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太宰府ロマンス放蕩紀

退屈は俺の問題である。それを人に嘆いたり、他所に押し付けるのは退屈な人間である。そんな男になってはならぬ。そんな経緯で夜1時、俺はチャリで家を出た。目指すは太宰府天満宮。当然腐れ縁の退屈が部屋で大人しく待ってくれるわけもなく、奴は図々しく荷台へ乗り込んできた。退屈は常に己につきまとう。握れるだけのキットカットをポケットに詰め、退屈との2ケツ旅が始まった。こやつをチャリからぶん投げて、運命の女神でも乗せて帰ろうと誓ったのである。

とはいえ俺が太宰府天満宮へ行こうと思ったのはそれなりの理由がある。それは件の地が学問の神、誠心の神と奉られる菅原道真の墓上に建てられた神社だからではない。中学校の修学旅行でガイドさんが話してくれた「太宰府におわす御神牛」というエピソードをふと思い出したのである。以下の文章がそれだ。今も余すところなく覚えている。

なぜ太宰府がこの地にあるのか説明いたします。道真公が清らかな御生涯を終えられ、その御遺骸を運んでいる時のことでした。御遺骸を運ぶ牛車の牛が突然その場に伏して動かなくなったのです。すると見ていた人々が『これは道真公の御心によるものであろう』とその地に御遺骸を葬りました。やがてそこは聖地となり、社殿が建ちました。それが今の太宰府天満宮なのです。

これに異議を唱えたい。絶対、牛にそんなつもりはなかったはずである。疲れて地面に腰を下ろしただけだろう。眠たかったのかもしれない。いずれにせよ牛が道真公の御心を解するはずがない。万一これが本当に道真の御心だとして、こんな回りくどい連絡をする男に仕事が出来るはずがない。学問の神の地位は返上してほしい。そしてこれを真に受けた側近も、上司の遺体を道に埋めるなどアホばかり。しかしどんなアホに見出されたとしても、この牛が今では神と崇められ、世にあまねく女子受験生の皆様から全身を撫でられているから羨まけしからん。その座をよこせ。

なんにせよ棚から厚遇の生涯を求めた俺は、御神牛の御利益を得るべく大宰府を目指した。命短し楽せよオトコ。天神より牛にすがる参拝者は初めてであろう。男神に下げる頭などない。荷台の退屈も高揚し、ライブハウスで跳ねる観客のように体を揺らしていた。俺はとっくに跳ねている。ちなみに調べを進めると、道真は遺言に「遺骸を牛車にのせて人にひかせず、牛の赴くところにとどめよ」と書いていたのがわかった。やはり道真は仕事が出来る。俺は仕事が出来ない。学問の神万歳。

さて、我が住まいから天神の住まいまでの道はいくつか存在する。最もメジャーなのは二日市から西鉄に乗り太宰府で降りる道である。二日市から大宰府にかける筑紫の道は、かつての大宰府政庁の古道の名残を留める意匠が施されている。博多・天神からの観光客も相まって連日人で賑わい、紳士淑女から生臭坊主に至るまで沢山の人が訪れる。しかし俺は陽の当たる道を通らない。なぜなら陽がない。西鉄も動いていない。丑三つ時に動く電車は冥鉄こと冥界鉄道のみである。乗ってたまるか。

俺は愚直に自転車を走らせた。西鉄二日市を駆け抜け、太宰府客館跡史跡広場を駆け抜け、鉄橋下の踏切を駆け抜け、果てなく続く西鉄の線路沿いを駆け抜けた。キットカットを食べようと公園に立ち寄った時、薄明かりで睦言を交わす罰当たりな痴男痴女が目についた。公園はみんなのものである。確かにエッチは貴様らのものだが、見せつけるものではない。互いの貞操を奪い合うだけでなぜ満足できまいか。まず相思相愛の幸せを噛み締めよ。愛に気づくのは失ったときである。それに気づかなければ貴様らにはいつか神の鉄槌が下るであろう。淫靡に流れた者への鉄槌が。そう言い残した俺は大宰府へ車輪を走らせた。変な顔をされた。俺は泣いていた。

朱雀大路を駆け抜け、太宰府政庁跡に行き当たり、鈴虫の鳴く御笠川の並木沿いを爆速で漕いだ。源氏物語の道である。左手に見える観世音寺は奈良の東大寺・栃木の下野薬師寺と並び天下三戒壇と呼ばれることは知られているが、宝物庫の馬頭菩薩と毘沙門天が夜な夜なあつまれ どうぶつの森をしていることはあまり知られていない。この寺の梵鐘が九州国立博物館に寄贈されたのは早朝の鐘がやかましかったからだと本人から聞いた。地獄の沙汰もWi-Fi次第。どの世界も苦労しているのだ。そう思いながら自転車を走らせた。まだ退屈も乗っていた。楽しそうである。それはいいのだがヘドバンは車体が揺れるからやめてほしい。

そんなこんなで太宰府天満宮に着いた。とても静かだった。昼間は美女と野獣ともやしっ子で溢れる参道に人の気配はない。心字池に掛かる3つの見事な太鼓橋も夜の風景と化していた。有識者が梅ヶ枝餅ストリートと呼ぶ大通りも静かだった。ここには夜通し梅ヶ枝餅を勧めてくる妖怪「ウメ婆」が現れると有識者の間で話題である。誘いを断ると手に持つ餅を100マイルで放ってくる恐ろしい妖怪だそうだ。ごく稀に双子の姉である「ガエ婆」が割って入って痛烈なピッチャー返しをお見舞いすることもあるらしい。確かなことはわかっていない。有識者が暇なことだけは確かである。

奥に進んだ。段々光の入らない通りが増え、かなり恐怖を感じた。夜間ということもあり楼門は固く閉ざされ、本殿と飛梅を拝むことは出来ない。仕方がないので俺は左手の大楠に自転車を停めて辺りの散策を試みた。平時は多くの客を沸かせる猿回しも玉すだれもない。気味の悪い静寂が立ち込めていた。生霊がいるのではないか。怨念が現れるのではないか。我ながら罰当たりなことばかり考えていた。受験期は頭を下げて合格祈願し、合格すれば祟り神と忌避する。そんなんだから祟られたのかもしれない。彼女がいないのは祟りのせいである。退屈が俺を見てけたけた笑っていた。

賽銭箱に小銭を投げ、一応頭を下げる。俺はもう神が願いを叶えてくれるなど思っちゃいない。8年間片思いしたナツミちゃんがバスケ部エースのユウタとイチャつくのを見たときに8年目の神頼みを打ち切った。おそらく俺の願いを聞いて物色しに行った神がナツミちゃんの可愛さに陥落し、ユウタとなり地上に降りて俺との約束を無下にしたのだろう。でなければナツミちゃんと付き合えるはずがない。もしくはナツミちゃんも女神だったのだろうか。その方が納得がいく。いずれにせよ我が純朴で一途な想いは3点シュートの前に敗れた。神はいない。いるのは澄まし顔で欲望を願う愚か者だけである。

楼門を守る御神牛にも祈りを捧げた。目的は遂げた。旅は終わるはずだった。しかし帰路に着くはずの俺は何を思ったか、踵を返して宝満宮竈門神社に向かうことにした。大宰府の鬼門に置かれた神社である。俺の足がここに向いた理由はわからない。縁結びの社として有名。やはりさっぱりわからない。なんにせよ由緒正しき神社である。中世以降は修験者による信仰が盛んであり、険しくも秀麗な宝満山の姿に多くの山伏が憧れ、厳しい修練を重ね、世の平安と人々の除災招福のための加持祈祷が行われたそうだ。道は過酷である。竈門神社にはコミュニティバス「まほろば号」で大宰府から100円で行くことができる。なんでやねん。

つべこべ言わず自転車を走らせた。神社までの道は暗かった。とても暗かった。魑魅魍魎が跋扈し、百鬼夜行による人肉祭が催されていても不思議でない。己を鼓舞し土を蹴った。愛染橋を駆け抜け、白樫と山桜の並木を駆け抜け、博物館橋を駆け抜け、蜘蛛の巣を搔い潜り、県道578号線に飛び込み右へ旋回、トラックの間を縫って大宰府梅林アスレチックスポーツセンターから左へ疾駆すれば、後はひたすら山を登るだけである。溜息の出る坂ばかりだ。俺が長崎生まれでなければ卒倒していただろう。妙香庵を駆け抜け、坂を駆け抜け、激坂を駆け抜けた。足の限界が近い。休みたいが喫茶は軒並み空いていない。時計は3時。誰か今すぐ天地をひっくり返してくれ。

入口に着いた。巨大な鳥居が俺を出迎え、地獄の竈門へと続く死出の階段が見えた。社の規模からして100段以上あるようだ。もう帰りたい。なぜ縁結びごときでここまで来たのだろうか。霊山を背にした神社は平地の比にならぬほど不気味である。百年の知己も我先に逃げ出すだろう。死ぬかもしれない。しかし俺の生死に誰も興味はない。恋も恐怖も退屈も全て俺の問題である。そう奮起し、君府へ攻め入る十字軍にも負けぬ馬脚で境内へ駆け上がった。気が狂いそうである。君府を攻めた第四次十字軍は略奪と殺戮の限りを尽くした。よかった。人はとうの昔に狂っていたのだ。それではここで届いたお便りを読み上げます。最初はラジオネーム「秋サンマ」さん、とても美味しそうなお名前ですね。

Q.こんばんは。いつも楽しく聴いております。夜の神社は悪霊が居ると聞いたことがあります。怖くないんですか?〈RN.秋サンマ〉

A.怖いです。すっごく怖いです。こうして夜中に来ている僕が言うのもなんですが、あんまり真似して欲しくないですね。はい。当選された秋サンマさんには番組特製ステッカーを差し上げます。続いてラジオネーム「ピザ栗毛」さん、美味しそう……でいいのかな。

Q.こんばんは。日頃楽しく拝聴しております。夜の神社は幽霊がいると愛妻から聞きました。怖くありませんか?〈RN.ピザ栗毛〉

A.奥さんも怖いこと言いますね。夫婦でなんて話題ですか。というかこの質問さっきもありましたよね。ひょっとして今日の晩御飯はサンマだったりしませんかね。恐怖で僕がおかしくなっただけですかね。ぜひ奥さんに愛を告げてお休みください。夜のサンマも美味しく頂いちゃってください。はい。ピザ栗毛さんにもステッカーを差し上げます。最後はラジオネーム「オッPY×FAMILY」さん、攻めすぎじゃないですかね。

Q.こんばんわ。パパとママから夜のじんじゃはゆうれいがいるとききました。こわくないですか?〈RN.オッPY×FAMILY〉

A.たぶん男の子だよね。いま夜の3時だよ。パパとママは何をしてるのかな。ふむふむ、2人でお部屋に入ってずっと出てこないんだ。それはね、ピザ栗毛が秋サンマを隅々まで食べてるんだよ。これは大人のお楽しみだから、自分のお部屋にもどろうね。そっとね。それじゃあ、おやすみなさい……。

名残惜しいですがラジオはここで終了です。深夜の竈門神社からお送りしました。オッPY×FAMILYに幸あれ。ではまた明日!……などと独り境内で叫んでいた。冥府の十字軍よ、これが人の正しい狂い方であるぞ。

登り終えた。狂ったおかげで不気味な空気にも慣れ、本殿への二礼二拍手一礼を丁寧に済ませることができた。本殿から右の五穀社に頭を下げ、左の須佐社と夢想権之助神社にも頭を下げる。夢想権之助と言えば剣豪宮本武蔵に唯一土を付けたと目される剣客である。

突かば槍 払えば薙刀 持たば太刀
杖はかくにも 外れざりけり

東京都杖道連盟HPより

こんなカッコよすぎる理念を残した杖道の祖がこの地で開眼したとは知らなんだ。俺は満足して境内を降りた。後で気づいたのだが、幸福の木に縁結びのこよりを結ぶのを忘れていた。何しに来たんや。今月末には秋のえんむすび大祭があるらしい。また来よう。まほろば号で。

ラブストーリーは突然に。それは境内を降りた時であった。なんと竈門神社のバス停に美女が佇んでいたのである。美女でなければ見えないことにするつもりだった。目を凝らした。美女であった。まほろば号には8時間早いので大方幽霊だろうと思われた。しかしそれでも構わなかった。地獄に連れて行かれても構わなかった。どうせ帰りは地獄である。自転車など見とうもない。ならばそのまま美女と地獄へランデブーしようではないか。美女は十二単を纏っていた。もう確実に幽霊である。俺が近づくと美女は驚いたようにこちらを見た。そりゃそうだ。寅の刻に神社から出て来る人は十中八九幽霊で間違いない。確かに俺も大学じゃ幽霊みたいなもんだ。やかましい。俺は女の霊に話しかけた。

「お隣よろしいですか」
「あら、私が見えるの」

「まあ、似たようなものですから」
「ふうん、そんな人ははじめてよ」

「今日は寒いですね」
「ほんとうに」

「ああ寒い。家の毛布は出されましたか」
「わかって言ってるのかしら」

「ええ」
「ひどい」

「何ゆえここにお残りに?」
「会いたい人がいたの」

「過去形ですか」
「遅かったのよ」

「そうですか」
「踏み込んで来ないのね」

「踏み込んで良かったのですか」
「よくないわ」

「ほれみたことか」
「あなた、独り身でしょう」

「なぜ」
「いくじなしだもの」

「なかなか効きました」
「良薬口に苦しよ」

「それが、最近の良薬はそうでもないんです」
「減らず口は達者なのね」

「本当ですよ。ココア味とか」
「ここあ?」

「ああ、ええと、甘い飲み物です」
「甘葛粥のことかしら」

「多分そうです。知らんけど」
「頓知が効くのね。てっきりただの阿呆かと」

「学のある阿呆でありんす」
「おもしろい人」

「恋する乙女とは話が合うのです」
「言ったかしら」

「いえ」
「ならば、なぜ?」

「阿呆の勘であります」
「ふうん、参ったわ」

「参りましたか」
「ええ」

「はあ」
「ふふ」

「どうされました」
「少しだけ、思い出話を良いかしら」

「ええ」「きっと退屈よ。すっごく」
「構いません。どうせ退屈ですので」

話し終わった女御は泣いていた。キットカットを渡すと小さく口に含み、咽びながらも年頃の女の微笑みを見せた。俺は空を見上げた。泣いた女の前で積み上げた学問など何の役に立とう。学問の神など糞食らえである。俺の心にふつふつと怒りが湧いてきた。道真殿、いくらが貴方が天神と呼ばれようと、一人の女を泣かせた罪が許される道理はない。たとえ私情に割り込むなと神が諭しても、不道徳の化身たる俺たちを止められると思う勿れ。見よ。退屈は威勢良く小躍りまでしている。いつのまに。

腹は括った。俺は梅枝のように細い女御を抱え上げ、自転車の後部座席に乗せた。霊を掴める俺はもう人で無いのかもしれない。しかし都合が良い。天に抗うは地獄の鬼のみ。もとより俺は天邪鬼である。女御に席を譲った退屈は、代わりに俺の肩に掴まった。勇ましき眼差しであった。やはりお前もそうでなくてはならぬ。俺たちはこの美しき女御を天に届けねばならぬという使命に燃えていた。向かうは左遷された道真が無実を訴えるため幾度も登頂し、天を拝したことから名付けられた天拝山。一人の女の本気の恋を、聞いて仕舞いじゃなかろうに。俺は夜空に向かい叫んだ。

「いざ、天へ参りましょう」

しかし大見得を切ったのは良いが、俺にはここからのプランが全く無かった。かっこつけただけである。一番ダサい。東の空に高く聳え立つ天拝山の麓までは少なくとも1時間かかる。山を登るにはもう1時間。それでは日が昇ってしまう。日が登れば霊は消える。知らんけど。ここまで来て駄目なのか。俺は途方に暮れた。すると南西の太宰府天満宮より猛々しい雄叫びが響き、瞬きと共に一つの落雷が竈門神社の境内に落ちた。焼け落ちた楠の傍に立つ姿に俺は瞠目した。その雷は御神牛であった。御神牛は悠然と俺たちの前に歩みを進めると、あろうことが口を開いた。喋ったのである。

「主の忘れ形見のため馳せ参じた」
「おかしいな、声が聞こえるんだが」

「話しているからだ」
「ありえへん」

「お前には話してよいと思ったのだ」
「なぜ」

「友達がおらぬからだ」
「なかなか効きました」

「さあ行くぞ」
「涙が止まらん」

俺と女御は勇ましき背中に乗り込み、退屈は無礼にも頭に乗った。俺たちは空を切る駿牛と一つになり、宝満山から天拝山へと吹く東風となった。使命を持った雄牛はまさに疾風怒濤。これが今夜の最後の旅となろう。竈門神社から飛び出した一陣の風は二日市温泉街を抜け、筑紫野ICを見下ろし、天拝山歴史自然公園にある水上の東屋に着地すると、九州最古の「藤寺」こと武蔵寺を駆け抜けた。天拝山は一合ごとに道真の歌が石碑に刻まれている。しかしそんなものに目もくれず牛は駆けた。あっという間に天拝山の九合目まで辿り着くと、御神牛は山頂へ続く階段の前で女御に降りるよう促した。

「ここからは貴女のみ行け」
「しかし、お牛さまは?」

「私はこの阿呆とやることがある」
「やること、でございますか」

「そうであろう。阿呆」
「え? あ、えっと、はい」

「そういうわけだ。我が主には宜しくと」
「承りました。お牛さまの御恩は忘れません」

「じゃあね、いくじなし君」
「ちくしょう。末永くお幸せになりやがれ」

「久々に退屈しなかったわ」
「……それは、光栄ですなあ」

女御は山頂へと続く階段を登っていった。細く険しい階段を一人登っていった。名残惜しい。短くも良い時間だった。しかしそんな俺に、御神牛が急き立てるように角で突いた。いったい何だというのか。これで何もかもハッピーエンドであろう。

「おい、小僧」
「なんでしょう」

「このままでは細君は天神と会えぬ」
「なぜ、どうして」

「神は簡単に現世を向いてくださらぬ」
「何やってんだ。職務放棄じゃねえか」

「彼らもお忙しいのだ。だから主は幾度も登った」
「しかし、今日を逃せばあの女御は」

「悲嘆に暮れ、果ては怨霊となるだろう」
「でも、アンタならなんとかできるでしょう」

「悪いが老兵に策は無い」
「そんな馬鹿な」

「そこで小僧、お前だ」
「俺?」

「お前は阿呆だが馬鹿ではない」
「……」

「頼む」
「……」

「……」
「……」

「……すまぬ。やはり無いか」
「ひとつだけ」

「いまなんと」
「阿呆の策で良ければ、ひとつだけ」

「天がこちらを向くほどの策か」
「これで気づかねば天神は愚物です」

「出来るのか」
「神牛様のご加護次第かと」

「念ぜよ。さらば見合う加護を授けん」
「ようし。いっちょやったるか!」

何事もやってみなければわからない。万事は能動の産物である。俺は一心不乱に己の大学生活を念じた。今思い返してもそれは暗黒そのものであった。退屈と過ごし、退屈に明け暮れ、退屈をなんとかしようと奮闘した日々。退屈は俺の知己であり、俺が唯一腹に抱えた一本の剣であった。嘘と蛮勇は貧乏人が世間に放てる言論の最終兵器である。気づけば退屈はどす黒き大槍に変形していた。退屈の本質は退屈なその人生に、運命に抗わんと立ち向かう勇気である。恋は勇気の結晶である。女御さま、詩は天で仲良く詠むといい。何首で詠むといい。大宰府に流された愛する人を京で見送り、それから一度も会えずその死を聞き、終生お伏せになった心優しき貴女の魂は俺が必ず天に送り届ける。もういくじなしとは言わせまい。

「天神様に賭けようじゃないですか」

俺は退屈を投擲した。どす黒き青春を詰めこんだ神槍は御神牛の加護のもと錐揉み回転で地上へと突き進み、まだ開館前の九州国立博物館の複層ガラスをぶち破った。エントランスに行きついた槍は博多祇園山笠の飾り山を巻くように駆け上がり、四階の文化交流展示室中央フロアに位置する観世音寺の梵鐘に寸分違わず衝突した。轟音が響いた。神風が衝突したのだからそうなろう。ここからが賭けだった。

今日は任天堂の新作スプラトゥーン3の期間限定イベント「フェス」の最終日である。「フェス」は我が友人が三日三晩熱中する程熱く、理解ある任天堂愛好家であれば深夜に競い合う者の邪魔立てをしようとは思わない。しかし今回は別であった。俺は最後まで神の怒りを買うことを選んだ。大宰府はおろか天まで響いたやかましい鐘の音が、観世音寺の宝物庫で集中しているあの方々の耳に聞こえないはずもなかった。あつ森に熱中した彼らが、スプラトゥーンにハマらぬ訳がないのである。俺は確信を持って呟いた。

地獄の沙汰もWi-Fi次第。

地鳴りとともに観世音寺の宝物庫を二柱の怒れる仏神が突き破って現れた。大怪獣バトルもかくやという巨大な馬頭菩薩と鎧を来た毘沙門天が顕現し、御二方は怒髪天を衝く勢いで天拝山の登山道で佇む俺に拳を振り上げた。神の鉄槌である。博物館の火焔型土器やアイヌのマキリの怯える声がここまで聞こえた。白き黄金と呼ばれた古伊万里も仏前では何の役に立とう。しかし俺は、この神の鉄槌が俺に下ることは無いと確信していた。いいや、確信していたと言えば嘘になる。しかし俺に天神様の御加護があらんことを願った。俺は女御の恋に全てを賭けたのである。それに俺は、断じて夜の公園で睦言を交わすほど淫靡に流れてはおらぬのだ。流れようがない。淫靡の泉が無いのである。頬を大粒の涙が伝った。

観世音の神よ。あの痴男痴女より先に俺へと鉄槌を下したならば覚悟せよ。死すれど必ず悪霊と成りて、毎朝早朝アラームを欠かさず鳴らしてやる。無論スヌーズ機能付きだ。観音堂は拝めても、任天堂を二度と拝ませてやるものか。どうだ。参ったろう。待て。本当に潰すのか。待て。待ってくれ。そうだ、お前たちに階位をやろう。そういえばあんた菩薩でした。待って待って。マジで。待っ——。世界が細分化し、俺は死を覚悟した。右を見ると御神牛も迫りくる拳を受け入れ、責務を全うしたように目を瞑っていた。死にたくない。俺は左を見た。そこには草陰からこちらをじっと見つめる婆がいた。空気の読めぬ婆であった。

「梅ヶ枝餅はいらんかえ」
「いるもんか!状況考えろ!」

俺は反射的に叫んだ。神の御業かと思うほど鮮やかに罵声が滑り落ちた。しかしそれが間違いであった。思い出したくもない。弛緩した景色の中でもあれほどハッキリ覚えているのはあの地獄くらいのものだ。婆は見る見る内に異形の姿へ形を変えた。山姥と呼ぶのも生易しい。地獄の窯を開いたと気づいたときには遅かった。巨大な鬼に変形した婆は往年の大魔神を思わせる覇気で腕を大きく振りかぶると、チャップマンのごとき滑らかなリリースで梅ヶ枝餅を投擲した。

「ウメェェェェェェェーーーーー!!!」

目測108マイル。人類の到達点である。今すぐ巨人軍はこの人材を獲得すべきだ。そんなことを考えているうちに餅は俺の眼前に迫った。神の拳より速き餅である。なんてこった。もうおしまいだ。しかし次の瞬間、俺の視界はまた見知らぬ婆に遮られた。

「ガエェェェェェェェーーーーー!!!」

突如現れた神主打法の婆に俺は困惑した。ゴジラが最も苦手とする大魔神の球を完璧に攻略したのはこの伝説の三冠王であると父からよく聞いていたからである。薄汚い婆の放った餅を、薄汚いそっくり顔の婆が跳ね返す。球界の薄汚い至宝のぶつかり合いであった。僅かに芯から餅が逸れる。ファールである。バットには筑紫野名産ソンバーユが塗られているから餅はへばりつかない。即座に投げる婆が二餅目を投じ、打つ婆が構える。

勝負は十七球にも及んだ。角中とジョンソンの死闘を思わせる名勝負に馬頭菩薩も目を奪われている。その隙に俺は逃走を図った。しかし毘沙門天に回り込まれた。毘沙門天は夜叉や羅刹を統括する四天王1の鬼神である。逃げられるはずもない。俺は今度こそ己の命を諦めた。もう何度目か。最期の走馬灯に現れたのはやはり初恋のナツミちゃんであった。もう一度会いたい。目を瞑り、恥も外聞もなく叫んだ。

「ナツミちゃーーーん!!!」


「おい、まだ引きずってたのかよ」

俺は懐かしい声を聞いた。聞いたということはまだ生きている。俺は目を開けた。目の前には金色の神の威光に包まれた一人の青年が毘沙門天を制していた。神通力で全身を拘束された仏神は目の前の青年に畏怖を抱いているようにも見える。この男は何者であろうか。

「助けに来たぞ、借りがあるからな」

青年はユウタであった。彼はやはり現人神だった。仏神と現人神の神威が衝突し、天拝山は突如ラグナロクの舞台となる。天がこの地を覗くには十分だった。十分すぎる。はよ覗け。すると、空の裂け目から天拝山の山頂に眩い閃光が輝いた。圧倒的光量。この地を治める天神がこちらを向いたのである。山頂へ駆けた女御の想いが空に通じたのだろう。愛に溢れた弾ける光の柱が天に昇って行った。良かった。天に上った光は雲の上を果てしなく照らし、その光は天の光として大宰府と筑紫野の町を包み込んだ。それは怒りを愛に変える平和の光であった。痴情の乱れによる地上の大騒乱は、かくして終結したのである。俺はその場で意識を失った。当然である。ここまで動けた方がおかしいのだ。

気づくと、俺は天拝山の展望台にいた。急いで起き上がり、筑紫野と太宰府の町を見下す。いつもと変わらぬ景色。全てが光により修復された後であった。もしかすると昨夜のあれは俺が見た幻だったのだろうか。なわけあるか。すぐそばには竈門神社で乗り捨てたはずの自転車が置いてある。誰の礼なのかわからない。昨日は化物に会いすぎた。もううんざりだ。俺は自転車で山を下った。朝の風と陽の光が心地よかった。

そういえば退屈はどうなったのだろう。ともすると俺は本当に退屈をぶん投げることができたのだろうか。いや、そんなことはない。家に帰れば何食わぬ顔で奴はベッドに居座っていよう。あいつはそういう奴だ。そしてすぐその直感は確信に変わった。たしかに俺は彼奴をぶん投げた。しかし俺の後部座席には運命の女神が座っていない。結局のところ、俺は終生退屈から逃げられぬのだ。そして俺はそれを決して人に押し付けることなく、他所に巻き散らすことなく、呪いのように抱えて生きねばならんのだ。ああ、考えるだけで頭が痛い。

しかし、それは永遠ではない。どんな怨嗟も恋慕も退屈も、最後は光と成り果てる。俺たちもいつか光になる。だからこの退屈かもしれない人生を、みんなでどうにかこうにか工夫して、なんとか生きて行けているのだ。安心せよ。この世界には神がいる。俺たちの神が。それでは果たして、女神はどこか。

※こちらの文章は2022年11月16日にnoteに掲載した文章を、再掲したものです。

サムネイル:枝年昌「岩戸神楽之起顕」,1887年