だし大事な事だと思うし私も沢山助けてもらったので感謝はしているけれど、でも必要以上に日本人だけで常につるむ必要は無いと私は思っている。

集まってはメイドやドライバーの悪口に始まり、日本人の噂話がメインになるような会にうっかり行ってしまった時、帰宅後どっと疲れている自分に気づくのです。

だからやめました。角の立たない程度にお付き合いして、あとは上手く断って。笑。

だって時間の無駄だもの。そんな人の事より貴重なミャンマーの景色や人達と接した方が遥かに楽しい。

とはいえ、日本からの出張者や夫の仕事上の会食など夫婦同伴のものは多かったのでそちらはちゃんと私も仕事としてこなしました。  

日本人が少ない国だと夫婦同伴で仕事絡みの会食や集まりに参加する事が多くなります。他社の人達との関わりが濃くなります。そして妻であっても夫の会社名が常に名前の前につけられてる感じになります。

でも私が当時残念に感じたのはプライベートな奥さん同士だけの時にも夫の会社名や立場、年齢が上だというだけで奥さんまでもが自分が偉くなった様な振る舞いをしてしまう残念な人が多々生まれてしまうということでしょうか。苦笑。

日本に帰ったら普通の主婦なのにね…

通勤電車に揺られて、自転車漕いでスーパー行ってたよね?最近まで日本では…と思わずつっこみたくなる時も多々ありました。

自分が今置かれている立場を客観的に見れなくなるって怖いな、と思いました。

私は常に「車がついてこの家に住めて、この生活は今だけ。夫がたまたま今この立場にいるだけであくまでも仕事として派遣されているだけ。会社の力。勘違いしないように、しないように。」と心で唱えて暮らしてました。

今はミャンマーとは違う国に駐在ではなく個人で暮らしていますがこの時の経験が良くも悪くも今役に立っています。

個人で海外に住むのは本当に大変。

家賃から保険、滞在に必要なVISA。何から何まで。何の保証もないんですから。

でもその大変さに頑張れているのも駐在の時に勘違いしなかったからかな?と。

自分の身の丈に合った生活がどんなものなのか。客観的に見れていれば多少の苦労は苦労とは思わない。

今しみじみそう感じています。

海外の狭い日本人社会で良い出会いもあったし、支えてもらった事もあったけれど嫌な面も沢山見てきてわかったこと。

どこに身を置くか、そこで自分がどう振る舞うべきか。自分を客観視出来ていればどんな環境にいてもその時その時ベストな選択ができる。噂好きな人たちからは距離を置くのがベスト。何を言われようと近づかない。笑。

20年前のヤンゴンで、まだ20代だった私がその時の日本人社会から得たものはそれだったかな。

人生無駄なものは何一つないですね。

続く…

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