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「未来のパターンを予想する」(2019年7月)

●7月1日/1st,July
 那須での山のシューレ以来、ずっとお世話になっております、東京九段下の皇居が見える素敵なギャラリー「册」さんで、7月12日にトークイベントします。

昨年千葉で制作した拙作インスタレーション「地球の告白」を巡って、今考えている事、感じている事を色々とお話出来ればと思います。またその中で、7月7日まで福島の「はじまりの美術館」で展示中の拙作インスタレーション「半透明の福島」のお話にも少しだけ触れられればと思います。
聞き手はアートジャーナリズムの第一線でご活躍している玉重佐知子さんが務めて下さいます。
最近ずっと活動を追いかけて頂いておりますが、公開で二人でお話するのは初めてなので、とても楽しみです。
軽食付きのイベントになっておりますが、僕だけでなく、皆様とも色々とお話出来るような場になればと思いますので、ご関心お寄せの方は是非お会いできれば嬉しいです。どうぞよろしくお願い致します。
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山のシューレ関連企画開催!
地球へのまなざし
─私たちの未来の意識や行動─

場所や物をデザインするだけでなく、“視点=人のまなざし”をデザインすることで風景は変えられるという“風景異化”の考え方を提唱されているハナムラチカヒロさんと、文化ジャーナリストの玉重佐知子さんをお招きし、7月12日(金)に「山のシューレ」の関連講座を開催いたします。「地球の告白」という体験型展示(千葉市美術館 2018年)を経た現在、改めてそれがどのような試みだったのか、そこからどのような結果を得て、どう考えているのかをハナムラさんにシェアいただきながら、現在会期中の福島県にある「はじまりの美術館」での試みも加えてお話しいただきます。講師と参加者がインタラクティブに語る時間もありますので、ぜひお気軽にご参加ください。
開催日: 2019年7月12日(金) 
時 間: 19:30〜21:00
     インタラクティブセッション含む
参加費: 4,000円 (軽食・ドリンク付、税別)
場 所: ギャラリー册(東京・千鳥ヶ淵)
ゲスト: ハナムラチカヒロ
聞き手: 玉重佐知子
お申込は山のシューレ公式サイトより

●7月2日/2nd,July
本日はマネジメントの学部生のゼミ。
冒頭に瞑想して心を整えてから、前回のゼミで学生に振ったテーマについて、それぞれ新聞記事はじめ追加情報として調べてきたものを、今日から順次発表してもらう。
その前に、全体の枠組みとしてリベラルアーツについて説明。かつてはヨーロッパの大学では自由七科として1.文法、2.修辞学、3.論理学、4.算術、5.幾何学、6.天文学、7.音楽を身につけさせたという。リベラルアーツは基礎的な教養と考えられがちだが、包括的に物事を見るための枠組みであり、過度に専門分化した現代こそ必要だと考えている。特に彼らは何でもマネジメント出来ねばならないので、様々なことを哲学出来ないといけない。
だからはじめにハナムラが考える、現代人が身につけておくべきリベラルアーツの自由七科とは何かを伝え、その上で今日発表してもらう二人のテーマはその七科の三番目「民族と共同体」にカテゴライズされることを理解してもらう。
「ポピュリズムとはどういう現象で、投票や政治とどう関係するのか?」
「独立を望む地域はなぜ望み、当局はなぜ独立させたくないのか?」の二つの発表で、司会も討論も議事の役割を振り、後は全て学生たちにまかせ、ディスカッションをスタートさせる。
発表ではトランプ現象とブレグジットが中心だったが、そこからディスカッションが広がる。ポピュリズムはどういう現象か。民主主義とは何か。国家とは何か。次の民主主義をどう考えればよいのか。全体の利益と個の利益をどう考えるのか。短期的利益と長期的利益のバランスはどう取るのか。エリートと大衆の区別とは何か。EUはなぜ出来たのか。共同体の範囲をどう考えるのか。なぜ世界各地でポピュリストが出てくるのか。などなど学生同士で多岐に渡って掘り下げる。最後に僕から、ポピュリスト現象をどう読み解くのかの解説を少し加えた。
普段は言葉数が少ない学生たちだが、場と役割さえ与えれば意外と話すということがよく分かったのは収穫。
だが一方で、ということは彼らが普段話さないのは、ハナムラが喋りすぎなのか...と静かに反省する。ごめんよみんな、これからちょっと黙ってることにするよ...。

●7月3日/3rd,July
本日は二回生の授業。
彼らは1999年から2000年生まれ。以前、自分が生まれてから80歳までの1年単位の人生のロードマップを書いてもらったが、今日は未来予測のワークショップをした。
彼らが80歳になる頃は2080年。その頃には人口の85%以上がアフリカが南アジアの国に集中し、ヨーロッパ人は6%以下になっている。今の欧米型の価値観で動いているかどうかは分からない。日本でも人口は1億人をとっくの昔に切り、公的年金保険制度など破綻していると言われる。平均寿命は85歳以上になり、臓器は普通に取り替えられるし、ガンで死ぬ人は居なくなるようだ。だが認知症は人口の1割を超える。
車は全て電気か自動運転。有機素材から家電も作られる。そんな時代には新聞などはとっくに消滅し、リブラの動きなど見てると、ひょっとすると銀行も既にないかもしれない。いや、お金という概念すらなくなっている可能性もある。
それよりも魚が絶滅し昆虫がいなくなり、ライオンが絶滅危惧種になっていて、グレートバリアリーフも消滅するそうだ。気温も2度ほど上がると予測される一方で、寒冷化が来るともいわれる。オゾンホールが無くなるという予測とオゾンホールがふさがるという予測の両方がある。
その頃には宇宙エレベーターが出来ているどころか、火星には100万人の都市が建設されているかもしれない。なにせ都市建設は3Dプリンターで行うようになっているのだから。
そんな様々に言われている未来予測を集めてもらい、5年ごとに整理して発表してもらう。彼らがこのワークショップをする前に想い描いていた人生のロードマップははっきり言って非常に月並みなものだった。普通に今ある企業に就職して、これまで通りの延長で旅行に出かけて、結婚して子供が生まれて、幸せに息を引き取る人生。
しかし今まさに急速に変容を遂げつつある時代が迫っていて、これまでの想像の範囲の延長で、これから行くはずがないことを学んでもらう。想像力を豊かにしておかねばマネジメントやデザインなど出来ない。これからの皆さんの選択で未来が変わるとしたら、何をしますか?自分が幸せに生きることだけを追い求めて良いでしょうか?と問いかける。
5年ごとに読み上げられる未来予測と、その時の自分の年齢を見比べて、見る見る内に学生の顔が変わっていく。ワークショップが終わる頃には学生のまなざしはかなり真剣になっていた。


●7月5日/5th,July
本日は経済学研究科の社会人大学院の夜の講義。「風景進化論」の05回「IDENTITY」と06回「MEDIA」。時代的には17世紀から18世紀あたり、近世から近代に向かうあたりの話だが、個人的には特に重要な回と考えている。
現代の問題とはSNSから貿易戦争まで、つまるところアイデンティティ問題と関係するが、それが目に見える風景とどう関係しているのかを紐解く。風景の美の問題がいかに政治の中に取り込まれるのか。そして一度生まれたアイデンティティを保つために、どれほどの努力を人は重ねようとするのかを読み解く。
それは歴史認識とも大いに関係しており、いかにして歴史的アイデンティティが作られるのか、またそれが我々が目にする風景とどう関係するのかを解説する。文化遺産や歴史的建造物のようなものは我々のアイデンティティになりやすい。一方でそうして表に出てくる歴史というのは、必ず誰かが何かの意図の元に選択しているものである。その裏側へとまなざしを向ける。
後半のメディアでは、オングやマクルーハンの話を踏まえた上で、声、文字、印刷、電子と発達してきたメディアがいかに我々の認識や知覚の下敷きになっているかを確認する。
その上でパースの記号論からシンボル、イコン、インデックスとして記号を分類を踏まえて、複製技術によってコピーが大量に生まれることで、同時にオリジナルという概念が生まれたことも見ていく。
その先に今我々が生きている時代は、逆にメディアと記号しかない社会であることをボードリヤールのハイパーリアル論やウォシャウスキー兄弟の映画「マトリックス」から紐解く。拙著「まなざしのデザイン」の第12章でも触れたが、現代は記号と情報に溢れた「空想社会」だ。
そこでは我々を昼夜取り巻く膨大なメディアに繰り返し触れていると、メディアそのものは無意識で透明な存在になる。
YouTubeで流れる映像は、YouTubeというメディアの形式であることが無意識になり、その映像の中身にまなざしが向く。まなざしを向けるのは香港でデモが起こっていることであるが、それはメディアから流れてきた情報であることは無意識化する。
僕らが知っていると思っている世界の情報のほとんどはメディアから流れてくる。しかし本当にそれが事実かどうかを確認せずに信じていることが多い。
そこに盲点があることを踏まえないと、簡単に足元掬われることを理解してもらう。

●7月6日/6th,July
情報にはフローとストックがあるが、僕の場合は専らストックとして本を読み、フローに関してはこれまで積極的に追いかけないようにしていた。
しかしバルセロナに住んでいた頃ぐらいから少々思う所あって、最近はフローとして新聞を毎日流すようにしている。
僕の目的は株や投資をするわけではなく、人間界で現在何が起こりつつあるとされるのかを知りたいだけなので、基本的に新聞の隅から隅まで全ジャンル読むことにしている。
ただやはりフローなので日々過ぎ去っていくから、時々それをストックに変える。今日は学生と一緒に新聞を切り抜いて整理する一日。
全ジャンルなので10ファイルに60項目ぐらいで時系列で整理するのだが、日々横並びで目にする情報を、時間軸で縦に見ると色んな事が見えてくる。
学生は膨大な情報量に目を丸くしていたが、手伝ってくれたことで抜群に勉強になったのではないかと。来週は授業で使っても良いな。

●7月8日/8th,July
昨日は福島のはじまりの美術館で行われていた展覧会「あしたときのうのまんなかで」の最終日。
僕は「半透明の福島」という新作インスタレーション作品でこの3カ月参加していた。
本当にたくさんの人が僕の作品に参加して、手紙を書いてくれた。そして手紙を書いたり読んだりするときに泣いてしまう人がいるということも度々耳にした。
作品に参加してくださったすべての方々に心より感謝、また、はじまりの美術館のスタッフの皆様にも多大な感謝を送りたい。
毎回、展覧会が終わる時は、自分のインスタレーションとの別れの時なので、少し悲しくなる。しかし、旅の終わりは次の旅のはじまりの時でもある。だからここを後にして次のステップに歩みたい。一緒に出展していた谷川俊太郎さんの詩の前での一枚。
生きとし生けるものが幸せでありますように。心より感謝を。
Yesterday was the last day of the exhibition named "Between yesterday and tomorrow" at Hajimari art center in Fukushima.
I have been joined this exhibition by my new installation named "Translucent Fukushima" in this 3 months.
So many people joined my work and wrote letters. I heard that some people cried when they wrote or read letters.
I really appreciate all people joined in my work and also have to say thank you the staff of Hajimari Art Center.
Everytime, I feel little bit sad when the finish of exhibition and I think that this may be the last chance to make my art installation. But the end of journey is the time to start the next journey.So I walk to next step leaving here.This photo is the shot in front of the poem of Shuntaro Tanigawa.
I appreciate all living things.

●7月10日/10th,July
7月に入り、学生も随分と慣れてきたので、そろそろディベートとディスカッションの時間を設ける。
昨日は3回生のゼミで、顔認証システムとサイバーセキュリティについてのディスカッション。
中国で先進している顔認証はどこまで進んでいて、それがどういう可能性と課題を持つのか。ロンドンには200万台の監視カメラが設置されているが、中国全土では2億台と言われる。なぜ中国では先進して日米では導入が難しいのかなどを話し合ってもらう。
もうすっかりと講義前の瞑想が定着してきた2回生には、グループに分かれてもらい、この2ヶ月ほどの新聞記事の中から、それぞれディベートの論点を出してもらう。
それをもとにして、討論者と反論者に分かれ、それぞれの立場から相手を説得させる材料を揃えて、来週のディベートに臨む。
出たテーマは結構バラけた。
「75歳以上の高齢者ドライバーの免許返納の是非」
「イラン牽制のためにアメリカが派遣した空母は正しかったのか」
「レジ袋の有料化に賛成か」
「年金支給の時期を65歳に据えおくべきか」
普段は新聞を読まない彼らだが、関心が出始めた様子。来週のディベートは公開討論という形で全員で議論の行方をジャッジする。自分が信じているかどうかは一旦保留して、敢えて対立する意見を調べることで、多様なモノの見方があるのだということを知ってもらいたい。

●7月11日/11th,July
前に英語かスペイン語で講義をしたのはおそらくバルセロナなので、それから2年は経つか。今日はアメリカのエンブリーリドル航空大学の学生のための特別講義。
彼らは交換提携のサマープログラムでうちの大学に来ていて、講義では専門だけでなく日本文化と関連したことを伝えることになっている。そこで僕は日本文化の中にある「見立」について紹介した。
ただ講義を聞いているだけではつまらないと思ったので、僕のオリジナルのワークショップである「見立百景」をキャンパスでやってみた。
このワークショップはまなざしのデザインのアプリケーションプログラムの一つ。学生たちはキャンパスの日常風景の中で、色んなイメージを見つけることを楽しんでいるようだった。
最後に見つけてきた見立を発表して、優秀賞を皆で選出した。
Today I had the special lecture for students from Embry-Riddle Aeronautical University in US.
Probably, last time I had a lecture in English or Spanish in Barcelona. From that, it have been 2 years.
They visit our university for exchange summer program, so we have to introduce them about a kind of Japanese culture.
So I introduced the Japanese culture of MITATE to them.
I thought it is boring that they just listen my lecture. So I tried to do MITATE scape workshop to them.
This workshop is one of my method from Transscape.
They were seemed to enjoy to find different images in normal landscape.

●7月12日/12th,July
昨日はギャラリー册にて、拙作インスタレーション「地球の告白」をめぐる対話をさせて頂く。北山ひとみさんも駆けつけてくれて、建築家の石上純也さんの水庭の受賞のお祝いの時以来、久しぶりにお話出来た。
今回は那須で行われていた山のシューレの一環でお呼び頂いたが、聞き手は文化ジャーナリストの玉重佐知子さんにお願いした。
玉重さんはロンドンで長く活動されていたジャーナリストで、これまでにも沢山のアーティストやサイエンティストを取材し、ジャパンタイムズなどに紹介してきた方。ジェームズ・タレルやホーキング博士、ビビアン・ウエストウッドなど著名な方々への取材も数多く手がけられている。
冒頭に15分ほどいつもの「まなざしのデザイン」の話をさせてもらい、その後、サヘル・ローズさんに声を乗せてもらった作品の映像を少し見てもらってから、二人で話を紡いでいく。なぜこの作品を作ったのかという動機の話から、作品の中で使った振り子の説明、その下に置かれた地球の46億年の歴史と今の地球の問題を記した目盛盤の説明などから入り、だんだんと高度な質問へと移っていく。
最後の方は「どういう原風景を経てきたのか?」というハナムラ個人への質問から、「意識とは何か?」「自我とは何か?」「時間とは何か?」「悟りとは何か?」など普遍的で高度な質問まで。
ギャラリー册にお越しになるのは知的な方々ばかりなので、玉重さんから次々と飛んでくるハイレベルの質問とやりとりにとても楽しんでおられる様子だった。
今年は人類が月に降り立ってから50年目にあたる年。人類の大きな一歩を月に刻む時に、宇宙飛行士のオルドリンとアームストロングの二人のまなざしがどう違ったのか。それをあの有名な月での一枚の写真を出しながら話し合い、二人のまなざしの違いから、自我を外して世界を見つめることの重要さを確かめ合う。
今の我々の生活の根元にある意識を変えねば、いくらテクノロジーやシステムが進化しても、うまくいかない。地球へのまなざしと、自分の心へのまなざしの両方をいかに取り戻すのかについて共有し合えた大切な時間になる。
企画頂いたギャラリー册の北山実優さんに心より感謝。

●7月13日/13th,July
始発に近い状態で、品川から大阪へ引き返し、 社会人大学院博士論文の合同ゼミで指導。半年に一度の合同発表の場だが、朝から夕方まで博士論文作成に向けての指導を行う。
今回は発表は8名だが、ほとんどが僕より年上のキャリアのある社会人の方々。それぞれバラバラのテーマで半年間練ってこられた内容を、10分間の初見でつかんで的確なアドバイスを返さねばならない。内容を理解するだけでなく、どこに穴があり、どういう視点が欠けていて、どうすれば良いのかを専門的立場から返さねばならない側にいる。毎回集中が必要だが、初めて出会う複雑なものへの反射神経が訓練される。
経済学研究科だがテーマは多様で、IR誘致に伴う地域間格差の是正、個人による場づくりの社会的意義、フィルムコミッションの国際比較、スポーツイベントの経済効果、体験による地理的経験の変化、メディアイベントと観光地の変化、都市魅力と政策、宿坊の運営と寺泊政策など。
昨夜のギャラリー册で話をした芸術、意識、実存、宇宙などの普遍的なテーマとは完全にモードが異なり、今の社会の中での時事的なテーマ。しかもそれぞれが完全にバラバラのトピック。頭は切り替えねばならないが、どのテーマにも普遍的な問いが潜んでいるので、その枠組みの中で順番に足りない視点や構築のロジックを指導していく。
昨夜のように、今の文明の根本的な問題を生む時間や意識のリズムを変革して、いかに文明を別の方向へ導くかといった大きな話は本質的だが、それと同時に、観光や経済といった当面の社会が直面する問題に応えていくような話も必要ではある。
むしろその二つの方向性のギャップをいかにして埋めていくのかを一人の人間の視点で語ることも大切。そう思い、なかなか理解に苦しまれるかもしれないが、両方のアプローチで語るようにしている。何か一つでも、まなざしが開けるようなことが伝えれたなら嬉しく思う。

●7月14日/14th,July
午前中に期日前投票を済ませる。これまでは日本という国家の”政治”には関心があったが、日本の”政治家”には関心を持てなかったし選択肢もなかった。
現在の政治システムがまともに機能しているとは僕自身は未だに思えないが、もし民主主義が本当に機能していて、我々が一票を持っているはずだとすれば、政治に参加することも可能なはず。日本人ではなかった僕は、以前は投票権すらなかったのだから。
ラナ・フォールトハーは、これからの社会は、今の自由主義・民主主義と中国のような国家資本主義との対立ではなく、そこにフェイスブックに代表されるデジタルリバタリアニズムが入ってくると言う。国家という枠組みが過去のものになる日が来るかもしれないが、選択肢がまだあるのであれば、今のシステムの中での最善を考えたい。
I finished posting my vote in the morning for next election. I have an interest about politics of Japan but I didn’t have interest about the politicians of Japan and we didn’t have any options.
I don’t think the system of politics is functioning. However if democracy system still functioning actually , and if we have the right to vote, we can join the politics.
And I didn’t have the right to vote before because I was not Japanese.
Lana Forthhar says that the society from now on is not a conflict between liberalism, democracy and national capitalism Luke China, but digital liberalism enters here. It may be a day when the framework of the state goes to the past. No, I want to think about the best in the system now.


●7月15日/15th,July
存在のリアリティの大切さを改めて感じる。いくら言葉では立派なことを訴えていたとしても、その人の振る舞い、佇まい、心持ち、つまりは存在感がその言葉を裏付けているのかどうかを、人は敏感に見抜いている。
人が誰かを信じるのは、言葉の内容ではなく、その人の存在そのもののエネルギーとして「あなたなら信じられる」という感覚を得た時だと思う。教育もビジネスも政治も、全てに通じる。
I feel the importance of the “reality of the person”. No matter how much his word is to say great things, people are sensitively aware the paradox about their behavior, energy or presence, underpins the word.
I think that a person believes in someone not when it is the content of words but when he gets the feeling of being able to believe in the energy of the person. It is the same in education, business and politics.

●7月16日/16th,July
これまでのルールが通用しなくなり、世界の見方をデザインせねばならない今だからこそ、拙作の第3章、「トリックスターの役割」を改めて引用したい。
「トリックスターが急にその存在感を示す時がある。それはこれまでの常識が通用せず、うまくいかなくなるような状況になった時だ。それはいわゆる時代の変わり目にやってくる。
自分のまなざしは曇っていて、実はこれまでの風景が幻なのではないかと感じる時。おかしいと思いながらも、皆がそう思っているから従わざるをえないと感じる時。誰もがそんな違和感を無意識に感じながらも、互いに確かめられずにいる時。まなざしを本当にデザインせねばならないのは、そんな時代である。そんな時に、人々の違和感をうまく導き、違う現実を描くトリックスターの存在が社会の中では機能するのである。」
(p45、第3章「幻覚をみやぶる」より)

●7月17日/17th,July
そんなことを以前はあまり思わなかったが、若い学生たちに対して、選挙の投票に行くように促すことは教師の義務の一つだと今は思う。
今日はマネジメントの学部の授業。先週は4つのグループに分かれて、新聞記事からディベートのトピックを出してもらった。
今日はそのトピックに基づき、それぞれのグループで反対の立場から討論する。学生たちはしっかり調べてきて、闊達に意見を述べていたので、非常に盛り上がった。
「75歳以上の高齢者ドライバーは運転免許を返納すべきか?」
「ホルムズ海峡に米軍が出向いたのは正しいことか?」
「スーパーやコンビニのレジ袋を有料化すべきか?」
「年金の受給年齢を引き上げるべきか」
それぞれが出したこの4つで討論。全員がちゃんと調べてしっかり発言していた。
これら全てのトピックは日本の政治と、彼らの将来に関係する。
よく考えて投票してくれたら良いなと。
I didn’t think it before, however now I think it is one of the duty for teachers to tell young students to go to vote.
Today I had the class of undergraduate in management development.
Last week, in 4 groups they choosen their own topic of debate from newspapers. And today they had the time of debate.
It was very exciting time because they researched well and they insisted their own opinions.
“Should elderly over 75 years old should return their driving license?”
“Is it right that US army go to the Strait of Hormuz?”
“Should we choose a policy that imposes a charge for supermarket shopping bags?”
“Should we increase the pension age?"
All students researched well and they spoke well about their topics.
And all topics are related politics in this country, and are related to their future.
I hope they will vote after they consider well.

●7月19日/19th,July
Wireless Wireで連載させて頂いている「五十年後の宇宙船地球号」で、昨年11月に千葉で発表した拙作インスタレーション「地球の告白」のことを少しだけ書いています。
この3回か4回ぐらいは、「地球の告白」を作る上で考えたことなどを書いて、その後はバックミンスター・フラーが五十年前に書いた宇宙船地球号のことを紐解いていければと。今の地球が一体どこへ向かおうとしていて、その中で人類はどういう役割を果たすのか。それをフラーをヒントにしながら考えてみたいと思い始めましたが、なかなか苦労しています。
毎回の文章が長いですが、またご笑覧いただければ幸いです。

●7月19日/19th,July
本日は経済学研究科の社会人大学院の講義。「風景進化論」の折り返しの回。前半はMODERNIZATION、後半はDESIGN。
冒頭に前回のMEDIA とIDENTITYのおさらいも兼ねて、今度の参院選を巡って一体何が起きているのかを少し紹介。見ているメディアによってまるで異なる現実が展開されていることに、我々はいかに見たいものしか見ておらず、まなざしは造られるものであることを確認する。
本題に入り、前半は近代化とはいかなるものであり、なぜ起こったのか?そしてその結果として我々にどのような認識をもたらしたのかを自分なりに論じる。
17世紀の博物学の確立と、身体の中で優位になった視覚との関係を語り、それがもたらした「分類、整理、規格化」という認識が近代的認識の下地になったことを話す。
また何十万年も移動のベースだった歩行から、鉄道による交通革命が起こったことで何が変わったか、そして電信以降の通信革命により距離を超えたコミュニケーションが可能になったことで、社会がどのように変化したのかを見ていく。
我々の今の価値観など、たかだか100年以内に築かれたものである。今は当たり前に思えても、100年前には大きな抵抗や違和感を持って受け止められていた。そのフォーマットはそのままそっくりと、この2020年代に向けて当てはまる。
後半のDESIGNはそのあたりも踏まえて、産業革命や近代化に対して、イギリスのモリスやラスキンがどのように戦おうとしたのかを見ていく。その後、アール・ヌーヴォーがインターナショナルスタイルとして出ては消え、ドイツ工作連盟などを通過してバウハウスへと繋がっていく系譜を追いかける。
途中、少しキュビズムに寄り道して、なぜピカソがあんなヘンテコな絵を描くのかを解説する。それらが建築の中にどのように統合されていったのかを説明した。
技術やシステムは時代によって変化していくが、人間のマインドの奥底にあるものは変わらないので、歴史は繰り返されるように見える。
文明が初めて経験することであっても、そこに向き合う人間の反応にはある一定のパターンがある。それを掴めると未来が的確に予想できるはずなので、そこをこの講義で伝えたい。

●7月20日/20th,July
メディアにはそれぞれの見解があって然るべきなのは確かなのだが、肝心なのはニュートラルにそのメディアを見るまなざしを我々自身が持てるかどうかだ。
何をニュースとして取り上げるのかという段階で、既にそれぞれのメディアの見解が入っていて、さらにそれをいかに語るのかでも見解が入っている。
この二重のバイアスを避けるためには複数のメディアをフラットに見ないといけない。
論文でいうとデータに基づく「事実」と、それを分析した結果から言える「考察」を分けること。論文指導していると、この事実と考察の区別がつけられず、結論ありきでデータを眺める学生が本当に多いのが問題だ。しかしメディアの問題はそれ以前に、一つ目のバイアスである”何を事実として拾い上げるのか”にある。その観点で今回の参院選を見ると本当に面白いことが起こっている。
人は最初から見解ありきで物事を見るので、そもそも拾い上げる事実が偏っている。事実として拾い上げれないものは、存在しないことになる。「まなざしのデザイン」で指摘しているのは、まずはそこだ。
世界で起こっていること全てに我々は目が届くわけでない。だから何かのメディアの力を借りないといけないのだが、我々が認識しているものは全て、ピックアップされたものであることを忘れないようにしたい。
*ちなみに画像は、日経新聞のMMT(現代貨幣理論)に関するインタビュー記事。「複眼」として、MMT提唱者のステファニー・ケルトンへのインタビューもあるが、日経新聞はMMTに対しては批判的な見解に基づいていることは透けて見える。

●7月20日/20th,July
誰もが慈悲を持って生きる優しい社会になって欲しい。ただそれだけ。

●7月27日/27th,July
本日は経済学研究科の社会人大学院の地域デザイン論。
今世紀半ばには世界の人口は98億人に達し、その7割は都市に住むことになる。21世紀は「都市の時代」であり、これからも重要なことは全て都市で決定されるのはほぼ間違いない。
一方で、今のような都市がなぜ生まれたのかを知るためには20世紀を通じた「都市化の時代」を理解せねばならない。ということで風景進化論も大詰。今日は前半にはURBANIZATIONとして都市化の話をする。
産業革命と農業革命を経て、近代化へ移行する中で都市に大量の人が流入する。そうすると都市は過密状態になり、衛生状態が最悪の問題だらけの場所になる。
そんな中で、公衆衛生の確保に対処するべく近代都市計画が始まった経緯を解説する。公園という場所が生まれた経緯も過密問題に伴う都市改造が起源となる。
それに対して、問題だらけの都市から脱出して、郊外に理想都市を計画する流れも近代には生まれる。
オーエンやフーリエなどの空想的社会主義の流れに工業化が合わさり、ガルニエの工業都市案やその後のハワードの田園都市に繋がる動きを解説。今のニュータウンのフォーマットが生まれたことを確認する。
一方で都市改造が合理的に進む中で、都市の眺めから意味が次第に喪失していく。無機質になっていく都市に対して、様々な角度から眺めの意味を取り戻そうという試みが始まる。その一つの都市美運動を紹介する。
この時代に隆盛を見た新古典主義建築やオルムステッドらによるピクチュアレスクの復権などを確認していく。
しかしその後、こうした新古典主義は衰退していき、デザインの流れは世界大戦後のバウハウスやコルビュジェらのモダニズム建築へと集約する流れを追いかける。
どこにでも同じ原理の建物を建てる論理とシステムが、インターナショナルスタイルとして、今の風景を生み出す一因となることを見ていく。
後半はその続きとして都市の景観への取り組みを見る「SCENARY」の回。
最初にマンハッタンのスカイラインがこの150年の間にいかに変化してきたかを比較してみる。
その要因に、エレベーターや鉄骨造などの技術革新による都市の高層化があり、地域の人々の文脈と無関係に都市の眺めが生み出された経緯を見ていく。
マシンエイジの時代に、建築も「住むための機械」として理論化され、その理論の元、建築家たちが果敢に取り組んだ都市デザインを追いかける。
結果として都市の眺めの意味の喪失、生活と都市との関わりの乖離が埋まることはなかったが、そこに新たな指標として「景観」という概念が地理学から引用された経緯を確認する。
しかし場の共同性の根拠を失ったまま、それぞれが異なる個人的な意味を下敷きにしたまなざしが向けられる都市景観では結局、政治か資本の力で景観が決められていく経緯についても見る。
ここ数年の動きは、100年前の大変革と同じことが起きようとしている。AIや自動運転、IOTが進行する中で、これからの都市と景観はどうなっていくのかを、僕なりに予測して締めくくった。
毎回膨大な情報量を浴びせるので、夢にまで見るという生徒もいるようだが、大切なのはディテールではなく、大きな流れだ。
因果の流れはこれまで以上に加速していて、数日前のことがもう古くなる。だからこそ逆に普遍的なことへとまなざしを向けねばならないことを理解してもらえればと。

●7月31日/31th,July
今週で学部の前期の講義が全て終了。
昨日は三回生のハナムラゼミのマネジメント演習。本日は二回生の基礎ゼミ。
三回生は後期もあるので、もう少し時間はあるが、二回生は本日でリリース。だからこれからを生きていく上で大事なメッセージと目一杯のエールを送って僕の役目を終える。
この四ヶ月の間に彼らのまなざしは随分と変わった。出会った頃はヤル気も集中力もなく、何にも関心が無さそうだった彼ら。
しかし15回の毎回の瞑想実践と、まなざしのデザインのトレーニングで、みるみる内に逞しく頼もしくなっていった。
彼らの80歳までの将来設計のワークと、2080年までの未来予想のワーク、そして今の社会の現状を照らし合わせると、想像している通りには絶対にならないことをだんだん理解し始める。
そして心理分析のワークで自分が無意識にどんなまなざしで世界を見ているのかを客観視するトレーニングもした。それを通じて、もう一度自分自身と出会い直すことの重要性も伝えた。
人は何度でも自分と出会い直せる。特にまだまだ若い彼らは、脳の回路のループを柔軟に書き換えられるので、これから何者にでもなれることに気づいて欲しい。
今日は最後の言葉として3つのメッセージを送った。
ひとつめは”自分の利益だけを考える人間にはならないこと”。誰かに手を差し伸べようとしない者は、誰からも手を差し伸べてもらえない。人は一人では生きていけない。そして君たちは常に誰かに手を差し伸べて誰かを自由にするために行動してほしい。賢い人になるだけでなく優しい人になること。
ふたつめは、”常に正しいことを問い続けること”。「自分は正しいことを証明する」のではなく、「正しいことに自分が寄り添う」態度を持つこと。そのためには間違っているかも知れないけど、自分が感じたことを嘘をつかずに素直に表現すること。もし自分が間違っていて誰かが正してくれれば、自分を正しい方向に変えればいい。とてもシンプルなことだ。
みっつめは”あらゆることに関心を持つこと”。自分が世界に関心を持った分だけ、世界も自分に関心を持ってくれる。今の時代は自分の見たいものだけにまなざしを向けがちだ。でも自分が見たいものしか見ていない間に、世界では大変な事が起こっているかも知れない。だからちゃんと世界に関心を持ってまなざしを向けておかないといけない。それでも世界には盲点が沢山あるのだから、みんなでまなざしを交換しないといけない。
そんなことを伝えた。最初の頃は全くメモを取らなかった学生たちは、もうすっかりと真剣にメモを取るようになっている。
「面白くないものなど何もない。ただ面白くない見方があるだけで、どんなものでも面白がれるのが本当の創造性だよ」
「君たちがゲームに夢中になり、好きなアイドルしか見えていない間に、君たちにとって将来にとても困るようになる事が世界では起きているかも知れないよ。」
思えばこの授業ではそんな事ばっかり伝えていた。知識や情報などは殆ど伝えていない。知識や情報はウィキペディアにも書いてある。知りたくなった時にそれを見ればいい。
でも一番役に立つのは、学び方だったり、世界と向き合う態度だったり、モノの見方だったり、哲学だったりする。そして何よりも好奇心と想像力が大きな力になる。
最後に学生たちにレポートを書いてもらったが、嬉しい言葉が並んでいる。手探りの講義だったが、何かは伝わったようだ。僕に出来るのはここまで。後は自分で歩いていけるはずなので、頼んだよ。僕らの次には君たちが紡いでいくのだから。


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