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パイロットとして米国就労O1ビザ取得

苦節数十年...は大袈裟かもしれませんが、1995年に在沖米軍基地でパイロット教官という仕事をし始めてアメリカ就労ビザに挑戦し続けていたことは事実です。日本で自社養成パイロット試験に不合格になって一度は夢破れ、アメリカでエアラインパイロットになりたい....という夢を持ち続けていました。いつも立ちはだかったのがビザの問題。

パイロットとしてアメリカ就労ビザのO1ビザを取得した経緯を忘れないうちに記録しておこうと思います。技術と知識を磨き社会貢献するノウハウが他の就労ビザの取得に参考になるのではと思い、同じ立場の方々に少しでも参考になればと思いこのブログを書いています。

新たなスタートラインに立ったというところです。

O1スポンサー会社のPC12フェリーフライト中

走り続けた四半世紀

序章:暗中模索

毎年のように抽選永住権に応募しても落ち続け…

米軍に入隊すれば永住権がもらえるという自分の生徒達(フィリピン・中国・韓国系など)からのアドバイスをもらいえれば米軍リクルートオフィスへ行ったもののその制度は終了していて…

同僚がアメリカの航空会社でパイロットとして採用されば紹介してもらい、書類申請も通過し、試験も面接も合格し、スポンサーになってくれることも確約もらったけど、ビザ取得に時間がかかることでスポンサーからやっぱり辞〜めたということもあり…

日本の会社がアメリカにフライトスクール事業を進出するからその管理者としてビザを取得できる!という夢の実現の一歩手前で米国同時多発テロがあったり…

本当色々ありました。おかげでビザの勉強はできましたけど。

その時点で既に6年経過してました。

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第一章:視点を変える

その後はひたすら目の前の仕事に集中し、エアラインパイロットという夢が現職のパイロット教官に変わり、楽しすぎてのめり込みました。知れば知るほど奥が深いのはどの仕事も同じだと思います。やってもやり足りないという教育の深さを楽しんでいました。アメリカの教育方法は常に変わっていきます。最新情報を取り入れ、自分の空港やオペレーションに合わせて自分なりの解釈で応用していました。決して安くない訓練費用をできるだけ効率良く教えるには?わかってもらえるには?技術を習得してもらうには?

目の前の訓練生が課題も出してくれるし、答えも導き出してくれる。実は訓練生が教官を成長させてくれるのです。小学生からリアイア組まで様々な訓練生、飲み込みの早い人から超スローな人などバラエティに富んだ最高の環境でした。目の前の訓練生の事を徹底的に考えるカスタマーサービスが仕事です。

そういえば米軍時代の上司ロジャーシャープ大佐が言っていたなと。リタイア後にも同じ発言をしています。下の画像をクリックしてYouTube動画でご覧ください。

米国式訓練を日本の方々にも提供したいと思うようになり、後に株式会社FSOとなるフライトシミュレーション沖縄という個人事業を2009年に立ち上げました。下の画像をクリックするとFSOリンク先へ飛びます。

パイロット訓練だけではなく、体験操縦や、航空安全セミナー、勉強会、イベントなどを国内外で企画したり、フライトシミュレーターメーカーとの共同開発などできることをやってきました。

この時点で更に8年の歳月が...

第二章:ネットワークの広がり

航空の裾野拡大と普及活動のためにもっとできる事はないかと考えていたところ、ラジオ局から番組を持ってその活動をしたらいいとのアドバイスをいただきました。そして、2019年9月にはコミュニティーFM放送局・FMぎのわん「玉那覇尚也のパイロットになろう」と言う番組を始める事ができました。下の画像をクリックすると過去の番組がご覧になれます。

国内外のプロやアマチュアのパイロット、客室乗務員、整備士、運航管理者、地上専門職、技術職、元管制官、元航空局検査官、航空会社の会長や社長といった経営陣含めて多くの航空人材の方々にゲスト出演頂きました。

夢をあきらめずいくつになっても挑戦し続けるお話しを毎週聞く機会ができました。私も既に50代半ばで無意識に自分で限界を作っていたことに気づかされました。

もう一回チャレンジしてみようかな

50代半ばの自分ができるんだったら、若い方々にはもっとチャンスが見えてくるんじゃないだろうか。普段アメリカには夢があると言っている自分がやってみせようじゃないか!と自分に言い聞かせました。

仕事上アメリカのフライトスクールとの繋がりも増え、アメリカから仕事のオファーもちょくちょく来るようになっていました。そこで問題となるのがやはり就労ビザです。過去の経験から該当するビザは厳しいかなと思いつつ、スポンサーと話をしていってもやはり中々良いプランが出てこない。

そんな中過去一度も詳細を見ていなかった種類のビザがO1ビザ。なぜ一度も見なかったかというと「アーティストビザ」という名称で、科学や教育、事業、スポーツの分野における顕著な外国人や芸術、映画、テレビで優れた才能を持つ人に該当するビザと記載されており、そもそも自分には該当するはずがないと思ってました。

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終章: 渡米就職の可能性

相談していた弁護士からは「教育分野の優れた人物」というカテゴリーでO1ビザで申請できるとのアドバイスでした。EB1という永住権のカテゴリーも可能性があるがプロセス期間が早いO1ビザで申請することが良いとのこと。最初は耳を疑いましたが、そこは専門家の意見。弁護士が自信を持って要件に該当すると言った理由が次の3つで、O1ビザに必要な8つのカテゴリー要件の3つに満たされているということでした。

1. 太平洋米空軍レベルの表彰実績

2. 米国国家試験を実施する米国連邦航空局試験官の経歴

3. 専門性と希少性の高い全米航空教官協会認定のマスター教官の実績

それ以外にも該当する実績や経歴などがあればあるほど有利になるし、次のステップである永住権の申請のためにも資料作りを頑張りましょうと言われてました。

これら三つの事を実現した当時は、訓練生に向き合いひたすらパイロット教官として走り続けてきただけで、それが今回に繋がるとは全く想像もしていませんでした。一生懸命やってるといい事もあるなあとしみじみ感じた瞬間でした。

更にはラジオに出演いただいたゲストの方々が運を呼び込んで来てくれて、チャンスをくれて、私の背中を押してくれました。感謝です。

O1ビザという選択肢

O1ビザで進めるという方針が決まったのが2021年の4月でした。

弁護士には既に提出していたCV(過去の職歴・学歴・業績・受賞歴などの文章)から、教育の分野で卓越しているというできるだけ多く証拠を集めましょうと弁護士からの指示。これが本当に大変。ネットで記事やYouTube動画で過去にO1ビザを取得された方々の情報を見まくりましたが、皆さん共通して言っていたのが「書類作成が大変です」本当その通りです。

弁護士から提示されたのは次の8つの中で3つ以上該当すれば良いのですが、全ての項目を読み込み、自分の何の実績がどこに当てはまるか、CVを改めて作り直して、できるだけ多くの実績とその証拠を集めてくださいとの指示でした。

基準を研究してその対策をするというのはパイロット試験でも同じこと。同じ要領でひたすら考えて・考えて・考え抜きました。今までは生徒の事を考えて研究し実績する事しか考えてなかったので気づきにくい点でしたが、アンテナを張れば気づかなかったところも見えてくるものです。

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O1ビザの要件

① 本人がその専門分野における業績を認められており、国内外で評価されている賞の受賞者であることを証する資料

  • 太平洋米空軍レベルの表彰実績がここに該当するとの弁護士の見解でした。

② 傑出した業績をあげた者しか入会を認められない団体であるとして、本国内外におけるその分野の専門家から認められているような学会その他の他団体に、本人が会員として所属していることを証する資料

  • 専門性と希少性の高い全米航空教官協会認定のマスター教官の実績がここに該当するとの弁護士の見解でした。

③ 本人がその分野であげた業績や成績についての記事が専門職、著名な業界紙その他の著名なマスコミ関係の出版物に掲載されたことがある場合は、その連載紙のコピー

④ 本人がその専門分野における他の者の業績や作品を審査する審査員となったことがある場合においては、その事実を証する資料

  • 米国国家試験を実施する米国連邦航空局試験官の経歴がここに該当するとの弁護士の見解でした。

⑤ 本人が科学、学問、ビジネスの分野において本人の独創的な業績により多大な貢献をしている場合は、その事実を証する資料

⑥ 本人の専門分野を取り扱っている専門紙や業界紙、その他の著名なマスコミ紙上に本人が学術論文を発表している場合はその掲載著書のコピー

⑦ 著名な団体・組織における重要な役職を務めたという雇用証明

⑧ 本人が同じ専門分野にいる他の者と比較して多額の給与その他の報酬の支給を受けているという事実がある場合は、その事実を証する資料 

以上8つの要件です。

そこで一つ問題が発生。マスター教官資格は取得から2年の有効期限があり既に失効していたため、申請書類を強力にするには新たに取り直した方がいいということ。

マスター教官資格取得に必要なものは2008年に取得した経験があるので要領は知っていましたが作業は膨大であることは間違いない...少し気は滅入りましたが、過去2年分の振り返りをまとめ2回目の取得を成功することができました。取得した際に思った事をまとめたのが次のnoteブログ記事です。

結果取得してみたらマスター教官は海外でたった一人になっていて希少性の価値が高まってポイント上がったと弁護士も喜んでました。

マスター教官の申請作業がビザの書類準備するためのCVを作り出すのに非常に大きく役になったことは間違いないです。

マスター教官を取得するプロセスは、航空業界に貢献する事に繋がっている事が分かり、アメリカという国に貢献する事に繋がってる事がわかり、それがO1ビザの要件にも繋がっていることにも気づいたのです。

これってこれから教官パイロットとしてアメリカで活動してる人やこれからパイロット目指す人にとってめちゃ朗報ってことに気づいたんです。

ビザに必要な書類

弁護士から言われたのは、米国内ではその外国人と同じ人を探すのが困難という理論武装する必要がある。そのための最初の一歩は、その職業を統括している全米団体から「その外国人は米国に必要です」というレターを用意する必要があるということ。弁護士が調べて提示されたのが全米航空教官協会(正式名称はNational Association of Flight Instructors」でした。

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① その分野の団体からのレター

なんと私がマスター教官を取った団体ではないですか!既に担当ディレクターとも繋がっているので気持ちも軽くなりました。事情を説明すると、マスター教官の資格要件はそもそも「教官に実施して欲しい活動で、教官の見本になってほしい」事なので、それができる教官はアメリカに来て活動してほしいと言うディレクターの声もあり結構すんなり進みました。弁護士からは内容に記載すべき事項をもらい担当ディレクターに連絡し最初のドラフトが来ました。そこから少し手直ししてもらい、サインももらい完成。最初の関門は突破しました。

次に、というより同時並行で進めていた、過去の業績の洗い出し作業とその証拠集め作業、そしてそれらを証明してくれる方々への推薦状のお願い作業でした。弁護士からも推薦状は頼む相手がいることと、自分の予定だけではできないことと、お願いした全員からもらえる保証もない事などの理由ですぐに動きなさいとのことでした。

② 推薦状

弁護士曰く、シナリオも証拠書類も出すけれど、大切なのはそれらを第三者、しかもその分野で有名な方々が「書いてることは本当だよ」と移民局の審査官の背中を押してくれる人たちと文章が必要だということ。

そこで自分の経歴や実績などを証明してくれる業界の著名人の方々を選び出す作業をスタートしました。

リストアップしたのは20名ほどでした。そこから10名に絞り、依頼し、こちらの希望する締め切りに間に合ったのが7名でした。アメリカ人5名と日本人2名という構成です。

弁護士からはシナリオを作る上での作戦があったのでしょう、推薦状をお願いする方に対しての書き方のコツも教わりながらお願いしました。

みなさん忙しい中わざわざ時間を割いてくれて素晴らしい推薦状を書いてくれました。文章読むと思わず涙目になるほど感動しました。みんなに支えられて生きてきたんだと実感できる瞬間でした。感謝です。

③ 書類

米軍基地時代の業績と、事業を興してからの業績の2ステージで「教育の専門家」としての活動を片っ端から引っ張り出しました。自分の事を取り上げてくれた新聞記事、雑誌記事、テレビ取材、ラジオ取材などの記録、オリジナルの訓練プログラムとその利用実績、講演会活動、イベント活動記録、シミュレーターの開発など。

日本語の情報は全て英語に翻訳して弁護士に(移民局に)わかるようにして書き直し、提出する用紙のレターサイズに収まるようにして体裁を整えて書き出しました。

マスター教官申請書類の時に使った資料も使い回しできました。マスター教官取っててほんとよかったと実感しました。

ただマスター教官は過去2年分でいいけど、弁護士からはできるだけ多い方がいいと言われ、ビザ書類は私のパイロット教官業務記録の過去全部。

弁護士はパイロットについても結構リサーチしていて、出来次第弁護士に送って、どんどんシナリオができる印象がありました。まだ見ぬ完成形が楽しみでした。

最後に雇用先からの書類を追加して完成。弁護士がズーム会議で見せてくれましたが、最終的に移民局に提出する書類は電話帳タウンページ(古っ)二冊分くらいの厚さになってました。

弁護士のシナリオ

PDFで提出書類のコピーを見て弁護士のシナリオ全容ががようやく見えました。最初に言われていた3つの要件に更に4つを加えて、合計8つの要件の内7つを満たしているシナリオが出来上がっていました。後述しますが、マスター教官になるための過程が他のカテゴリーにも充当していたという事です。正直びっくりしました。こちらから提出しているバラバラのピースを組み立て、論理武装が出来上がっている状態になっているのです。順番に読み込んでいるとこれって承認しないわけにはいかないよね!ってシナリオになっている。それを承認してくれる推薦状を書いてくれているプロフェッショナル(証人)もそれぞれいるというシナリオです。

Pricelessな私の財産です。自分史が書けるんじゃないかと思うほどの中身です。弁護士には感謝です。なかなかそのような機会ってないんと思うんです。

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申請から結果報告

申請したのは2022年の1月13日。プレミアムサービスを使ったので、書類受理から結果報告まで2週間という連絡が申請受理された時に通知されました。

こんな長い2週間はこれまで味わったことがありませんでした。夜中にも目が覚めてアメリカから弁護士のメールが来てないかチェックしたり…

とにかく待つしかないと言われてましたが、とうとう我慢できずに最終日の14日目にメールで次の文章を送りました。

承認されればメールでその旨の連絡が来る。追加書類が必要であればファックスでその旨の連絡が来る。だよね?で、今のところ二つとも来てないんだよね?

弁護士からは「その通り」との一言に加えて、ネットで調べてみたらまだ結果は出てないねとある。

ん?そんなサイトがあるんだ!

夜中にベッドで携帯電話でそのメールを見て、移民局のサイトに入って、自分の申請IDを入力してみると...

CASE WAS APPROVED

とある...も、も、もしかして、承認されてる?!て言うかそう書いてるし、早速スクリーンショットを弁護士に送ると「おめでとう」と返事が!

そんな形で知ることになるとは思いもよらず、一瞬、力が抜けて、喜びと安堵感が一気に湧いてきました。一日中ニヤニヤしてたと思います。

それから6時間後には弁護士へも移民局からメール連絡があったようです。弁護士からメールを転送してもらって本当だったんだと改めて安心しました。

2022年1月28日の出来事でした。

とはいえ次のステップは面接です。油断大敵。早速弁護士からネットで申し込むフォームがあるから記入しておくようにとの指示がありました。

ネットでフォームを記入して提出すると、数日で移民局から弁護士と雇用先へ受領の連絡が届きました。

次のステップは領事館での面接予約です。

2022年の2月1日に面接の予約をして、一番早い日程が2022年3月18日…
意外と時間かかる…というのが正直な感想でした。

アメリカ領事館での面接

待ちに待った3月18日。事前に準備しておいた資料を抱えて予定の時間前に在沖米国総領事館到着。

入口での身分確認と予約確認が終わると、手荷物検査、携帯はbluetoothをオフにしておくことを確認されてから本館に到着。

入口では受付で資料を全て提出して待つこと30分。指紋採取とちょっとした質問を日本語で対応していただきました。

さらに待つこと15分。本面接のためのブースへ呼ばれました。

  1. アメリカのどこで(スポンサー名)働きますか?

  2. そこは何をしている会社なのですか?

  3. そこであなたは何をするのですか?

  4. そこで何年働くつもりですか?

  5. 今はお仕事は何をしているのですか?

  6. 社員は何名いるのですか?

  7. 会社は何年ほどやられているのですか?

ここまででほぼ終わったようで、パソコンに入力しながら少し笑いながら…

・私はネバダ州は行ったことないけどあなたはありますか?
・興味があって聞くけど、パイロットの資格ってどこか学校行って取るんですか?

最後に「ビザは承認されました。パスポートは2週間ほどで郵送されます。」

最後に質問はありますか?との問いに、改めて「ビザは承認されたんですよね?」

笑いながら「はい!ネバダで楽しんでね!」

その後はこれまでの30年近い過去のことが走馬灯のように頭をよぎりようやく夢が実現する!と興奮して自然と顔には笑み(いや…にやけているという表現が正しいかも)

パイロットとしてビザを狙いたい人へのアドバイス


世界的なコロナウイルスパンデミックですが、パイロットは相変わらず不足している事は変わりません。パイロットだけではなく多くの技術職がアメリカでは不足しているようです。

数年前にSTEM(科学技術系)人材が足りないので、通常は大学卒業後の実務研修期間が1年だったのを2年延長し、合計3年間と言う長期アメリカで就労できるようになってSTEM人材であるパイロットとして研修をしている外国人も多く存在しています。外国人留学生の場合通常の実務研修が1年であれば現地での就職活動には短いので、三年も有ればその間に何らかの就労ビザや雇用ベースの永住権を申請するケースが多いと聞きます。

International Student and Scholar Servicesによるとバイデン政権はSTEM人材の強化と確保に乗り出したそうです。3年間の実務研修期間だけではなく、Jビザ・Oビザ・永住権などにも恩恵を広げるようです。下の写真からリンク先のニュースをご覧ください。

弁護士からも私のケースでもEB1とEB2のNIWを使って申請できると連絡がありました。この報道発表で既に移民弁護士の業界では動きがあると言う事ですね。

パイロット教官がエアラインパイロットの登竜門であるならば、そのパイロット教官と言う仕事でマスター教官を目指すことで次のチャンスが生まれやすい環境になりつつあるってことです。

エアラインが求める飛行時間の1500時間を貯めることと同時に教官としての質の向上を目指すことで、ビザの取得の可能性が広がるのです。

マスター教官が最初のステップ

マスター教官の取得過程が非常に大切です。取得過程で下の「O1ビザ8つの要件」⑤と⑥を意識して行動してみてください。

こんなエピソードもあります。ロシアから留学前に父親にO1ビザのノウハウを教え込まれて、留学中にやっておくポイントを指導され、さまざまな活動を大学生の間に徹底的に実施し実績を積み、卒業後にO1ビザを取得した例もあります。

知ってると知らないとではえらい違いです。なので下をよく読んで行動してください。

どのような活動がいいのか?が分かりにくいと思いますが、それを提示してくれているのがマスター教官の資格要件です。マスター教官の資格要件には次の4つのカテゴリーがあります。それらをしっかり読み込み行動してみると⑤や⑥以外にも繋がってくる可能性もあります。

そうしてマスター教官の資格要件が揃ったらマスター教官の申請、そして取得により②が満たされます。

前述したように2022年はSTEM分野でのEB2 NIWがスタートします。O1ビザではなく永住権の取得も可能になるのですが、この考え方はきっと役に立つと思います。

O1ビザ8つの要件(再掲)

① 本人がその専門分野における業績を認められており、国内外で評価されている賞の受賞者であることを証する資料

② 傑出した業績をあげた者しか入会を認められない団体であるとして、本国内外におけるその分野の専門家から認められているような学会その他の他団体に、本人が会員として所属していることを証する資料

③ 本人がその分野であげた業績や成績についての記事が専門職、著名な業界紙その他の著名なマスコミ関係の出版物に掲載されたことがある場合は、その連載紙のコピー

④ 本人がその専門分野における他の者の業績や作品を審査する審査員となったことがある場合においては、その事実を証する資料

⑤ 本人が科学、学問、ビジネスの分野において本人の独創的な業績により多大な貢献をしている場合は、その事実を証する資料

⑥ 本人の専門分野を取り扱っている専門紙や業界紙、その他の著名なマスコミ紙上に本人が学術論文を発表している場合はその掲載著書のコピー

⑦ 著名な団体・組織における重要な役職を務めたという雇用証明

⑧ 本人が同じ専門分野にいる他の者と比較して多額の給与その他の報酬の支給を受けているという事実がある場合は、その事実を証する資料 

いつやるの?今でしょ

教官資格を取得する前でもやれる事はたくさんあります。実機訓練前にやる事もたくさんあります。勉強だけではなくネットワーク作り。実はスタートから意識しないと玉突きのように後へ後へやることがずれて来て、結局教官になった時に余裕がなくなり、普通の教官として、飛行時間だけは持っている、他の教官との差が無い人材になってしまうのです。

飛行時間だけは持っているけど、結局は使えないという事例が出始めている事例がブログでも紹介されています。こちらから

この流れの解説は別のブログで紹介しますが、抽選永住権のように数%の可能性だけを望む(抽選永住権を否定しているわけではないですし、絶対に毎年応募すべきものだと思います)より、自分で取得可能性を引き上げられる方法でチャンスを勝ち取る方法もありだと思います。

仮に途中で失敗しても、ビザが取れなくとも、その過程での行動は必ず人生の糧になることは間違いないと思います。

50代後半のオッサンでもアメリカではチャンスがある事を伝えていきたい。アメリカンドリームを実現する努力はするつもりです。ラジオに出演いただいた方々に少しでも近づけるように努力し続けます。

そんな経験を次の世代に伝える事が私の使命だと思っています。

長文にお付き合いいただきありがとうございました。

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