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「経済と霊性のあいだで」(2019年9月)

●9月2日/2nd Sep
From today, I try the method of detox by apple for 1 week.
本日より一週間、リンゴデトックスを試してみる。

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●9月7日/7th Sep
5日間のリンゴデトックスを終えて、本日はお米と蒸し野菜。期間中は結局1日に3個ぐらいのリンゴ以外は食べなかったが、玄米の七号食に比べて期間も短く、意外と簡単だった印象。
アユルヴェーダの方式だと、6日目の18時と20時の2回、そして明日の朝6時に1回、レモンとオリーブオイルを150mmずつ混ぜた肝臓の下剤を飲む。
1回目飲んで、これから2回目だが既にちょっと気持ち悪い。右を下にして20分間寝転ぶらしい。

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●9月10日/10th Sep
この2年ほど海外の研究者たちと一緒にディスカッションしてきた「Postdisciplinary knowledge 」が、ようやく出版されました。出版社は人文科学・社会科学分野の学術書を扱うイギリスの名門大手ルートレッジです。ニュージーランドの研究者のTomas Perneckyを中心に各国の様々な研究者が専門分野を超えて書いています。
ハナムラは「Transscape theory for designing the invisible 」(トランススケープ論:見えないものをデザインする)というタイトルで第3章を書きました。
なかなか日本では手に入らないかも知れませんが、エキサイティングな内容になっているので、ご関心ある方は是非。
“Post disciplinary knowledge” is published from Routledge which is a prestigious big publisher in England. In this 2 years,we had been discussing about this book with various international academicians from various professions directed by Tomas Pernecky who is the researcher comes from New Zealand.
I wrote “Transscape theory for designing the invisible” on the chapter 3 of this book.
However it is hard to get in Japan, it is very interesting book ,so please check it out if you have interest.

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●9月11日/11th Sep
本日は外資の製薬会社ブリストルマイヤーズスクイブ東京本社で講演。全国各地から集まってきたMRや研究職の方々に向けてのメッセージ。皆さん非常に関心が高く、2時間ぶっ通しの話でも集中されていた。
今日の講演は”命に携わる仕事”をしている方々向けだったので、普段はあまり話さない「看取り」の話をアトリエで取り組んでいたクリエティブシェアの話と絡めて入れてみたが、これがかなり響いていたようだった。
30分の質疑の時間を取ったが、引っ切り無しに質問が飛んできて、終了後の懇親会でもずっと質問責めに。やはり皆さん企業で働く中での矛盾や葛藤に悩まれている様子が伝わる。海外の本社から来ている日本支社の社長とも少しだけ話をした。
企業で話するときは、そのビジネスが本質的かどうかを問いかけるメッセージをいつも差し込むことにしている。確実に企業はこれから変化を要求される時代に入っている。その中で、目の前の状況やトレンドに翻弄されずに正しい選択をどのようにすればいいのかを考えるヒントを掴んで頂ければとても嬉しい。

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●9月12日/12th Sep
週末まで東京で過ごすが、今日は朝は品川、昼は阿佐ヶ谷、夜は新宿、という具合で打ち合わせと調査のためウロウロ。
東京のリズムは日本の他の都市はおろか、ロンドンや上海やNYなど他のメガロポリスと比較しても唯一無二に感じる。

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●9月13日/13th Sep
今朝だけ少し時間があるので、馬喰町のカフェで仕事。普通のオフィスビルの中にあるゲストハウスに併設のカフェ。
インバウンド客が沢山いるが、日本スタイルの宿でなくこういうモダンな作りの宿を選ぶ動機も理解できる。
インターナショナルスタイルとは世界中どこであっても同様の様式を指す。近代にこういう様式が生み出されてから随分経つので、我々世代には馴染みのスタイルになっている。
その土地の個性を反映されたものではないが、この様式になれた人は見知らぬ土地に行っても安心して使うことが出来るメリットもある。
新しい様式へと刷新されるタイミングは常に来ていて、この20年でインターネットとクラウドが組み込まれた。次に本当の意味でエコロジーが組み込まれることが予想されるが、それが単なるスタイルではなく、しっかりシステムとして定着するまで地球が保つのかが問題。「スモールイズビューティフル」を読みながらそんなことを考える。

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●9月13日/13th Sep
午後からは出版社と打ち合わせのため東奔西走。昨日も一社、小さな出版社と対談本の打ち合わせだったが、今日は朝日新聞出版と東洋経済新報社の大手を2つ梯子する。現在出版企画が並行して4本ほど立ち上がっているが、同じ企画を話しても出版社によって反応が異なるのが面白い。
結局は出版社のカラーというよりも、編集者の関心と心意気によってどの企画がピンと来るのかが変わる。今日は同じ企画に対して極端な違いが見れてとっても面白かった。
「それは名の通った専門家が書かないと売れませんよ」という反応と、「名の通った専門家ではそんな発想は出てこないのでそれは売れますよ」という反応の違い。
その違いは、既に評価が定まったものに乗るスタンスか、新たな評価軸を作ろうとするスタンスかの違いを如実に物語っている。もちろん僕自身が関心があるのは後者。なので”売れそうな企画”は安全牌を好む所、”本当に面白い企画”はチャレンジしようとする所と、それぞれで一緒にやれることを探す。両者とも何らかの話は進みそうだ。
ちなみに写真は頂いたランダル・レイのMMTについての本で、解説を中野剛志さんが書いている。現代貨幣理論には以前より関心があったが、勉強が追いついていなかったので、これを機に勉強させて頂く。心より感謝。

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●9月14日/14th Sep
今日は午後からファンドレイジングジャパン2019で「まなざしのデザイン」の講演。
もう5年ほど毎年のようにお話しさせて頂いてるが、今年は何やらFRJの全体テーマが「モノの見方」になっている様子。数年話してきたことがじわじわ効いているのかな。
インスパイアという枠組みで選出された7組の一人として、400名のホールで話すことになるようだ。これまでは著書がなかったが、本が出来てから初めての会。本では感じられない体験をしてもらえるように、いつもと少しだけ順番を変えてスライドを練り直す。楽しみ。

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●9月14日/14th Sep
ファンドレイジングジャパン2019での講演終了。今日は70分しか時間がなかったのと、400人のホールだったので、メッセージを少々強めに差し込めるようなスライドのセッティングにする。
かなりの密度で話をしたが、皆さんの集中力が途切れることはなく、最後までしっかりと聞いて頂いて感謝。
とっても嬉しかったのは一番前に座っていた3人の女子中学生がかなり反応してくれて、最後に質問までしてくれたこと。内容がちゃんと伝わっただけでなく、彼女たちの中で疑問を喚起することも出来たのはとっても嬉しい。
終了後の名刺交換の場でも並んで話を聴きに来てくれた。だから大人がしたり顔で課題解決などという目先の目的よりも、もっと大切なことがあることを伝えておいた。
毎年FRJで話しているが、やはりスキルやシステムやコミュニティ、ソーシャルなどがキーワードになっている中で、僕の話はかなり異色のようだ。簡単に「課題解決」などと言えるようなことではないことを話しているつもりだからだ。そもそも本当の課題が何か分かっていないのに、解決も何もあるまい。正しく問わねば間違った答えが導かれる。
後ほどのインタビューで聞いた話では、僕のセッションでファンドレイジングについて学んだというより、人生を考えさせられたと答えた方が居られたという。そのためにしているので、一定の効果があったことは嬉しい。
ファンドや活動を考える前に、自分の人生と繋がることなくして何を語ることが出来ようか。そう考えると、お金の話は全くしていないけど、こういう場所で僕が語る意味も多少はあるのかと理解する。場を頂いたことに心より感謝。

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●9月15日/15th Sep
今日のFRJでの講演とその後のディスカッションを反芻する。今日の講演は人数も多くて空間も広かったので、強度を上げて伝えたので確かに強烈だったのだろうことは、会場の反応からも伝わった。しかし数多くいる大人達を差し置いて質疑を出したのは中学生と大学生だったのが印象的だ。
ファンドレイジングのノウハウやテクニック、スキルを聴きにきたはずなのに、自分の中に目を背けたくなるような感情が潜んでいることを指摘された大人達は、思ってもみなかったカウンターパンチを喰らったようなものだ。だから何も質問できなかったのだと思う。
その僕の指摘を素直に受け入れて、正しき道とは何かを質問してきた中学生と、それに比べてそれでもなお自分たちがどのように見られるのかを気にして下手な質問が出来ないと怖がる大人という構図が浮き彫りになった状況自体が、まなざしを向けられることに対する人間の実存の問題がいかに根深いかを物語っている。
“課題”というものを単純化して、それに対してまるで方程式の解を求めるようなフォーマットを期待するまなざしを向けている以上、永遠に解など得られない。その事に気づいた時から本当の解へと一歩ずつ歩み始めるのだと思う。
この10年ほど意図的に同じ「まなざしのデザイン」の話をしてきた。この話を聴く際に、「自分の聴きたいこと」だけを見つめる方向に進むか、「自分が聴きたくなかったこと」に向き合う方向に進むかで、数年後にまるで違う結果になるのが分かってきた。
聴きたいことだけ聴く人は、これまでの自分の価値観や利益の上にこの話を積み上げるので、ますます自我を膨らませる方向でこの話を理解する。僕の話したアイデアを表面的に理解して自らの利益のために適用することがある。熱心に僕の話を聴いているようで、アイデア帳くらいにしか考えていないのがなぜ分かるかというと、ある一時期は近づいて来て、しばらく見なくなったと思うと、似たようなことを言って世間で派手に立ち居振る舞い始めるからだ。
中には僕の話したアイデアをレスペクトなく、そのまま自分のアイデアとして語り直したり、自らの表現にする人がいるのも知っている。そういう人は実際にこのアイデアを使って今のところ大成功を収めているように見える。
それはそれで良いのだが、自分の”聴きたいこと”にまなざしを固定して、この話を聴いていると、長い目で見るとうまく行かない。しだいに次が見えなくなるからだ。そしてこの話を聴く人が増えるほど、この話からパクったことがバレてしまう。いずれ気づかぬは当人ばかりという可哀想なことになってしまう。
一方で自分が聴きたくなかったことを聴く人は、自分を修正する方向へ進む。しっかりと深くこの話を受け止めて、これまで見たくなかった自分の精神性や無意識の態度に気づき、それ修正していく方向。そちらへ進む人は、何度もこの話しを聞きに来て、自分を確かめる。同じ話でも毎回新たな発見をするという声や、日々の中でこれまで気づかなかったことに気づくことが増えましたと言う発言も多い。決して派手ではないが、地道に着実にこの話から得たものをモノにしていく人は、どんどん自分を自由にしていく。そうすると今度は周りの人を自由にしようとし始めるので、うまく転がり始める。数年後に本当に顔の形が変わってくる人もいる。
同じ話だが受け止め方の違いによって積み上がり方はまるで変わってくる。数年経てばその差が顕著に見えるのだ。自分が聴きたいことだけ聴いて使えるところだけを取り込む人。自分が聴きたくなかったことを真摯に受け止めて自分を修正していく人。どちらを選ぶのかで因果の流れが変わる。実際に数年たってそんなことが見えてきた。

●9月16日/16th Sep
50年前のシューマッハの言葉。
「これまでに述べてきた巨大信仰というものは、とくに輸送と通信にあける現代技術を生んだ原因であろうし、また明らかにその帰結でもあった。高度に発達した輸送・通信体系は、一つの甚大な影響を及ぼしている。それは人間の落ち着きを奪っているということである。」
「高速度の輸送や即時の通信が、自由の新しい地平を切り開くと、深く考えもしないで信じ込んでいる人がいる。たしかにつまらないことがらではそのとおりだが、そういう人たちの気づいていないのは、こうした技術の発達から生まれる破壊的な影響を抑えるために、意識的に政策や行動をとらない限りは、すべてがひどく脆く、不安的になってしまい、最後には技術の発達が人間の自由を破壊してしまうかもしれないという点である。」
「落ち着きのない社会では、不均衡の法則が均衡の法則よりはるかに強く働くからである。成功者はますます成功し、敗者は敗北を続けるのである。」

●9月18日/18th Sep
来月の映像の撮影に向けたカメラテストのために京都へ。商店街の中での撮影なので、通行客に気を使いながら動きの確認をする。
今回はスローモーションが基本な上、ズームを多用するので、芝居の精度としてミリ単位の細かい動きが要求される。少し動くとフォーカスポイントが変わるので、撮りながらラッシュで確認して、何度も自分の動きに演出つけていく。
撮影本番までまだ時間が少しだけあるが、本日のカメラリハを受けて脚本を修正したいところが何箇所か出てきた。何とか間に合わせたい。

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●9月19日/19th Sep
我が心の師匠、植島啓司先生とのツーショット。この半年ほど先生の「水の神」の話をお聞きしていたが、本日は最終回。しばらく先生にお会い出来なくなるのは寂しい。
先生とは30歳ほど差があるので、親子ほどの歳が離れているが、僕よりも若いのではないかと思うくらい、いつもハツラツとした男前でいらっしゃる。
2014年に山のシューレで対談させて頂いて以来、自分の聖地の調査の時にはいつもまなざしをお借りする存在として意識している。
「水の神」の話は宗教学という範囲を超えて、人類のルーツや日本の成り立ちそのものにまで迫るテーマ。海水の話、ラオスの仏教、十一面観音、魏志倭人伝、フラーの流体地理学、エレイン・モーガンの水生人類説、映画「エボリューション」、東大寺お水取り、日本各地の龍穴、伊勢神宮のルーツなど、水の神を巡って多岐に話が展開する。ラストは黒澤明の映画「夢」で締めくくられた。
水生人類説は僕もWireless Wire Newsに連載している「五十年後の宇宙船地球号」でこれから少しだけ触れていきたいテーマ。
https://wirelesswire.jp/2019/09/72178/
前に先生と対談した時には、先生は宗教人類学の立場から、僕はランドスケープデザインの立場からそれぞれ話をした。その際に「聖地はいかにデザイン可能か?」という僕の視点に対して、「聖地はデザイン不可能である」という先生の視点の対比が面白かった。
その頃からフィールドワークや自分の作品を通じて、その問いの答えを探し続けているが、結論が出るのはまだ先になりそうだ。ただ、次第に核心へと近づいている感覚はある。
またいつか先生とじっくりお話ししたいけど、その時には僕も先生の中にない新たな視点を見つけれてるのだろうか。まだまだ、それぞれの旅はしばらく続くだろうけど、先生にはいつまでもお元気でご活躍して欲しいと心より願っている。

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●9月21日/21st Sep
昨日は敬愛する能勢伊勢雄さんに逢いに岡山へ。
ここの所、毎月のように能勢さんのお話しを聞きに岡山へ行くのが本当に楽しみ。前回の「古神道とは何か」に引き続いて「神道形態学」について教わる。
これまでゲーテの形態学の話をずっと教わってきたが、前回から日本に古来より根付く独自の自然学の話。それはキリスト教をベースとする理論体系とは全く異なる経綸に基づく体系だという。
三大皇学として知られるが、その中でも天津金木学が神相学・形態学であり、それは残りの二つ、言霊学である天津祝詞学や観相学である天津菅曾学と関連する。
黒住宗忠の天命直授から始まった神道アナーキズムを理論化した、本田親徳から大石凝真素美、そして水谷清へと受け継がれていった天津金木による太占の理論体系についてさわりだけ教わる。
古事記の冒頭部分をどう解釈するのかに関しては、いくつか別の解釈も聞いたことがあるが、この流れでの解釈が一番論理的に思えるので、入手しにくいだろうが文献を少し当たってみたい。
36組の金木の使い方や、六角切子玉の原理などは日本独特の理論だが、その理論体系とフラーのシナジェティックスにおけるベクトル平衡体とは確実に関係しているはず。自分の頭の整理が追いつかないが、これは理屈での理解よりも実際に色々と実験する必要があると理解した。
写真家の高梨豊の「初國」の見方に基づいて、能勢さん率いるphenomenaの皆さんが「フトマニクシロランドスケープ」の中で発見された倭姫命の巡幸ルートの修正観は、学説としてもドラスティックな見方だ。アーティストは本来アカデミックがするべき事を、具体的に検証する役割も持っていると改めて感じた。
話の最後に触れられた二つのトピックは、単なる知識でなく僕自身の課題でもあると受け止めている。一つは「まなざすことにより風景が生まれる」と僕が主張してきたことは、「国見」や「見立て」を原点とすると言えること。倭姫命が未開の荒地を「見る」ことで國が生みだす秘儀が巡幸であったというが、まなざすことの持つチカラを改めて考えねばならない。
もう一つは、国家の原像としての「齋の庭」の意味。庭とは祈る場所であり、弔う場所であるという精神性が必要だ。それを忘れてフォルムに走ってはならないという戒めを忘れないようにしたい。
これまでに聞いたこともない知識をいつも能勢さんから教わり、それは単なる知識ではなく、そこから深く人間の実存について思考し智慧へと変えるヒントを教わる。毎回知識を吸収するだけでも必死で、気がつけばメモしたノートが何冊にも渡っているが、自分の中で確実に消化出来るように精進することが、せめてもの恩返しになれば幸せ。敬愛する師に心より感謝。

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●9月23日/23rd Sep
本日は10月の映像撮影に向けたロケハンのため吉野へ。御彼岸の護摩焚きに参加させて頂いた。当初、護摩焚きのシーンを使いたいと思っていたが、いくつかの理由で方向転換することにした。
今回の撮影はカメラワークが激しいが、この空間ではワイドレンズだと情報が多過ぎて散漫になるし、ズームレンズだと引きが取れないという制約がある。また実際に祈祷を捧げる護摩焚きを撮影する場合はドキュメンタリーのようなアプローチになるため、演出が加えられない制約もある。
それに加えて、個人での護摩堂の場合は基本的には無関係の人がやってくる必然性が無いため今回のプロットには合わないということもある。
諸々考慮すると、ここでの撮影は厳しいと判断した。しかしその結果として、大峯修験の総本山の金峯山寺でお話を聞くことも出来た。しかもその上、撮影の可能性が開けたのは本当に幸運だった。今回のテーマの性質上、お寺にとっても意味のあるものだし、うまくプロットを整理して撮影に臨みたい。

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●9月25日/25th Sep
この世界には論理的に詰めていけば解決できる問題と、解決できない問題との二つがある。論理的に解決できる問題はいつか結論に収斂する。だが、論理的に解決できない問題は拡散していく一方だ。最終的には死が解決するまで、矛盾を抱え続けることになる。それを解決するには別の次元からのアプローチが必要だ。
例えば教育において、「自由と規律」という矛盾する二つをどうやって論理的に調停できるのだろうか。母親や教師がその難しいことをやってのけることが出来るのは、論理を超えたより高い次元にある「愛の力」からアプローチするからだ。
近代以降の教育の中では、論理的に解決できる問題を重視して教えてきた。しかしいつか死んでしまう人生において、私たちが生きる意味は論理的に獲得出来ない。だから違う次元からアプローチせねばならないのだが、片手落ちになった教育をいかにして埋めるのかが重要だ。

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●9月26日/26th Sep
この一年ぐらい手がけていたデザイン案件が、ひとまず1stシーズンの一段落を迎える。これで安心して明日からしばらく山に籠ることが出来る。

●9月27日/27th Sep
本日より一週間ほど岩国の銭壺山に籠って瞑想の時間を持つ。ここのところ長老のお身体が優れないようなので、いつまで指導して頂けるか先は見えない。そのこと以上に、時間があると悠長に構えていると、いつまでも心が育たないので、毎回これが最後と思って臨む。
※10月4日までハナムラとは連絡がつきません。緊急の要件についてはマネージャーにご連絡入れて頂ければ幸いです。

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