文章を読む技術について

 今日もなんということもない日記です。

 ずっと気になっていることがあって、それは自分の読書力についてです。最近、長く複雑な文章を読むのがむつかしいと感じます。年齢による集中力の衰え(そんな歳ではないですが)も一部にはあるのだと思いますが、それだけが原因ではないようです。むしろ若さによる力業で覆い隠していた部分に、ぼろが出てきたようです。今まで原因がはっきりせずに、漠然とした不安を感じていたのですが、ここのところ少し手がかりがつかめたよう思うので、それについて書きたいと思います。

ふたつの違和感とてがかり

 そもそも、私の感じる問題は大きくふたつに分けられます。ひとつめは、活字がうまく読めない、というどちらかというやや低次元というか技術的なものです。そのときの調子にもよるのですが、目が文章を上滑りし、上から下まで追ったはずなのに、いまいち頭に入ってこない、という感覚です。ふたつめは、おそらくその結果として、読んだはずの文章が理解できていないというものです。例えば1パラグラフ読んで、結局何が書いてあったのか分からず、繰り返して読むということが増えました。内容が難しくて理解できないという高次の話でなく、そもそも何が書いてあったか思い返せないという感じです。

 てがかりかもしれないと今私が思っているのは、前者の技術的な部分に関するものです。ブルーバックス、つまり技術的な文章を読んでいる時に、ふと「今読んでいるひとつひとつの文章の主語と動詞が言えるか?」ということが気になり、これを意識して読んでみることにしました。ためしてみてすぐに分かったのですが、かなしいかな、かなり苦戦してしまいました。

文章構造が解読できていないと気づく

 まず、最初の何度かはほんとうに主語を取り違えてしまいました。多くは、動詞の直前についている目的語を「これが主語だろ」と言ってしまうタイプの間違いです。さいわい、ほんとにそうかと反問すれば、間違っていることがすぐに自分でも分かるのですが、それにしても、とりあえずコレと言って手にしたものが派手に間違っているのに気がついた時は、結構ショックでした。

 それをなんどか繰り返すうちに、初手で間違いを引くことはなくなりました。しかし、依然として探し出すのに時間がかかります。まず動詞ですが、ただ動詞というと、ひとつの文章の中にいくつもあることに気がつきました。複数の文章が連結しているときは、その文章ごとに動詞がありますし、修飾節の中にも動詞がたくさんあります。自分が正しく文章を読めているとしたら、動詞をすぐに指摘できてもよいようなのに、実際にやってみるとそうでない。つまり…ということです。

 また、主語についても、動詞ほどでないにしろ苦戦します。日本語は主語が省略されると聞きますが、本当にその通りだと思います。一方で、主語節が長いことも多く、長い文章の最後が連体形として代名詞にかかってはじめて主語節だと発覚したりするので、わかりにくいです。また、複数の文章が連結される最中に、主語が変わってしまうケースもあり、それが省略されているとさらに混乱します。

絶望と希望

 このように、文章の主語と動詞を明確にするという作業は、慣れない自分にとってはかなりやっかいで、実際にやってみると非常に疲れるし、かなり時間がかかるということが分かりました。ただ何も考えないで読むのと比較して、速度はだいたい五分の一から十分の一くらいには落ちるようです。落ちると書いていますが、ほんとうの自分の読書の速度はこの程度だということでしょう。

 で、ただおそいだけだとほとんど絶望的なのですが、救いがあります。この読み方をすると文章の理解が楽になることです。文章構造を紐解いて主語動詞を探すことに対する脳の疲労は、慣れていないこともあって大きいです。しかしこの読み方をすると内容が比較的すんなり入ってくるようになり、「なぜかわからないが読めない」という焦燥感に悩まされることがへりました。面白いと感じるのは、意識しているのは主文の主語動詞のふたつだけなのに、結果としてそのほかの部分も含めた文章全体が頭に入りやすくなっていることです。ぬらぬらと動いていた文章を主語と動詞で釘付けするイメージでしょうか。

 速度は訓練すればもうすこし回復すると思います。また、主文を意識することによって、その他の枝葉の部分の構造もすこしずつ判別できるようになってきました。主語を修飾している部分、直列に連結している複数の文章、条件節、仮定、など、各部位がパターン分けされることで読解の技術が上がるではないかと思っています。今はなんとなく識別できそうな気がしてきた段階ですが、いずれタイミングをみて日本語文法もさらって、適した文法用語を獲得したいと思います。

今気がついてよかったね、ということ

 私は中学前半くらいまでは国語の読解はとくに何もせずに点が取れていたのですが(古文・漢文のぞく)、中学3年くらいからやや点数が下がったと記憶しており、それがすこし気になっていました。高校でも、国語の成績はあまりよくなかったように思います。書く方もかなり苦手で、卒論があまりに書けなかったことに恐怖を感じて当時ブログを書きはじめ、その文章慣れでなぐりつけて修論を乗り切ったという経緯があります。そういう力業というか、慣れでなんとかしてきた部分が年齢とともに少しずつ剥がれてきたようです。自分が実は本を読むのが下手だ(下手かもしれない)と、認めるのに少し時間が必要だったのかもしれません。今回それに気がつけたのはよいタイミングだったと思うので、これはしっかりみにつけて、今後すこし地に足をつけて文章に向かえるようになれたらいいな、と思います。

 以上です。ながながと読んでいただきありがとござました。

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