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大統領選テレビ投票の雑感(sideトランプ)

先日開催されたアメリカ大統領選挙、テレビ討論会のバイデンの異変について書いた。
せっかくなので、トランプ側についてもつらつら書いてみたい。

まず、前提として、私が思うトランプのキャラクターや選挙戦略について整理しておきたい。
ウソか本当かは別として、トランプ候補は次の3点において天才的な才能を持っていると考える。

1 敵を設定して人々の怒りを凝集させるアジテーションの力
2 熱狂的なファンを作りだすサービス精神と共感力
3 どんな状況でも安定してパフォーマンスを発揮できる適応力
この3つの能力は他の政治家と比べても突出していて、今回の討論会でも遺憾無く発揮された。

1. 徹底されていたバイデン・民主党叩き
噛み合わない議論、非難の応酬、そして現職大統領の弱々しい姿、と2020年の討論会に続いて今回も視聴者を失望させた討論会となった。しかし、トランプ陣営にしてみれば、この状況を作り出せたことが大勝利であり、再戦に大きな弾みをつけるイベントに出来た。
トランプ候補は、初めからバイデン候補と議論するつもりはなく、全てのテーマを「悪いのはバイデン、民主党、不法移民」という風に敵を設定して叩き、自分の主張を繰り返し話すという戦術に徹底した。
選挙遊説でいつも訴えていることを話せば良いわけで余計なインプットはいらないし、相手が批判合戦に乗ってくれば、いつもの真偽不明の陰謀論を捲し立てて相手をこき下ろせば、トランプファンは喜んで見てくれる。
視聴者の怒りを湧き立たせ、バイデンの怒りを誘発させる、トランプ候補のアジテーション能力が存分に発揮された90分間だった。
嬉しい誤算は、バイデン候補がこの戦略に見事に乗ってくれて、しかもトランプ候補に言い負かされて終わった印象を植え付けることが出来たことだ。一発勝負の討論会は何が起こるか分からないとつくづく感じた。

2. 共感フレーズの効果
トランプ候補は、討論会の中盤で「バイデン候補が素晴らしい大統領であるならば、私はこの場にはいなかった。もっと別の人生を送っていただろう」と語りかけた。弱々しいバイデンの姿と相まって、「元」大統領のこの発言は、言葉以上にトランプ候補が「最後の砦」、「やっぱり頼りになる」と感じるキラーフレーズだった。
もっとも、「彼(バイデン)は何言ってるか分からない」とか「ゴルフで勝負したら大差で勝ってやる」など、子供じみた批判も多かったが、「バイデンが酷すぎだからオレがもう一度アメリカを救いに来た」という文脈で語られる分かりやすくて、簡潔な言葉(多分に嘘が混じっている)は、一定の層に説得力を持ったのではないかと思う。

3. テレビ巧者が魅せた適応力
今回の討論会は
・全体90分、45分区切りで休憩1回。その間に陣営スタッフの接触は禁止。
・一人が発言している時、相手はマイクオフ。
・1つのテーマに対して、自分の主張を2分で述べて、その後相手が1分で反論、再反論1分で進行していく。
・司会者はあくまで進行に徹していて、ファクトチェックは候補者自身が実施。
・観客は入れない
という時間を始め細かくルール化された中で討論をしていくスタイルとなり、従来の自由な討論というよりもテレビ番組の進行に近い形で実施された。
前回話した通り、バイデン候補(陣営)はこのルールに十分適応できず、戸惑いが表情、話し方、議論の組み立てを狂わせ、全体として「弱々しく、混乱した高齢者」という印象を抱かせてしまった。
一方、トランプ候補はこうしたルールを最大限利用して、落ち着いて自らの主張を分かりやすく簡潔に話すことが出来ていた。バイデンを混乱をうまく利用して敵失を有効に演出させることにも成功した。
元々、実業家時代からテレビに多数出演し、「アプレンティス」など看板番組を持っていたことから、テレビ番組の座組には馴染みがあったのだろうが、結果として落ち着いた大統領らしい(プレジデンシャル)候補者というイメージを宣伝することが出来た。
幸運に恵まれたこともあるが、討論会のルールに適応して自分の利とできたトランプ候補のテレビ巧者ぶりはさすがと言わざるを得なかった。

テレビ討論会は、アメリカ大統領選挙の一つイベントであり、討論会の出来が選挙結果を決定づけるわけではない。
しかし、今回の討論会はその例外になるかもしれないくらい、バイデン候補の自滅、トランプ候補の相対的浮上が際立った。
そこには不運の要素もありながら、やはり事前準備・戦略においてトランプ陣営がバイデン陣営より一枚上手だったといわざるを得ないのではないか。
現職に不利になりがちな選挙戦、討論会になることがわかっていたからこそ、バイデン陣営にはあらゆる面で至らないことが多かったと感じる討論会だった。

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