パイロットとしてO1ビザからEB1永住権取得できました(現物取得編)
永住権カードが届いた直後に嬉しくて自撮りしました!
パイロットとしてO1ビザからEB1永住権取得できましたでは申請書類の最初の関門である「書類審査に合格」という段階でのブログ記事でした。
その後は、私はすでにアメリカに入国しているので就労ビザでの滞在から永住権保持者へのStatus Changeというステップに移りました。それには指紋採取、面接、就労許可証、旅行許可証などが予定されていて、最終的な現物取得はいつになるのかは誰もわからないという段階でした。
2022年7月7日に書類審査に合格通知をもらい、いくつかの必要書類を作成し、身体検査を受け、必要なワクチンを接種するなどの作業を終了してStatus Changeの申請書を提出したのが2022年9月16日でした。2ヶ月余りかかってしまったのは単純に私が対応する時間が取れなかっただけです。アメリカに来てAirSmartでPC12とPC24のFirst Officer飛び始めたのが2022年6月22日で、それから飛び続けてたのはインスタで配信していた通りです。乗務スタンバイの日はAirSmart Aviation AcademyのChief Flight Instructorとしてスクール開設準備作業に追われていましたので、ほぼ休みがない状態が続いていました。
これは申請が終わってから思ったことなのですが、本来は余裕で1ヶ月以内では終われるものでした。事前に何が必要かをしっかり準備しておくと2週間でも可能だと思います。
弁護士からは何度も「まだですか〜!」との連絡を受けていました。特にシビアだったのが、9月7日に来た連絡でした。「移民局の予定している雇用ベースの永住権の年間発行数が年度末待たずに上限に達する可能性が高い!今を逃すと来年枠になる!早く出してください!」とのこと。アメリカの年度は毎年10月から翌年9月という期間です。2022年度は例年の倍の永住権数を発行することはニュースで知っていましたが、その枠にそんな速度で達するのかと驚きと同時に、正直やばいと思いました。
なんとか急いで弁護士に書類を提出したのが2022年9月10日。そして弁護士が確認をして移民局に書類を申請したのが2022年9月16日。年度末に間に合ったのかそうでないのかはもう神頼み。
では実際どれくらいで取得できたのか?
Status Change申請日から永住権取得まで2ヶ月半!
担当弁護士に言わせれば想定外の異例のスピードだったとのことです。もしかしたら9月という年度末に間に合ったかもしれないし、EB1という性質上優先順位が高い永住権だったことも一因。予定していた面接が実施されないだろうということは想定していたらしいのですが、当初は1年から1年数ヶ月は見ておいてねと言われてました。つまり2023年の秋から冬にかけてとなる予定。今保持するO1ビザの有効期限は3年なので、期限は2025年なのでそれを超えることはないので大丈夫。スポンサーからの解雇やスポンサー企業がなくなることがない限り大丈夫。そか首になったら終わりだよなと。
話を少し脱線しますが、アメリカは簡単に首を切ります。最近のニュースでTwitterが一気に従業員解雇したのは有名な話です。公務員ですら予算承認が間に合わず無休の休職を命ぜられることもあります。シビアな国です。一方で人種性別年齢に関係なく誰にでもチャンスのある国です。移民国家ならではの文化なのでしょう。私のような外国人を受け入れてくれる国です。毎年数十万人の外国人に永住権を発行している国です。話を戻します。
申請から取得までたったの2ヶ月半だったのは非常に幸運でした。
申請日(2022年9月16日)からの予定されていた内容と実際に実施した内容を書いてみます。
① 受理の連絡通知
弁護士からは申請してから翌週から6週間程度かかる見込みで、平均でも2週間くらいとの連絡は受けていました。実際は2022年10月5日(申請日から約3週間)に連絡が来ました。この段階で平均より少し遅いのかな程度の理解はありました。下手したら永住権取得まで1年半くらいかかるかな、2023年の年末ごろなのかなあと覚悟していました。
② 指紋認証の指示通知
弁護士からは申請してからその月内から遅くとも4ヶ月以内で連絡が来るはずだとの連絡は受けていました。実際は2022年10月10日(申請日から25日)に連絡が来ました。指紋認証の指定されている日は2022年10月17日と、申請してからたった1ヶ月という一気にスピードアップした感がありました。
余談ですが、実はその日は数ヶ月前からネバダ州の運転免許証のための運転試験の予約日であったため、指紋認証を優先させるため、試験場で日程変更を余儀なくされました。結局年明けの1月に再予約を取る羽目となりました。
③ 就労許可証と旅行許可証の発行
永住権の取得には数年かかるケースもあり、その間の就労ビザにかかる就労規制の問題もあります。またアメリカ国外への出国は禁止されていることから、就労許可証や旅行許可証の発行がされるケースもあるとのことでした。
弁護士からはこの二つの許可証が届くのが次のステップですとの連絡を受けました。ただし旅行許可証が発行されても、その次のステップである面接の連絡がきたらすぐに対応できるように実際の永住権が発行されるまではアメリカ国外への出国は控えるように指示されていました。
その二つの許可証が届くのはさらに先になりそうでした。弁護士からは申請日から4ヶ月から10ヶ月(超アバウト...)の間に来るはずだと。てことは2023年1月から7月の間。。。その次は面接もあるだろうし、やはり永住権の取得は2023年の年末かあなんて思ってました。
そんな中の出来事です。
申請書類の進捗を確認できるサイトを弁護士からいただいていました。まるで宅配の荷物をトラッキングするかのような自分のケースの進捗状態を把握できるサイトです。2022年11月23日に何気なく確認してみました。遠い先の話なのであまり期待もせず。。。と発覚したのが表示されている次の写真。
UPSで集荷されてる?なんのカード?と?マークが頭の中を駆け巡り… ネットで調べまくったら就労許可証だろうとか、いやいや永住権だろうとか、人様々…
少し経つと同日中に配送されましたと次の写真のように変わっている。いやちょっと待てよ。I-485って永住権って書いてるし、もしかして…
アメリカ国内はThanksgivingの真っ只中。なので週明けにしか実際は配達されないんだろうなあと。仕事が休みだったこともあり気になって気になって、家の中では何度も何度も確認して進捗確認していました。弁護士にメール連絡するも、当然Thanksgivingの真っ只中なので返信もなし。
そして週明けの月曜の朝のことです。弁護士から下の見出しのメールが届きました!
そして添付されていた移民局作成書類の表紙がこれです。
そしてすぐに弁護士から電話がかかってきました。
おめでとう!アメリカにようこそ!
私はいきなり永住権ですか?就労許可証とか旅行許可証とか面接と無くなったんですか?と聞きましたが、「そうみたいね!ははは」。そして「今から自宅に送るから数日中には届くからね」と。
私はパイロットとして米国就労O1ビザ取得でも書いたように、永住権が欲しいなあと思い始めて既に32年経っていることから、今までのことが走馬灯のように思い出され、一言発した言葉が「長かったです」。弁護士からは「何言ってるの?異例の早さだよ!」と。私からは失礼しました。確かに弁護士との出会いから永住権取得は早かった、O1ビザ取得に動いて1年半程度で永住権取得は早い。そこはさすが弁護士の力がないと成し得なかったことです。とお礼を申し伝えてことは書き記しておきます。
30年以上かけるのは遠回りとも思った人生でしたが、その中で起こった全ての事や全ての方々に感謝です。それらがないと今の自分は存在しない。紆余曲折があっても、人生最悪と思っても、人生生きているだけで丸儲けってほんとなんだなと実感しています。生まれ変わってもやはりそのようなやり方でいいと思える素晴らしい出来事だらけでした。これからの人生もそのような考え方で生きていけると確信しています。
参考までに予定していたステップとその予定期間を書いておきたいと思います。
⑤ 面接日程の連絡及び面接の実施
申請日から8ヶ月から13ヶ月の間に連絡及び面接があるであろう。つまり2023年5月から10月の間という想定でした。ただし、今回のケースでは面接は免除される可能性も高いという弁護士の意見でしたし、実際ありませんでした。
⑥ 永住権の発行
最終的な永住権の発行はこれらの作業を全て終えてあとは待つだけ。申請時に言われてたのは、繰り返しになりますが、1年から1年数ヶ月になるだろうということ。実際は2ヶ月半でした。
O1ビザを目指して動き始めたのが2021年4月
O1ビザを取得できたのが2022年3月
O1ビザの取得期間だけでは1年間となります。
EB1ビザ(永住権)の申請をしたのが2022年6月
EB1ビザを取得できたのが2022年11月
EB1ビザの取得期間だけでは5ヶ月となります。
合計で1年7ヶ月の期間となります。
弁護士との電話の話に戻ります。
今後の人材育成について
O1ビザの相談時から書類確認期間、そして今回の永住権申請の際に何度も話していた「今後の人材育成」について話が広がりました。
私がなぜ事業を立ち上げたのか。それは人材育成です。アメリカでパイロット資格を取得し、日本で再訓練を受けJCAB事業用操縦士資格を取得した経験を経て、やはり日本ではパイロットになれなかった私が考えたこと。それは、私のパイロット訓練の原点であるアメリカ、私のパイロット教官という仕事の原点であるアメリカでのパイロット人材育成です。
パイロットとして O1ビザを取得した過去に例がなかったが、パイロット教官として取得する可能性を導き出してくれた敏腕弁護士です。パイロットを目指すものにとって、これからは私と同じようにパイロットとして職務経験をつけて、O1ビザをとってもらい、EB1ビザ(永住権)をとってもらう。そしてAirSmartでチャーターパイロット経験をつけてもらう。そして世界へ羽ばたいてほしい。そんな多くの方々にチャンスを与えたいという気持ちが弁護士と共にさらに強くなりました。弁護士も早速次の人(既に1名います)の作戦を一緒に考えてくれ始めました。その作戦内容を実践する1名は既にその決意固めています。その1名も私同様後進を育成したいと強く思う方です。そんな方だからこそ弁護士も動いたのでしょう。だからこそアメリカという国も欲しい人材となるのでしょう。
Pay it Forwardの精神
沖縄米軍基地での経験から始まり、O1ビザを取得する経験から実感していることがあります。人は生きていく上で必ず誰かの支援があります。その受けた恩を誰かに返すという精神がPay it Fowardです。
米軍基地時代で実感したことを書きます。Pay it Fowardを形にするために表彰制度があります。たくさんの参加者の前でしっかり表彰します。アカデミー賞授賞式のようなレベルもありました。受賞者は表彰を昇進のために使うのです。履歴書に表彰歴を書きまくります。アメリカ人の履歴書はこれでもかっていうほど自分の事をPRします。多くの履歴書も面接でのPRぶりも職務上見てきました。むしろ表彰制度は各自の昇進を促進させるために使ってるのではないかと思えるくらいです。各自が昇進するような自己成長に繋がることが軍のミッションを成功させることに繋がる。うまい仕組みだなと思ってました。
O1ビザの申請書類をまとめる時には、米軍基地時代と同じ「匂い」を感じました。どれだけ貢献してきた人物なのか?審査する移民局はアメリカという国にどれだけ貢献してくれる人材なのか?という視点で見ていることを実感しました。謙虚を美徳とする日本人には苦手な作業になると思いますが、運良く私は米軍基地での経験があったため「アメリカ人のような勢いで」自分をPRした事を覚えています。
できる人はどんどん成長していく。周りもその成長を応援する。社会としても成長する。そんな文化を私はすごく合理的な社会だと思います。自分自身も成長したい。そして応援する人になりたい。と思っている時に出会ったまるで仏様のような方がいます。
パイロット仲間の鷹松弘章さんです。鷹松さんは私のラジオ番組にゲスト出演していただいて以来仲良くさせていただいている間柄です。ラジオ出演の際のお話で私は大ファンになり、ことある事に色んな事を勉強させていただいます。見える本質(みえほん)チャンネルとして数多くの動画を配信されています。今日現在登録者数が4300名を超える超人気チャンネルです。
O1ビザを取得し、永住権も最初の関門を突破して、鷹松さんから勉強して、意識が変わりました。
Pay it Forwardの実践
目の前に一人のプロパイロットがいる。そして私のようにアメリカで生活したいと言っている。その人を応援しよう。そしてそこから広がる何かを楽しもう。
O1ビザの基礎はMaster Instructorです。Master CFIはO1ビザへの登竜門だでも書きました。自己の成長を目指しながら、社会貢献がどれだけできるかが鍵です。まさにPay it Fowardの精神で動けるかどうかにかかっています。
アメリカは世界一の航空大国です。パイロット人口も世界一です。世界から人材が集まり、そして世界へ流れていきます。そんな大国でチャンスを掴んでほしい。そのための方法は前例がないO1ビザという新しい方法で敏腕移民弁護士と共に作り上げたと自負しています。
やっと肩の荷が降りた気がします。
次の世代に交代するタイミングが来たと思っています。
そして私はAirSmartで2023年1月に予定されている機長昇格訓練に臨みます。ここで発表することで、後が無い既に57歳となっている自分に発破をかけていくしかないです。これまでお世話になった方々の存在と応援なしでは今の私はありません。その方々の顔を思い浮かべながら次のステップに進みます。年齢制限のないFAA Part 135運航のAirSmartの機長として、そして後進の育成を目指すAirSmart Aviation AcademyのChief Flight Instructorとして生かされてる命を使いたいと思います。AirSmartのCEO兼運航部長Tommyとお互いに最低でも75歳までは現役で飛ぼう!と決めています(笑)
そしてアメリカで改めて感じた「人生を楽しむ」ことにも十分時間を使って生きていきたいと思います。
ここラスベガスは天候にも恵まれた年中フライトができる場所、そして自然の宝庫でありエンターテイメントの街、まさに私の今後の生き方を全うさせてくれる場所です。