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スクリーンに映し出されるその日まで、闘いは続く――ハリー・ダバディ・ダラー監督『踊子夫人』(Laughter,1930)

 今、したたか興奮を抑えきれず、しかし努めて冷静にある言葉の連なりを綴ろうと思う。特に巧みに織り上げられた物語が語られるというのではない。たしかにふたつの恋愛模様を平行カッティングで語る形式は、やや真新しいようにも思われるが、とはいえそれも際立った独自性が見られるというのでもない。あるいは造形的にも、画面効果的にも際立った視覚的表現が見られるというのでもない。もちろんナンシー・キャロルNancy Carrollをはじめとする女性たち、あるいはフレドリック・マーチFredric Marchをはじめとする男性たちが魅力的に画面に定着している以上、繊細な技術がゆきわたっていることは間違いないと思われるが、これみよがしにそれが主張されるというのでもない。


『踊子夫人』(Laughter,1930)を撮ったハリー・ダバディ・ダラーHarry D’Abbadie D’Arrastという名前は、21世紀の日本ではさほど知られてはいない。IMDbによれば1968年にその生涯を終えたハリー・ダバディ・ダラーではあるが、ウィリアム・A・ウェルマンWilliam A. Wellman監督の『つばさ』(Wings,1927)にもノンクレジットで関わっている。しかし監督作自体は1935年を最後に途切れており、その本数も『つばさ』を含めてもわずか11本に留まる。スタジオシステムによる量産体制が確立した、一般に黄金時代と呼ばれるアメリカ映画の一時期に表舞台に登場した人物にしては、その監督作の少なさはやや例外的な事態と呼んでもよいかもしれない(しかもそのひとつはノンクレジットでさえある)。だがそれはハリー・ダバディ・ダラーの手腕が拙劣なものであるからでは決してない。それは『踊子夫人』ひとつ観るだけでもただちに了解されるように思われる。

 ではなぜハリー・ダバディ・ダラーは量産体制の合衆国で監督作に必ずしも恵まれなかったのだろうか。そこには、これみよがしでないこと、すなわち慎ましやかな演出ぶりにあるように思う。『踊子夫人』は全編を通して引いたキャメラポジションで、アップショットではなく引きのショットの記憶が多く残る。そのため、ひとつのショットの持続が長くなり、画面奥から手前、画面の左右の動線が豊かに張り巡らされ、役者の運動が画面を活気づけている。だが、引きの画面が持続するには、演出、キャメラ、照明、そして役者の幸福な連携なくしては成立しはしないし、スクリーンの時代においてしか成立しはしない。たとえばテレビジョンと呼ばれる小さな画面の受像機では、引きのショットで画面を持たせることが難しい。そのためにアップショットが基調となり、画面の運動感は欠如し、退屈な顔面の連鎖に陥る(アップショットで成立させるためには、ジョン・カサヴェテスJohn Cassavetesほどの力業が求められる)。だから、小さな受像機で『踊子夫人』を観た私は、その真価をたぶん味わいつくしてはいないはずだ。だから、来るべき巨大なスクリーンにハリー・ダバディ・ダラーの名前が映し出されるその日まで、われわれの闘いは継続される。

 ところで『踊子夫人』への好意的な言及を調査したところ、ジョナサン・ローゼンバウムJonathan Rosenbaumとピエール・リシアンPierre Rissientのふたりの名前が見つかった。個人的には現代の映画批評家でも最も信頼しうるひとりと、マクマオニアンの代表格(クリント・イーストウッドClint Eastwoodが『運び屋』(The Mule,2019)で献辞を捧げていたことは記憶に新しい)の名前が見つかったことは、その批評眼と観賞作品の幅広さに改めて敬服の思いを抱いた。


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